更新日: 2021年10月25日

【終了しました】市川市文学プラザ開館記念展示  短詩型文学の世界

2005年10月25日~2006年4月9日

市川市文学プラザ開館

1 近現代短歌史と市川
2 近現代川柳史と市川
3 俳句 (能村登四郎
4 詩  (宗左近

近現代短歌史と市川

近現代短歌史と市川 展示風景
 伊藤左千夫(いとうさちお)、太田水穂(おおたみずほ)、窪田空穂(くぼたうつほ)、与謝野晶子(よさのあきこ)、永井荷風(ながいかふう)、吉植庄亮(よしうえしょうりょう)、北原白秋(はくしゅう)、若山牧水(わかやまぼくすい)、古泉千樫(こいずみちかし)、吉井勇(よしいいさむ)、尾山篤二郎(おやまとくじろう)、山崎真言(やまざきまこと)、松本千代二(まつもとちよじ)、大島史洋(おおしましよう)、石川福之助(いしかわふくのすけ)、渡辺淑子(わたなべよしこ)、小泉豊一(こいずみとよかず)、高野公彦(たかのきみひこ)、岡田行雄(おかだゆきお)、日高堯子(ひだかたかこ)、伊藤菖子(いとうあやこ)、神作光一(かんさくこういち)など、多くの歌人が、それぞれの視点から市川を詠んでおり、短歌史の上からも、市川を知る上からも参考になります。
 しかも、これらの歌人の半数以上が、市川に住んで市川を詠んでいることは、特筆に値します。
 また、その詞書によって、歌人同士の交流も分かります。
 とくに、北原白秋(1885~1942)は、1916年(大正5)5月から2か月ほど、『万葉集』ゆかりの「真間の井」の残る亀井院(かめいいん)に江口章子(あやこ)とともに過ごし、「葛飾小品」「葛飾閑吟(かんぎん)集」などをしたためました。その後、移り住んだ江戸川区小岩の「紫煙草舎(しえんそうしゃ)」が、国府台の里見公園に保存されているのは、こうしたゆかりによるものです。
神作光一

展示内容

北原白秋『雀の生活』 1920年(大正9) 新潮社
  「3)雀と人間との詩的関係」は、紫烟草舎脇に建つ歌碑に刻まれた歌の詠まれた情景を記す
北原白秋『雀の卵』 1921年(大正10) アルス
  真間の亀井院居住中の作品「葛飾閑吟集」が収められる
山崎真言『夜香花』 1966年(昭和41) くぐひ社
  市川で「くぐひ」を主宰。1958年(昭和33)市川市歌人協会の結成に参画
松本千代二『夕焼雲の下』 1979年(昭和54) 地平線の会
  北原白秋門下で「地平線」を主宰。里見公園内に歌碑が建つ

昭和の市川を詠む

一人住む菅野の里は松多し君もきて聞け風のしらべを  永井荷風

白秋の紫煙草舎の昔より吾(あ)にはなつかし葛飾の里 吉井 勇

茶店出して二十年になるといふ媼が娘水汲みはこぶ(里見公園)  山崎真言

サルビアの赤きが一際眼に沁みる片方(かたへ)に建てり紫烟草舎は 神作光一

 

近現代川柳史と市川

近現代川柳史と市川 展示風景
江戸時代に確立した川柳が、大衆へ迎合した「狂句」におとしめられたのを嘆き、「狂句100年の負債を返す」と立ち上がったのが、阪井久良伎(さかいくらき)(1869~1945)でした。
 川柳中興の祖と仰がれる久良伎は、1928年(昭和3)から市川に住まい、「市川は死所志は江戸にあり」という辞世の句を残しました。
 久良伎の跡を継いだのが、真間で医院を構える吉田機司(よしだきじ)(1902~1964)で、正岡容(まさおかいるる)(1904~1958)らとともに、戦後の川柳復興に力を尽くしました。
 機司の許から松沢敏行(まつざわびんこう)(1923~1995)らが育ち、その流れを受けて、岡本公夫(おかもときみお)(1926~)らが、伝統川柳の発展と新しい川柳の継承を担って、活躍しています。

展示内容

阪井久良伎短冊(複製) 岡本公夫氏提供
『阪井久良伎全集』全6巻  1936年昭和11)~1937年(昭和12)  阪井久良伎全集刊行会
『阪井久良伎翁句碑』 1971年(昭和46) 阪井久良伎翁建碑委員会
 国分の国分寺に句碑を建てたときの記念誌。初山火治朗氏蔵
吉田機司『随筆やぶいしゃの頭』 1955年(昭和30) 新潮社
 吉田は医師のかたわら、阪井久良伎門下として川柳の創作も行う。永井荷風とも親交があった
松沢敏行『吉田機司』 1979年(昭和54) 川柳新潮社
 吉田機司の評伝を通して、千葉柳界の歴史も叙述 初山火治朗氏蔵 
『松沢敏行自選五十句集(一)』 1958年(昭和33) アサヒ出版部
 吉田機司の「小序」とともに、作品が収められる 初山火治朗氏蔵
『川柳新潮 創刊号』 1963年(昭和38) 川柳新潮社
 松沢敏行を中心として結成  初山火治朗氏蔵
 

川柳でつづる市川

月は今三本松の上へ来る    阪井久良伎 

仲見世で会った荷風は下駄を履き          吉田機司

初産(ういざん)の嫁と手児奈(てこな)へ来る養子 松沢敏行

鉄橋に市川の音松の数               岡本公夫

 

