行徳探検隊

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更新日: 2011年8月3日

三十三カ所一覧

第1番海厳山徳願寺(かいがんざんとくがんじ)

徳願寺
○松の木が歴史を伝える
 鴻巣の勝願寺の末寺で、もと普光院と呼ばれる草庵だったが、慶長15年(1610年)総連社円誉不残上人が新しく堂宇を建て寺院とした。寺名も、徳川家康の帰依により徳川の徳と、勝願寺の願をとって、徳願寺と名づけた。
本尊は、北条政子が運慶に作らせたという3尺2寸の阿弥陀如来像。
 門前に永代橋溺死供養塔がある。 この塔は文化4年(1807)8月15日、深川八幡の祭礼で、永代橋が崩れ亡くなった人を供養するために日本橋成田山講中の人たちが建てたもの。
 参道の正面に明治の初め葛飾八幡宮から、移された仁王像を安置している仁王門、その右手に袴腰の美しい鐘楼がある。
 広い境内には本堂のほか経堂や、聖観音菩薩像を安置した身代観音堂などがある。
 山門手前のお地蔵様は、宮本武蔵の達磨絵や書と共に、剣豪武蔵の伝承を徳願寺に伝えている。

第2番行徳山福泉寺(ぎょうとくさんふくせんじ)

福泉寺
○行徳さまの草庵あと
 行徳の地名の起りとなった修験者、行徳さまの草庵のあった行徳山金剛院がもとの2番札所だったが亨保年間(1716〜1736)に廃寺となり、二俣の福泉寺に聖観音像を移し2番札所とした。

第3番塩場山長松禅寺(えんじょうさんちょうしょうぜんじ)

○この辺りは塩場だった
 松戸馬橋、万満寺の末寺で、天文23年(1554)溟山和尚の開基。
 境内に六地蔵を彫った石柱がある。
 長松禅寺の山門が鬼門にあたるため厄除けに建てられたもの。
長松禅寺

第4番神明山自性院(しんめいざんじしょういん)

○勝海舟自筆の碑が建つ
 小岩にある真言宗善養寺の末寺で、法仙法師により天正16年(1588)に開基。本堂手前右に田中家の小作番頭、秋本九兵衛家の墓所に、勝  安芳(海舟)筆の熊谷伊助慰霊歌碑がある。勝が、「よき友」熊谷伊助の死を悼んで建てたもの。
 勝の「日記」の中には「松屋伊助」と記されている。
 伊助は、睦奥国松沢(現岩手県一関市千厩町)の出身で、屋号の「松屋」はこれに由来する。
 慶応年間に横浜のアメリカ商館の番頭の職を得た伊助は、奉公した江戸の酒屋の縁で行徳出身の妻と結婚したと言われている。
「よき友の消へしと聞くぞ、我この方心いたむるひとつなりたり。」

自性院

第5番十方山大徳寺(じゅっぽうざんだいとくじ)

○時を告げた寺
 東京芝、増上寺の末寺で光誉快山和尚が、元和元年(1615)建立。
 かつて、増上寺36世祐天大僧正を通して勅許を得た時の鐘があり、蓮田や塩場で働く人々に時を告げた。
大徳寺

第6番浄林寺(じょうりんじ)

○廃寺
浄土宗、今井浄興寺の末寺で、慶長2年(1597)に開基。本尊は妙典村の漁師が海中から拾ったものだったという。

第7番聖中山正源寺(しょうちゅうざんしょうげんじ)

○開かずの弁天さまがある
 寺の多い行徳で1、2を争う古刹で、文安元年(1444)正源上人の開基。本堂に盲目弁天といわれる弁天さまの厨子が安置されているが、開基以来開けたことがなく、ご開帳すれば盲目になるといわれている。
正源寺

第8番不動山養福院(ふどうさんようふくいん)

養福院
○無住のお不動さん
 小岩の真言宗豊山派、善養寺の末寺で天文19年(1550)の開基。 江戸川の土手と、河原の春日神社の間の細い道沿いにある。

第9番・第10番稲荷山雙輪寺(とうかざんそうりんじ)

○1度に2寺参拝したことになる。
 9番の竜灯山竜厳寺(りゅうとうざんりゅうごんじ)は宝徳元年(1449)養誉法印の開基。
 10番の稲荷山福王寺(とうかざんふくおうじ)は永享3年(1431)康信僧都の開基で行徳一の古刹、福王寺の先代住職が両寺を兼務していたが、江戸川放水路を造るために、龍厳寺の仏像や墓地が福王寺に移され、昭和16年(1941)合併されて稲荷山雙輪寺と改められた。
 幕末の三舟の書がある。
雙輪寺

