行徳観音札所以外の寺院

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更新日: 2008年12月26日

妙栄山妙好寺

 戦国時代永禄8年(1565)8月、千葉氏一族の篠田雅楽助(うたのすけ)清久が創建し、中山法華経寺の日宣上人を迎えて開山した。篠田雅楽助清久は、時の地頭で、永禄7年(1564)の国府台合戦で、千葉氏と共に小田原北条氏に味方をした恩賞としてこの地を与えられた。
 妙典の地名は、法華経の経典「南無妙法蓮華経」の如く妙なる教典であることから付いた。なお、船橋市法典は、もとはこの妙典の人々が開発したところから名付けられたといわれる。

 江戸時代檜山騒動の義士相馬大作が、旅絵師に姿を変え、当寺に潜居したと伝えられている。

妙好寺山門 (市川市指定有形文化財)

妙好寺山門 (市川市指定有形文化財)

 棟礼によると、妙好寺12世日秀聖人により、江戸時代中期宝暦11年(1761)7月に建立された。様式は木造切妻茅葺の四脚門で、全体に弁柄塗が施されている。江戸中期の特色が示されている。
 市川市内では茅葺の門は少なく、建立時代が判明している建物として、昭和43年(1968)2月に有形文化財に指定されている。山門の老朽化が激しいため、平成9年3月、修復工事が施工された。

顕本山清壽寺

顕本山清壽寺
 安政3年(1856)大津波ですべて流失してしまい、記録が残っていない。
元禄8年に日蓮宗に改宗した。

神猿おちか像

神猿おちか像
 昔、狩人が身持の猿を鉄砲で撃ち殺してしまい、その後、その家では三代にわたり耳の聞こえない長男が生まれた。
 
 占い師に見てもらったところ猿のたたりという事がわかり、親子七体の猿の姿を石に彫って供養してお祀りした後、たたりも無く、以来、耳病守護「神猿おちか」として当寺に依頼してお祀りをしてある。 

題目山常運寺

題目山常運寺
 小田原北条氏の家臣野地氏によって元和2年(1616)に建立。
 
 本尊の日蓮上人の像は、中山法華経寺3代管主の日祐上人の作で、亡くなったらお墓のところに小屋を作ってお祀りしてくれと言い残して亡くなった。その後、お参りに行くとこの像から南無妙法蓮華経の声が聞こえた。そのために「読経日蓮大菩薩像」と呼ばれるようになった。野地氏がお参りに行くと、この像から、私を祀れという声がした。お祀りしたいが、この像を持ってくるわけにはいかないので、大仏をつくって法華経寺に奉納し、この像をいただいて、当寺の本尊としてお祀りした。多くの人がお参りに来るようになり、病が治らない人が祈願すると、枕を返したように良くなったので、枕返しのお祖師さまと呼ばれるようになった。平成元年、火事で本堂は焼けたが、この本尊は残った。
日祐上人の作(墓横の小屋)

正国山妙応寺

正国山妙応寺
 永禄2年(1559)日忍上人の創建。
 境内に七福神が祀ってあり、当寺1ケ所で七福神をお参りできる。

真光山妙頂寺

真光山妙頂寺
 日蓮上人生存中の、弘安元年(1278)日妙上人の創建。永禄4年(1561)日忍上人によって、現在の地に移される。
 
 境内には200年以上の古木、百日紅(さるすべり)があり、毎年夏には紅色の花を咲かせる。また当時22世賢地院日彦上人(天保9年3月26日寂)の筆子塚があり、天保年間には当寺が寺小屋であったことが偲ばれる。
 
 寛保2年(1742)製作の釈迦涅槃図があり、畳十畳の大きな傑作である。8月20日の施餓鬼、11月13日のお会式に限って公開される。

正覚山妙覚寺

正覚山妙覚寺
 中山法華経寺の末寺。天正14年(1586)日通上人の創建。
キリシタン灯籠(織部灯籠)
 境内には東日本ではめずらしい、千葉県で唯一のキリシタン灯籠(織部灯籠)がある。江戸初期もしくは前期作の灯籠。中央下部に舟形の窪み彫りがあり、中にマントを着たバテレン(神父)が靴をはいた姿が陽彫されている。(靴の部分が地中に埋められている。) 
 
 この地方には隠れキリシタンがいた記録はない。
 
 
 

海近山円頓寺

海近山円頓寺
 明治14年(1881)行徳町の大火事で山門のみを残し本堂、庫裏を全焼し寺宝、寺史も焼失し、また大正6年(1917)の大津波により重ねて失われた。
 山門脇に、日蓮上人500年遠忌の安永7年(1788)建立の報恩塔がああるが、火を浴びた形跡がある。山門の建立の年代が不明であるが、相当古いものと思われる。
 
 本堂は昭和55年夏に完成した。
海近山円頓寺

 約30坪の総銅板葺きの入母屋式で、正面入口上に金文字の海近山の山号額は、江戸末期の書家、市河米庵(幕末の三筆)の筆による。山号は、「開権山」と呼ばれた時代もあった。

海近山の山号額

法順山正讃寺

 真間山弘法寺の末寺。平正3年(1575)の創建。日乘上人の開基。

 ※寺社の都合により、詳細は掲載いたしておりません。

照徳山本久寺

照徳山本久寺
 中山法華経寺の末寺。
 
 戦国時代の元亀3年(1572)の創建。日能上人の開基。
 隣の寺、中山末寺の本応寺(天正6年(1578)創建、日応上人開基)と併合し、本応山本久寺となった。(最初は浄延寺本久山といった。)山号がいつ本応山から照徳山に変わったかは不明である。尚、大正6年(1917)の大津波等により、寺史の資料が失われた。
 
 祖師本像は、身延山第11世法主の日朝上人の作。日蓮宗にとって貴重な宝物である。この祖師像は、目の病気の神様、眼病守護日蓮大菩薩として大切に祀られている。
 
 本尊は、一塔両尊。(南無妙法蓮華経の7文字を書いた塔。両尊とは、釈迦弁尼仏と多宝如来。)
 
 本堂の欄間には、日蓮上人の一生が彫られている。
 
 
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