能村登四郎 のむら・としろう 俳人

1911(明治44)~2001(平成13)
〔1938(昭和13)~2001(平成13) 市川市八幡在住〕

能村登四郎展示風景
  東京谷中の生まれで、中学生のころから伯父に俳句の手ほどきを受け、大学時代は短歌を作っていました。
  1938年(昭和13)年より旧制市川中学(現市川高等学校)に勤務し、市川にもゆかりの深い水原秋櫻子【みずはらしゅうおうし】が主宰する「馬酔木【あしび】」に入会。1948年(昭和23)に「馬酔木」新人賞を受賞、翌年から「馬酔木」同人となります。
  1954年(昭和29)、教師生活などの境涯を詠んだ処女句集『咀嚼音【そしゃくおん】』を出版、1970年(昭和45)から、「沖」を創刊主宰しました。
  市川のみならず、多くの俳人と交流を深めながら、意欲的な作家活動を続け、現代俳句協会賞(1956・昭和31)、俳句の芥川【あくたがわ】賞といわれる蛇笏【だこつ】賞(1985・昭和60)、詩歌文学館賞(1993・平成5)などを受賞しています。

展示内容

能村登四郎 愛用硯 水差し 落款 
能村登四郎自筆原稿「今年の春」『沖』1999年(平成11)2月号発表
能村登四郎自筆「作句控」1997年(平成9) 1998年(平成10)
能村登四郎『咀嚼音』(第一句集) 1954年(昭和29)
能村登四郎『合掌部落』(第二句集)1957年(昭和32)
能村登四郎『定本 枯野の沖』 1976年(昭和54) 色紙
能村登四郎 『天上華』(第八句集)1984年(昭和59) 蛇笏賞受賞
蛇笏賞受賞決定発表リーフレット
能村登四郎『長嘯』(第11句集)1992年(平成4)  第8回詩歌文学館賞受賞 1993年(平成5)
能村登四郎『羽化』(最後の句集) 2001年(平成13)
能村登四郎『現代俳句作法』    1958年(昭和33)
能村登四郎 『花鎮め』(随筆集) 1972年(昭和47) 
 

能村登四郎 代表句 十五選  能村研三 選

能村登四郎展示風景
ぬばたまの黒飴(あめ)さはに良寛忌
長靴に腰埋め野分(のわき)の老教師
子にみやげなき秋の夜の肩ぐるま
汗(あせ)ばみて加賀強情の血ありけり
暁紅(ぎょうこう)に露の藁屋根合掌(がっしょう)す
火を焚(た)くや枯野の沖を誰か過ぐ
春ひとり槍【やり】投げて槍に歩み寄る
曼珠沙華(まんじゅしゃげ)天のかぎりを青充(み)たす
一度だけの妻の世終る露の中
朴(ほお)散りし後妻が咲く天上華(てんじょうげ)
身を裂いて咲く朝顔のありにけり
初あかりそのまま命あかりかな
今思へば皆遠火事のごとくあり
霜掃きし箒(ほうき)しばらくして倒る
月明に我立つ他は箒草

宗 左近 そう・さこん   詩人・評論家

1919(大正8)~
〔1978(昭和53)-   市川市市川南在住〕
宗左近 展示風景
北九州市生まれの宗は、高校のころからフランス象徴派の詩人に親しみ詩作を始めます。
1945年(昭和20)5月の東京大空襲で母を失い、その壮絶な体験が、長編叙事詩集『炎(も)える母』(1967・昭和42)年に結実。翌年、第6回歴程(れきてい)賞を受賞しました。
やがて、その詩世界は、「縄文」や「宇宙」へと広がり、『続縄文』(1980・昭和55)、『透明の蕊(しん)の蕊』(2000・平成12)などに、市川を詠んだ作品が収められています。
「縄文」を核とした美術評論にも個性を発揮、縄文文化の花開いた市川は、恰好(かっこう)の創作の場となっています。
近年は、「中句(ちゅうく)」と名づける詩と俳句の中間的な一行詩で、意欲的な作品化を図っています。
1994年(平成6)に『藤の花』で第10回詩歌文学館賞、2004年(平成16)にこれまでの詩作に対して第1回チカダ(蝉の声)賞が授与、同年、市川市名誉市民に選ばれました。

展示内容

宗 左近『長篇詩 炎える母』1968年(昭和43) 弥生書房
   前年に出された詩集の普及版 第6回歴程賞受賞 1968年(昭和43)
宗 左近『縄文まで』1982年(昭和57) 筑摩書房
   随筆「江戸川の流れのほとりで」が収められる
宗 左近『あしたもね』1989年(平成元) 思潮社
   「空はなんのために青いのか」市川西高等学校校歌が収められる
宗 左近『藤の花』 1994年(平成6) 第10回詩歌文学館賞受賞 同年
文学プラザ開館 宗左近

献辞

   母よ
   あなたにこの一巻を
   これは 
   あなたが炎となって
   二十二年の
   炎(も)えやすい紙で作っ
      あなたの墓です
   そして
   わたしの墓です
   生きながら
   葬(ほうむ)るための
   墓です
   炎えやまない
   あなたとわたしを
   もろともに
   母よ

宗左近『炎える母』 1967(昭和42)より

曙(あけぼの)    いま 世界が垂直
         市川 蕊の蕊の透明
         はばたく虹の風たち
  恋の継ぎ橋を渡る若者の瞳に
  尖(と)がり始める少女の乳首の富士
  どんな光が祝ってくれないだろうか
  永遠と瞬間の沸(たぎ)りあう今こそが未来と
          市川 垂直が世界
          透明の蕊の蕊

宗左近「市川讃歌 透明の蕊の蕊」1999(平成11)より

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市川市文学ミュージアム
(市川市 文化国際部 文化施設課)

〒272-0015
千葉県市川市鬼高1丁目1番4号 生涯学習センター(メディアパーク市川)2階

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