第11番海中山了極寺(かいちゅうさんりょうごくじ)

 船橋の浄勝寺の末寺。
 京都伏見の阿波介が法然上人(圓空大師)の教えにより念仏者になり、衆生済度のための旅立ちをお願いし、上人は阿波介の願いを聞き、居合わせた弟子に上人の姿を写させ、不似の箇所は自ら訂正し阿波介に渡した。
 上人の真影を持って多くの人々を教化しつつ、下総行徳領浮島村(現在の高谷)の百姓・磯貝新兵衛の家に止宿し、村の人々を集め法話をした。彼の話に感銘した新兵衛は、阿波介のお伴をして旅立った。
 約半年後、中導寺金堂で阿波介は端座合掌して亡くなった。
 新兵衛は、阿波介の志を継いで、陸奥出羽を巡拝し故郷の浮島村に帰り、水鏡御影を本尊として草庵を結び元禄年中に再興して現在に至っている。
 貞享3年(1686)祐天大僧正により、法然上人の550回忌の法要が当寺で行われた。そのとき書かれた大僧正の塔婆を、村内に悪疫が流行した際に、塔婆を削って呑むと、悪疫が治ると評判になり、夜中に削り取る者がつぎつぎと現れたために、塔婆を本堂に安置した。現存する10月25日のお十夜に法然上人水鏡の御影と塔婆が公開される。
了極寺

第12番海岸山安養寺(かいがんざんあんようじ)

○小林一茶が訪れた寺
 天文3年(1534)建立。本堂回廊に、弘法大師誕生1200年を記念して、住職が四国八十八ヶ所を巡拝し勧請した各寺の石が埋め込まれている。はだしで踏んでお参りする感触はさわやかだ。
安養寺

第13番真宝山法泉寺(しんぽうざんほうせんじ)

○権現さまのお休み処
 元亀元年(1570)得譽上人の開山。
 昔は立派な寺だったらしい。
 徳川家康が民情視察を兼ねて東金に鷹狩に行くとき、3回ほどこの寺で小休止している。
 行徳33箇所のうち、第13番如意輪観世音菩薩と刻まれた石柱が唯一残っている。
 現在、清岸寺住職が兼務している。 
法泉寺

第14番仏性山法善寺(ぶっしょうざんほうぜんじ)

○松尾芭蕉の句碑が建つ
 慶長5年(1600)、大坂からきて塩焼を教えたという河本弥左衛門が出家し、宗玄和尚と名乗って創建。地元の人は塩場(しょば)寺と呼ぶ。
 本堂前の松の木下に、行徳の俳人たちが芭蕉百回忌に建てた句碑(潮塚)がある。「うたがふな潮の華も浦の春」
法善寺

第15番飯澤山浄閑寺(ぼんたくざんじょうかんじ)

○六地蔵が迎えてくれる
 芝の増上寺の末寺、寛永3年(1626)鎮譽上人の建立。最初は草庵に等しかったものを代官により七堂を備える立派な寺だったという。当時は近くの内匠堀から直接船で入れる池が有名だった。
 参道沿いの門前には、明暦の大火(1657)の供養塔として建立された六面塔があり、生き物が日ごろの行いの善し悪しによって生死を繰り返すことになる六つの世界の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人道・天道の六道が 彫られている。その隣には慶安3年(1650)銘の万霊塔、ならんで、慶安4年(1651)銘の延命地蔵六面塔と同じ目的で建立された半肉彫りの六地蔵が並んでいる。
 本堂左横に羽織を着て、よだれかけを掛け、帽子をかぶったお地蔵さんが建っている。これは昔行徳街道にあったものをここに移した。
浄閑寺

第16番・17番正覚山教信寺(しょうかくさんきょうしんじ)

○2寺合併の寺
 ともに今井の浄光寺の末寺、16番の仏貼山信楽寺と17番の正覚山教善寺が昭和27年に合併した寺である。それぞれの寺の一字をとり、教信寺となった。信楽寺は元亀元年(1570)の建立で古刹だったが、昭和20年1月28日の空襲で爆破された。
 二寺合併のため、境内には古い墓石が多い。また、本堂前に古い馬頭観音がある。
 偶数月に写経のつどいが開催されている。
教信寺

