更新日: 2019年4月26日

「夢の教室」開催報告[2]

市川市で「夢の教室」を開催しています!

 市川市では平成27年度よりオリンピック・パラリンピック関連事業として、公益財団法人日本サッカー協会と協定を締結し、JFAこころのプロジェクト「夢の教室」を実施しております。
 今後も市内の市立小・中・特別支援学校において、「夢の教室」を開催していきます!
 
 JFAこころのプロジェクト「夢の教室」詳細についてはこちらをご覧ください。
 → http://www.jfa.jp/social_action_programme/yumesen/(外部サイト)
 
 
○各学校等での様子 ※【】内は授業を行っていただいた夢先生

第八中学校(3月16日、17日、18日、22日)【森友紀さん、佐藤愛子さん、吉田善行さん、式田高義さん】
妙典中学校(2月17日、18日、19日)【清水康也さん、桧野真奈美さん、秋本真吾さん、式田高義さん】
鶴指小学校(2月9日)【中西永輔さん】
第五中学校(1月19日、20日、21日)【京谷和幸さん、荒井美帆さん、徳田耕太郎さん】 
宮田小学校(12月18日)【小早川毅彦さん】
第七中学校(12月14日、15日、16日、17日)【江口晃生さん、片岡安祐美さん、式田高義さん、井上友綱さん、高橋健介さん】
第四中学校(12月8日、9日、10日、11日)【高橋良輔さん、寺島武志さん、式田高義さん、新井健二さん、山田隆裕さん】
中国分小学校(12月3日)【長谷川太郎さん、式田高義さん】
大洲小学校(11月27日)【土屋慶太さん、式田高義さん】
 
※協定締結式と5月21日から11月25日までに実施した「夢の教室」の様子はこちら
 

夢の教室@第八中学校

 平成28年3月16日(水)から22日(月)に市川市立第八中学校で「夢の教室」を開催いたしました。
 今回の夢先生は、フライングディスクを用いた団体競技種目アルティメットで2012年に日本代表選手兼監督として世界選手権で優勝し、現在、女子日本代表監督して活躍されている 友紀(もり ゆき)さんと、2007年アジア柔道選手権大会で優勝し、2008年北京オリンピックに出場、その後もグランドスラム・モスクワ2011、世界選手権柔道大会等数々の大会で優勝した佐藤 愛子(さとう あいこ)さん、2005年に総合格闘技でプロデビューを果たし、2007年にはウェルター級の初代王者に輝き、2013年からDEEP FCに活動拠点を移し現在もライト級のトップファイターとして活躍している吉田 善行(よしだ よしゆき)さん、
 また、アシスタントは、元なでしこジャパンの小林 弥生(こばやし やよい)さんにご担当いただき、お馴染みの元サッカー選手の式田 高義(しきだ たかよし)さんにはアシスタントと授業も行っていただきました。
森友紀さん
佐藤愛子先生
吉田善行先生
 森さんは、中学生時代はソフトボール、高校時代はハンドボールを行っていましたが、大学に入学し「アルティメット(※1参照)」というスポーツと出会いました。今までの部活生活では決められた目標に向かって頑張ってきましてが、この時、「学生日本一になりたい!」という目標・夢を自分で決めました。夢を叶えるためには、「まず、計画(作戦)をたてる、そして、実践(チャレンジ)する、さらに、どうして成功できたか、なぜ失敗したのかを考え修正する。そしてまた、チャレンジする!その中で、夢はでかくていい!作戦は細かく、叶えたいときから逆算して考えることが大切!」とお話して下さりました。そして、大学4年生のときに、全日本学生選手権大会で念願の優勝を果たし、夢を叶えることができました。次に森さんは「世界一になる!」という夢をもち、日本代表選手になるために練習に励んでいきました。しかし、共に日本代表を目指してやってきた友人だけが日本代表に選ばれ、自分は落選したりと思うようにいきませんでした。そこで、思い返してみると、日本代表になることがゴールになっていることに気づき、世界一への通過点として日本代表入りを目指そう!と思い直しました。そうすると、気持ちが変わり、練習も、生活も変わりました。そして、世界一を目指すため、会社を辞め、トップチームのカナダへ修行しに行き、ついに日本代表に選ばれ、2012年の世界大会で見事優勝を果たすことができました。最後に「夢を描いて、叶っている時を想像する。こうしたい、こうしたらいいんじゃないかい、夢までの道を予測することが大切」とお話して下さりました。
(※1アルティメットとは、各7人からなる2チームが100m×37mのコートでディスクをパスしながら運び、エンドゾーン内でパスをキャッチすると得点となる、球技にはないディスクの飛行特性を利用したり、スピードや持久力を必要とするスポーツです)
 
