更新日: 2021年12月23日

市民の語る水木さんの思い出と水木邸活用案

平成13年8月に開催した「ホットアート2001 シナリオ作家 水木洋子の世界」で、参加者にアンケートをお願いし、貴重な思い出や活用案をいただきました。〔回収枚数 401(24日 141、25日 135、26日 125)〕

市民の語る水木さんの思い出

本日水木邸特別公開を先日市川図書館で知ったので拝見させて貰いました。以前に何度も伺った事があるので感無量でした。ここで私どもと高木家との関係をお話致します。私の父は高等小学校を出ると神田御蔵橋の高木艶五郎商店へ小僧として奉公いたしました。当時幼稚園の富子さんをおぶって送り迎えをしたさうです。母は栄さんの遠縁に当り高艶商店へ女中として勤め父と知り合い結婚しました。高艶商店が廃業により当時一番番頭であった父を始め5,6人の番頭がトタン板屋、金物屋へと独立して行きました。私の記憶にあるのは、父が毎月高木さんの神田にある家作の家賃を集金し、洗足のお宅へ届けに行くのに付いていった事です。戦時中は私の母の実家へ疎開していたとも聞いております。八幡の土地を買ったときは父が登記の際、登記所へ頼まれて同伴していました。父の葬儀の時は栄さんが焼香に見えていました。その後は私が、栄さんの通夜、又49日、一周忌、3回忌、7回忌、13回忌と呼ばれて参列致しました。高艶商店の番頭達も一人亡くなり二人亡くなり最後の法事の時は私一人と富子さんの友人5,6人の寂しいものでした。栄さんの時は年賀状もやりとりしていたのですが亡くなった後は富子さんから返事を書くのが億劫だから、いっちゃん止めようよと言われたので以降音信不通でした。新聞、雑誌等で富子さんが入院して居られる事は聞いております。早く元気になられて昔話が出来る日を楽しみにして居ります。今は高艶商店の昔話を知っているのは、私とご近所に居られるSさん位だと思います。何か必要のある時は連絡ください。判っている事は何時でもお話致します。父はNK(原文氏名)明治31年生 (店墨田区 自宅国分 N 男性 昭和5年生)

今から43年前、1958(昭和33)年の夏と冬、大学生の私は、現在の日本百名山ブームのはるか以前、北海道や九州の遠い山々を登るための資金調達とトレーニングをかねて、宅配便のアルバイトを経験しました。新小岩のデポから重荷を積んだ自転車で、中山・八幡・市川をカバーするかなりハードな仕事でした。その中でも、市川市内の有名人のお宅への配達があり、ちょっとした刺激になりました。財界の良識と呼ばれた東京電力会長の木川田一隆さんの質素な新田のお宅、若宮の東山魁夷さん宅の地面に荒なわをジグザクに止めて松の枯葉を敷きつめただけの簡素で素晴らしいデザインのアプローチなど、印象に残りました。お名前を存じているていどの水木洋子さんのお宅では、お中元、お歳暮のおとどけ元のお名前に驚きました。夏も冬もともに、当時全盛の女優、有馬稲子さんと高峰秀子さんからのおとどけものでしたから。どちらの方か覚えていませんが、婦人物洋品店、Wisteriaの上品な文字通り藤色の包み紙には心ひかれ、ウィスタリアという名が忘れられないものになりました。いまではラベンダー色といったほうが通りのよい美しいものでした。水木邸も今日拝見したよりも、玄関ももう少しひっそりした感じで、八幡から行って右側の生垣に沿って自転車を寄せた記憶がはっきりとあります。水木さんと美しい女優さん方の通い合う心づかいのようなものが学生の私にも良く伝わるようなささやかな思い出です。お3人も健在ですし、私もいまだに山登りに熱中しています。 (真間 A 男性 64歳)

当時建具関係の仕事をしていた (東菅野 K 男性)

昭和30年後半、お仕事を手伝ったことがありました。 (曽谷 S 女性 72歳)

戦後、境川の向側に牧場がまだありましたので、私の子供の頃牛乳を買いに行き水木洋子さんとよく一緒になった事があります。水木さんも若くお元気で瓶を持って買いに行き、計り売りだったのを覚えています。 (八幡 O 女性)

お元気の頃良くお買物等でおみかけして居り、しゃきっとした様子を今でも目にうかびなつかしく思って居ります。 (八幡 S 女性 72歳)

思いがけずお住まいをみることが出来て、かつてお元気で外を掃除していらしたお姿や三和銀行でお会いしたことなどが、昨日のことのように想い出されました。かくしゃくとして素晴らしいお仕事をしていましたことは、数々のご本などを見てさすがと思いました。八幡にいらしたことを誇りに思い、今後も市川の遺産として維持してゆけるように思います。 (本北方 Y 女性 73歳)

