更新日: 2016年12月28日
村上 正治 プロフィール
|市川の文化人| |
1914年、新潟県岩船郡村上町に生まれる。クリスチャンだった父に従い明治学院に入り中学部から高等商学部に進んだが、音楽への道をあきらめきれず、東京高等音楽学院(現在の国立音楽大学)予科に入学、作曲法などを学んだ。卒業後、市川に移り、小学校などの教壇に立っていたが、戦後になって、日本に平和国家が誕生すると、これからの若い人たちの教育に必要なのは音楽と考え、クラシック音楽の啓蒙に乗り出そうとしていた。そこに現れたのが彫刻家の藤野天光である。
藤野は村上の考えを知ると積極的に応援した。村上は、藤本真里、安川加寿子、中山悌一など、当時一流の音楽家を招いては演奏会を開いていた。小学校の講堂という小さな開場ではあったが、必ず、周囲に絵画や彫刻といった美術作品が飾られ、音楽と美術とが融合して独特の雰囲気を盛り上げていた。レコードコンサートも毎月のように行われていたという。
ここから多くの演奏家が生まれ、やがて 市川交響楽団の結成へと進んでいく。声楽を愛する人が集い合唱団も誕生した。村上のまいた<一粒の麦>は、着実に育ち、いまや日本各地に芸術文化団体の結成を見るという大きなうねりとなって広がっている。こうした努力に、市川市は、市民栄誉賞を贈った。勲四等瑞宝章も受章している。
藤野は村上の考えを知ると積極的に応援した。村上は、藤本真里、安川加寿子、中山悌一など、当時一流の音楽家を招いては演奏会を開いていた。小学校の講堂という小さな開場ではあったが、必ず、周囲に絵画や彫刻といった美術作品が飾られ、音楽と美術とが融合して独特の雰囲気を盛り上げていた。レコードコンサートも毎月のように行われていたという。
ここから多くの演奏家が生まれ、やがて 市川交響楽団の結成へと進んでいく。声楽を愛する人が集い合唱団も誕生した。村上のまいた<一粒の麦>は、着実に育ち、いまや日本各地に芸術文化団体の結成を見るという大きなうねりとなって広がっている。こうした努力に、市川市は、市民栄誉賞を贈った。勲四等瑞宝章も受章している。
プロフィール
1914(大正3) | 新潟県岩船郡村上町に生まれる | |
1939(昭和14) | 25歳 | 東京高等音楽学院予科(現国立音楽大学)作曲部卒業、卒業後は市川小をはじめ市川高女、市川一中などで教鞭をとるかたわら、作曲活動を続け多くの作品を残す |
1945(昭和20) | 31歳 | 市川文化会結成 |
1951(昭和26) | 37歳 | 市川交響楽団結成 |
1953(昭和28) | 39歳 | 千葉県吹奏楽連盟結成 |
1969(昭和44) | 55歳 | 千葉県芸術文化団体協議会結成 |
1972(昭和47) | 58歳 | 全日本文化団体連合会結成 |
1974(昭和49) | 60歳 | 市川市芸術文化団体協議会結成 |
1977(昭和52) | 63歳 | 千葉県知事文化功労賞受賞 |
1978(昭和53) | 64歳 | 文化庁長官文化功労賞受賞 |
1981(昭和56) | 67歳 | 千全日本文化団体連合会会長 全日本アマチュアオーケストラ連盟理事長 |
1987(昭和62) | 73歳 | 勲四等瑞宝章受章受章 |
1992(平成4) | 78歳 | 第1回の市川市民栄誉賞を受賞 |
2001(平成13) | 87歳 | 第5回市川市民文化賞受賞 |
2003(平成15) | 88歳 | 逝去 |
主要作品一覧
1935(昭和10) | ピアノ曲「子供の為の三つの舞曲」 メヌエット・マズルカ・ワルツ |
1938(昭和13) | ピアノ曲「フーガ」 |
1941(昭和16) | ピアノ三重奏曲 |
1942(昭和17) | 歌曲「皇穹の護り」 作詩 碓井次郎 女性合唱曲「祈り」 作詩 村上照恵 |
1943(昭和18) | バリトン歌曲 遺書より「小鳥」 作詩 西村皎三 |
1947(昭和22) | バリトン歌曲「光」 作詩 大江満雄 |
1948(昭和23) | オーケストラ曲 グリーク「ピアノ曲集」編曲 |
1963(昭和38) | NET番組(現テレビ朝日)「歌の絵本」テーマソング 作詩村上照恵 この番組の音楽編曲及び作曲を半年行う |
1964(昭和39) | オーケストラ曲「キャンプの夜」 |
1966(昭和41) | ピアノ曲「乗泉寺」 |
1984(昭和59) | 吹奏楽曲「喜びの歌」編曲 「ファンファーレ」(市川市制50周年記念用) ソプラノ歌曲レクイエム「逝きし父を想う」 作詩 古賀加奈子 |
1995(平成7) | 歌曲「友情の輪」 作詩 高橋國雄 |
(校歌、社歌など)
1946(昭和21) | 行徳町立行徳中学校 作詩 福田行有 |
1948(昭和23) | 江戸川区立篠崎中学校 作詩 浄園満成 |
1949(昭和24) | 市川市立第三中学校 作詩 菊地猶喜 千葉県立市川工業高等学校 作詩 高梨義雄 |
1950(昭和25) | 市川市立第一中学校 作詩 野上 彰(合唱・オーケストラ・吹奏楽) 市川市立第一中学校応援歌(吹奏楽) |
1952(昭和27) | 千葉県立国府台高等学校校歌編曲(四部合唱曲・吹奏楽) |
1953(昭和28) | 市川准看護婦学校 作詩 鈴木信子 |
1955(昭和30) | 沼田千草学院(オーケストラ) 作詩 櫛渕静一 |
1956(昭和31) | 市川市立稲荷木小学校 作詩 菊地猶喜 |
1958(昭和33) | 船橋市立宮本中学校(四部合唱曲) 作詩 神原克重 |
1959(昭和34) | 船橋市立二宮中学校生徒会の歌(吹奏楽) |
1960(昭和35) | 山崎製パン株式会社社歌(オーケストラ) 作詩 野上彰 千葉県立四街道高等学校 作詩 松本千代二 |
1965(昭和40) | 千葉県立茂原工業高等学校 作詩 野上 彰 |
1967(昭和42) | 光町立東陽小学校 作詩 伊橋虎雄 |
1968(昭和43) | 御宿町立御宿小学校校歌編曲(オーケストラ) |
1969(昭和44) | 市川市立宮久保小学校 作詩 榎本和子 |
1972(昭和47) | 市川市立中国分小学校 作詩 阪田寛夫 |
1974(昭和49) | 八千代市立米本南小学校 作詩 阪田寛夫 |
1975(昭和50) | 八千代市立勝田台小学校(オーケストラ) 作詩 阪田寛夫 |
1978(昭和53) | 青玄会の歌 作詩 小暮青風 浦安町立堀江中学校(四部合唱・吹奏楽) 作詩 蜂谷泰広 |
1979(昭和54) | 市川市立柏井小学校 作詩 能村登四郎 |
1980(昭和55) | 千葉県立船橋二和高等学校(四部合唱・吹奏楽) 作詩 石堂晃信 市川市立福栄中学校(四部合唱・吹奏楽) 作詩 能村登四郎 |
1983(昭和58) | 千葉市第一ときわクラブの歌 作詩 菅野竹次 |
1984(昭和59) | 市川市立稲荷木幼稚園園歌 作詩 奥沢泰子 |