市川市の概要

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更新日: 2019年2月6日

地勢

市川市の位置
 市川市は千葉県北西部に位置し、北は松戸市、東は船橋市と鎌ヶ谷市、南は浦安市と東京湾に面し、また江戸川を隔てて東京都江戸川区・葛飾区と相対しています。
 都心から20キロメートル圏内にあり、文教・住宅都市として発展してきました。都心に近いことから都心部と県内各地域を結ぶ広域交通が集中しており、JR総武本線・京葉線・武蔵野線、京成本線、東京メトロ東西線、都営新宿線、北総線といった鉄道網が発達し、京葉道路・湾岸道路・国道14号などの幹線道路が東西方向に、東京外かく環状道路が南北方向に通っています。
 地形は、北部に標高20メートル前後の台地があるほかは、おおむね平坦です。北部は大野・大町の台地を中心に梨栽培などの農業が盛んで、屋敷林や斜面林など緑豊かな土地が形成されています。
 中央部は、古くからの住宅地が多く、京成線に沿った菅野、八幡の一帯には市の木である黒松が点在し、代表的な低層住宅地の景観を形成しています。南部は、高度成長期以降、区画整理事業や埋め立てが始まり、東西線開業を機に、マンションなどの高層住宅が多く建設されました。
 東京湾に面した臨海部は、湾岸道路を中心に物流の拠点や工業地帯が広がっています。

市域の変遷

市域の変遷(別ウィンドウで開きます)
 市川市の北部丘陵地帯には、堀之内、曽谷及び姥山貝塚をはじめとする数多くの遺跡があり、古代より人間が住みつき生活の場として栄えてきたことを物語っています。
 7世紀には現在の国府台周辺に下総の国府が置かれ、8世紀には現在の国分に国分寺が建立される等、常に地方文化の中心として発展を極めてきました。
 江戸時代には、幕府直轄の所領や寺社等に属しましたが、明治6年に千葉県の所管となり、明治22年の町村制の実施を経て、昭和9年11月3日に市川町、八幡町、中山町及び国分村が合併し、千葉県では、千葉市、銚子市についで3番目の市制(約2,295ヘクタール)施行となりました。
 その後、昭和24年11月3日に大柏村、30年3月31日に行徳町、31年10月1日には南行徳町と合併し、さらに、昭和32年より、京葉臨海工業地帯の開発計画の一環として、公有水面埋立事業を実施し、昭和61年3月までに高谷新町、二俣新町をはじめとする約440ヘクタールに及ぶ土地が造成され、市域に編入され、逐次、市域を拡大してきました。
 現在では、市制施行当初の約2.5倍となる市域面積(約5,639ヘクタール) となっています。
 

人口の推移

人口の推移(別ウィンドウで開きます)
 昭和9年の市制施行当時、約4.1万人であった人口は、昭和24年に10万人に達しました。その後、首都近郊の住宅都市として、特に昭和30年代後半から急増し、昭和53年まで年間約1万人の増加が続きましたが、昭和54年以降は、増加人口も鈍化傾向を示し、平成29年には、約48.4万人となっています。
 また、世帯数の推移をみますと、昭和35年に約3.7万世帯であったものが、平成29年には約23.9万世帯と増加しているのに対し、1世帯当たりの人口は、昭和35年の約4.2人から平成29年には約2.0人に減少してきており、核家族化及び独居化の傾向が顕著に現れています。
 人口集中地区(DID)の推移をみますと、昭和40年には市域面積に対する割合が約28.9パーセント、市域人口に対する割合が約82.7パーセントだったものが、平成27年の国勢調査時点においては、それぞれ約84.1パーセント、約97.8パーセントの割合を占め、面積、人口とも増加の一途をたどっています。
 

土地利用

土地利用現況 (別ウィンドウで開きます)
 市域の土地利用の状況は、宅地(住宅用地、商業用地、工業用地)が約43パーセントを占めています。そのうち、住宅用地が約79パーセントと大部分を占め、都心に近いことから毎年、住宅用地は増加しています。
 農地や緑地は約14パーセントで、毎年、市街地の周辺部の農地や緑地から減少する傾向にあります。
 残りの約43パーセントは公共公益施設用地や道路・河川・鉄道用地となります。
●このページに掲載されている情報の問い合わせ
市川市 街づくり部 都市計画課
〒272-0033
千葉県市川市市川南2丁目9番12号
電話:047-712-6323 FAX:047-712-6324