石原食品店(現在のエコピア)で、水木先生が買物をなさっているお姿をつい最近のように思います。首からネックレスのように拡大鏡をさげ、品物をよくごらんになっていました。水木邸を今回拝見できまして(家具が立派)よかったと思います。(東菅野 S 女性 68歳)

水木さんの愛犬の遺骨を私共の寺で預かっている関係で、お元気な頃に2度お話をしたことがあります。ビデオを拝見し懐かしさと寂しさが一緒に湧いてきました。(北方町 妙正寺 男性 57歳)

水木洋子さんが広い庭で愛犬と共に暮らしていた様子がありありと浮かんでみえます。(板橋区 K 女性 69歳)

平成元年に我が家に、一匹猫が迷いこんできました。何日たっても庭から離れないので、我が家で飼うことにしましたが、その時付けていた首輪がバンドエイド補修されてたりしましたので、きっと年配の方が飼ってらしたと思い、私共は勝手に水木様のお宅から迷い込んだのではと思っているのです。今も健在ですか?今日、資料を見た中には猫のことは何も書かれてませんでしたので、思い違いかとも思えてきましたが。(八幡 Y 女性 54歳)

水木邸活用案

水木邸はどのように活用したらいいと思いますか(重要な役割と思う順に番号をふる)

(重要と思われる順) 1 2 3 4
水木洋子さんを中心とする文芸記念館 187 45 20 2 488
庭を楽しみながらお茶などが飲めるいこいの場 50 95 64 14 223
八幡の暮らしの分かるような生活資料館 38 61 39 41 179
文芸関係を中心とする団体などへの部屋貸し 10 31 29 83 153

自由筆記回答より抄録

水木先生の生活そのものが薄れないような活用方法をお願いしたいと思う。文学の香り、そして先生の業績を生み出した八幡の土地の香りを大切にしてほしい。文学にゆかりのある方々や、市川市ゆかりの方々の特別展の会場としてなど。また、市川市の文化の香りを求めて訪れる人々の必ず立ち寄るコースとして組み込まれることが、多くの人に知っていただく方策とも思う。市川市民の想い以上に、他の地域の方々の市川への憧れ、期待が大きいということに市川市民自身が気づき、市川市を大切にしていかねばならないのでは。


大変良い企画だった。作家について作品の展示は、一般的だが自宅の公開は珍しい。先生はじめ御家族の御好意に感謝したい。お陰で、先生の人となりに一層の理解、親しみが持てたこうした御好意に応える為にも、この邸や作品を大事にしていきたいと思う。


市民に広く芸術文化の香り高い水木邸を公開したのはよかったと思う。地域の文化活動の場として、地域の文庫のようなものもいくつかの活用方法の中で作って欲しいと思う。高齢化する地域社会にとって、心休まる場所としての活用も、一つの大きな価値がある、文化財のような建物や庭のつくりのように思われる。活用についての意見を集約したり、市民の声を広く聞く機会をぜひ設けてください。


市川の文化人の方々を知ると共に当人の暮らしのわかる展示。今回初めて水木洋子という作家を知ったが、ここに来て書斎やビデオを見ることによって、水木洋子さんの作品にとても興味を持つことができた。また、市川という町を文化の街としてあらたにみなおすことができた。


このような貴重な建物、八幡の昔からの雰囲気をいつまでも残していただけるよう市民の一人として希望します。若い人達にでも忘れられないような後世に残る企画をお願いします。毎年の公開を楽しみにしています。


表を通るたび、表札に変化はなく、しかし人の住む気配は感じられなくて如何なさっておいでかと思っていた。今回は図らずも見学でき、どのように暮らしておいでだったのかを偲んだ。邸宅前の通りを歩きながら一般の方のいただけるお茶会や日本古来の芸能ものの音などが聞こえて来たりすればぴったりの感じだと思う。


一年前には雨もり状態、床抜けの状態だったとお聞きした。大幅な手直しはせずに現状の傷みを修繕するのみと聞き、サポーターの方の御苦労や行政の方々の思いの結果、すばらしい水木邸がよみがえり感激した。お母様をなくされてからの10年間どんな思いで、お一人この家で生活なされたのかなと、とても心が痛んだ。今日を機会に水木さんを深く知りたくなった。


市川市やサポーターの方々のおかげで、草がしげって朽ちかけたお宅がみちがえるように変わられたのはうれしく思う。水木さんの作品のビデオを見て感想を話し合えるような機会があればよいと思う。


一年を通して庭が見られるようにしてほしい。生活がよく分かり作品とのつながりがよくわかった。ビデオでもっと多くの事を紹介する企画をしてほしい。


日本建築の良さを知るための見本として残して欲しい。水木洋子の映画を時折鑑賞出来るように企画して欲しい。


貴重な家屋を市民に開放して下さり、水木さんの生活、お仕事等が忍ばれ有り難く思う。当所で水木さんの作品の朗読などあればと思う。


文学講座などあるといいなと思う。大変良かった。水木さんの生活の匂いが感じられて親しみがもてた。

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