第18番・第19番関東山徳蔵寺(かんとうざんとくぞうじ)

徳蔵寺
○そろばん供養
 徳蔵寺は天正3年(1575)法印権大僧都乘意によって開基、18番医王山宝性寺と同じ小岩善養寺の末寺である。
 宝性寺は天正4年(1576)権僧都覚順により開基。長い間無住兼務で荒廃が続いていた。昭和40年半ばに本尊不動明王を徳蔵寺に移した翌日、暴風雨により本堂は崩壊してしまった。
 毎年12月31日に全国的にも珍しい「そろばん供養」が行われる。

第20番松柏山清岸寺(しょうはくざんせいがんじ)

○モダンな本堂
 浄土宗知恩院の末寺で慶長15年(1610)源心寺二世・行誉上人が建立。モダンなコンクリート作りの本堂に作られた法輪が避雷針の役をしている。
清岸寺

第21番来迎山光林寺(らいごうざんこうりんじ)

○家紋が描かれた升目天井
 今井浄光寺の末寺で、天文年間(1532〜1554)尊了和尚が建立。本堂内陣の天井は、大正5、6年に檀家から1円の寄進をうけ、寄進者の家紋が、天井を升目に区切ったその一つ一つに美しく描かれている。
光林寺

第22番仏法山法伝寺(ぶっぽうざんほうでんじ)

○珍しい石像にあえる
 芝増上寺の末寺で、天文22年(1553)観竜上人の創建。
 昔、地域の学問の場として、明徳尋常小学校という現在の南行徳小学校の前身があった。境内には、明徳尋常小学校の記念碑がある。
 本堂裏に地獄に落ちた人の生前の善悪を判定するエンマ大王とその判のために死者の衣をはぐ奪衣婆の石像と墓地に聖・十一面・千手・准胝・馬頭・如意輪の古い観音石像がある。
 本堂が平成14年3月に完成し、平成14年10月14日体育の日に落慶法要を行う。
法伝寺

第23番水奏山圓明院(すいそうざんえんみょういん)

○行徳街道に灯る提灯
 小岩善養寺の末寺。永禄3年(1560)覚厳和尚の創建。
 再度の火災で寺宝や記録は残っていないが、年号の確認できるものとして、山門と半鐘がある。山門は元文3年(1738)に建立。平成4年大改修のため解体され総欅造り、漆塗りの四脚門で、彫刻、檜模様等も当時の流行の先端を行くもので、行徳地区で年代の明確な建造物では最古のもの。
 本堂の外左側にある半鐘は天明8年(1788)宥海和尚によって造られたもので、「下総国本湊村」「水奏山蜜山圓明教院」と銘記してある。
 山門右側の地蔵は、昭和39年の墓地拡張整備工事の際に、土中から上面の宝珠地蔵と下面の六面地蔵が掘り出され、その上下を合わせて安置し、離れていたのが一緒になったので、「縁結び地蔵」と呼ばれている。
圓明院

第24番青腸山善照寺(せいようざんぜんしょうじ)

善照寺
○五智如来像が迎えてくれる
 芝増上寺の末寺、寛永2年(1625)開創。覚誉潮随上人が開山、青山四郎兵衛正貞が父伊予守家貞の菩提を弔うために建立したとされている。
 山門を入って左側に大日如来の智慧を表す、五智如来の大きな石仏がある。青山四郎兵衛正貞の子息である、青山四郎兵衛吉貞によって、万治元年(1658)2月15日に青山家有縁の供養のために建立されたもの。
 梵鐘は太平洋戦争時に供出し、現在の梵鐘は昭和30年に新鋳造したもので、鋳造師は人間国宝香取正彦氏である。重さ120貫、梵鐘の撞座(鐘をつく場所)は通常2ヶ所であるが、この梵鐘は4ヶ所と特殊なデザインである。

 法然上人像
 法然上人自信の作といわれる。鏡に映して作ったことから鑑御影といわれている。1月17日の初念仏会で公開される。
 

第25番西光山源心寺(せいこうざんげんしんじ)

○狩野浄天がねむる
 芝増上寺の末寺。慶長15年(1610)源誉上人観智国師が狩野浄天の私財によって堂宇を建立、開山した。
 境内左手にある高さ2メートルほどの六地蔵は、狩野氏が寄進したもの。墓地奥に観音国師、狩野浄天夫妻の五輪塔がある。共に市指定文化財。
源心寺

第26番親縁山了善寺(しんえんざんりょうぜんじ)

○吉田佐太郎の陣屋跡
 行徳で最古の寺である。足利持氏の家臣といわれる吉田佐太郎の陣屋跡として知られ、以前は、水路や土塁などの遺構があったという。
了善寺

第27番秋葉山新井寺(あきばさんしんせいじ)

○天狗のうちわが門扉についている
 船橋の栗原宝成寺の末寺で、元和2年(1616)能山和尚が開山したといわれる。
 本堂隣に静岡県袋井市にある可睡斉の秋葉三尺坊大権現より勧請した。火伏せの守り神、秋葉山があり、毎年11月18日、火防祈願祭が行われる。
 第14世慈潭和尚が元禄10年(1697)に、災害の多いこの地を津波から守るために、貝に法華経を書いて地中に埋めて塔を築き、その上で座禅したまま火葬になったといわれる「お経塚」が残っている(相之川交差点近く)
 行徳地区唯一の曹洞宗で29世松井好道住職は、千葉県宗務所長を兼任されている。健康でまじめな人を対象に人材の養成(心の仕事)に力を注いでおられる。
新井寺

第28番宝珠院延命寺(ほうしゅざんえんみょうじ)

延命寺
○久三郎とイネの恋物語
 小岩善養寺の末寺。慶長元年(1596)に真誉法師が創建した。
 
 境内右にねね塚とよばれていた首切り地蔵がある。
 天明2年(1782)生実の領主森川半弥の家臣久三郎とイネが駆け落ちし、女人禁制の江戸川を渡ろうとして捕らえられ処刑された。
 後に弔う人のいない2人を哀れんだ村人たちが埋葬地に石地蔵を建てて弔ったが、村人たちが通るたびに首が落ちていたので、首切り地蔵と呼ばれており、後に境内に移された。

第29番東海山善福寺(とうかいざんぜんぷくじ)

○魚を手にした弘法大師像
 小岩善養寺の末寺。明暦2年(1656)栄祐上人の創立。魚を手にした弘法大師の巡礼像は、漁師の町、浦安らしい。

 内匠掘の田中内匠の墓がある。
善福寺

第30番海照山花蔵院(かいしょうざんけぞういん)

○猫実漁民の信仰を集めた
 小岩善養寺の末寺で、天正元年(1573)の建立といわれる。創立者は不明。
 境内に、安永期から大正期にかけて月山、湯殿山、羽黒山の出羽三山や、西国、阪東、秩父百観音などの巡礼記念碑が多い。
花蔵院

第31番医王山東学寺(いおうざんとうがくじ)

○大師まいりでにぎわった
 小岩善養寺の末寺(というより奈良長谷寺の末寺)。元亀元年(1570)賢政上人の開基。
 本堂横に「浦安大師」と呼ばれる弘法大師の石像がある。戦前には、大師まいりが盛んだった。
東学寺

第32番清滝山宝城院 (せいりゅうざんほうじょういん)

宝城院
○行徳領最古の寺
 本山は奈良県の長谷寺、昔は小岩の善養寺の末寺であった。
 建久7年(1196)願行上人の開基、行徳・浦安地区最古の寺。権中僧都以上の位でないと住職になれないという格式の高い寺である。
 
 庚申塔(県指定有形文化財)
 元文元年(1736)賢宥法印によって建立。塔の表面中央に、邪鬼を踏みつけて押さえている青面金剛菩薩、その下に庚申の干支にちなんで「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿、菩薩の左右には二人の童子と雌雄の鶏、その下段にはさまざまな得物を持った四体の夜叉が見事に彫刻されている。これほど彫刻の破損が少ない庚申塔は全国的に見ても貴重なもの。

第33番光縁山大蓮寺(こうえんざんだいれんじ)

大蓮寺
○清々しい境内
 芝増上寺の末寺。
 天文13年(1544)小田原からやってきた旅の僧だった覚誉存栄大和尚の開基。この地に庵を立て、やがて堂宇を建立し、故郷小田原の大蓮寺と同じ名をつけた。

番外藤原観音堂(ふじわらかんのんどう)

○秘仏身代り観音
 木下街道沿いにある観音堂には、身代り観音が安置されている。元禄年間(1688〜1704)に行徳の開拓者が徳願寺から譲り受けたもの。33年に一度ご開帳され、次回2027年中。鎌倉前期の定朝様式の仏像で、箔押し寄木造り。船橋市指定文化財。
藤原観音堂

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