 佐藤さんは、小学3年生の時に父親が怖く、言われるがままに柔道をはじめ、親に褒められたくて「オリンピックで金メダルをとる!」と言っていました。当時は、本当の夢ではありませんでした。小・中学校と続けていく中で強くなり、全国中学生大会では3位になるまでになりました。高校に入っても続け、大学1年生の時に大人の大会で優勝することができ、そこで「オリンピックに行って金メダルをとりたい!」というのが本当の夢になりました。24歳の世界選手権で3位になり、オリンピックンに行けるのではないかと、周囲も期待し始め、翌年に北京オリンピック出場を果たしましたが、試合中にケガをしてしまい、マスコミからひどいバッシングを受けました。リハビリ中、世間やマスコミから、「佐藤の時代は終わった」と言われていた時、当時、柔道を指導してくれていた先生に「お前は幸せだな。オリンピックに行けるのはごくわずかだし、マスコミはたたいているけど、仲間や家族はいるだろう」と言われ、この時、周りや過去を振り返り、「今まで自分だけでがんばっていたつもりだったけど、そうじゃなく、仲間・家族・コーチの支えがあって、応援してくれている、支えてくれているみんながいることに気づき、感謝の気持ちでいっぱいになった。」とお話してくださりました。その後、オリンピックにでることよりも大切なものに気づけて良かった、気持ち的にこれ以上に楽しい、幸せな時はないだろうと世界選手権で優勝を果たし引退をしました。
 
 吉田さんは、父親が柔道の先生だったこともあり、5歳から柔道を始めました。中学からは、全国の強い選手が集まる講道学舎へ入り、レギュラーになることを目標に練習に励んでいました。そして、日本一になりたいという夢を持ち、高校3年生の時に、全国大会で優勝を果たし、夢を叶えることができました。大学生になって、柔道を続けるも次の目標が見つけることができませんでした。28歳まで、家で柔道を教えているだけの生活でしたが、テレビで総合格闘技を見て「すごい!」と思い、28歳で総合格闘技をはじめました。たいていは、高校卒業してすぐに始めるのですが、28歳からのデビューは遅く、苦労も多くありましたが、格闘技でも日本チャンピオンになりたいという夢を持ち、34歳の時にアメリカでデビュー戦を勝利で飾ることができました。36歳の時にケガをしてしまい、アメリカの大会への出場するための契約をきられてしまった。それもで、チャンピオンベルトをとる夢をあきらめることができず、37歳まで各国へ修行しに行き、ついにフランス大会に出ることができ、そこで、念願のチャンピオンベルトをとることができました。
「何事に目標を掲げ、常に挑戦することが大切だ。今も、日本で現役として試合をしており、挑戦し続けている。これから、新しいジムも作って、そこで世界に通用する選手を育てたり、格闘技の楽しさを伝えていくのが今の夢だ!」と熱く語って下さいました。
 
式田高義さん
小林弥生さん

夢の教室@妙典中学校

 平成28年2月17日から19日にかけて、市川市立妙典中学校において、「夢の教室」を開催いたしました。
 今回は、Jリーガーとして、ベガルタ仙台、サガン鳥栖、東京ヴェルディでプレーされ、現在はJFLのブリオベッカ浦安でプレーされている、清水 康也(しみず こうや)さんと、ボブスレー選手として、2002年から8年連続で全日本選手権に優勝し、トリノ、バンクーバーのオリンピックにも出場された、桧野 真奈美(ひの まなみ)さん、陸上選手として、200mハードルの日本及びアジア記録を所持しており、引退後の現在は、トップアスリートへの走り方指導や、子供達への陸上教室を行っている、秋本 真吾(あきもと しんご)さん、Jリーガーとして、ジェフユナイテッド市原(現・千葉)やアルビレックス新潟でプレーされた、式田 高義(しきだ たかよし)さんに夢先生として、授業を行っていただきました。
 アシスタントは、Jリーガーとして横浜マリノス(現 横浜F・マリノス)やスペインリーグのレリダで活躍された、安永 聡太郎(やすなが そうたろう)さんにご担当いただきました。
清水康也さん
桧野真奈美さん
秋本真吾さん
 清水先生は、
 「2歳年上の兄と、体育教師の父の影響でサッカーを始め、1993年Jリーグの開幕試合を見て、自分もこの舞台に立ちたいと夢見た。
強いチームに入ることができたものの、中学生になると試合に出ることができなくなり、チームを去ってもらうと宣告され、自分もあきらめかけていたが、父からの、『ここで逃げるな!やりたいことをやり続けろ!』『我慢して、コツコツやっていくしか目標を叶える道は無い』という言葉を受け、チームに残りたい一心で練習した結果チームに残ることができ、次第に試合に出ることができるようになった。この頃からプロサッカー選手が夢から目標になり、大学では250名もの部員の中からレギュラーとなって、試合でも活躍した結果、卒業時にプロサッカー選手になることができた。
 プロになってからは、2度の大怪我や、応援してくれていた父が亡くなったこともあり、サッカーを止めようかと思うこともあった。しかし、家族や周りの仲間から『あきらめるな』という声をかけられ、少しずつまた頑張ろうという気持ちになり、乗り越えることができ、今でも浦安のチームでJリーグを目指してプレーしている。」
と子供の頃から夢を叶え、現在に至るまでをお話下さいました。
 最後には、「今の夢はもう一度Jリーグの舞台で自分の思い描くプレーすること。夢を持っていると嫌なことがあっても頑張ることができるし、勇気を持って乗り越えることができる。みんなも継続すること、感謝の気持ちを忘れないで。」
とメッセージを送って下さいました。
 
 桧野さんは、スピードスケートでオリンピックを目指していた小学生の頃から、ボブスレー選手としてオリンピックに出場するまでをお話下さいました。
大好きだったスピードスケートを断念しなければならないほどの大ケガや、高校で陸上競技を始めたがケガによりやりきることができなかったこと、ボブスレーとの出会い、オリンピックに手が届いていたにも関わらず出場できなかったこと、4年後オリンピックの舞台に立つことができたときにあきらめないでよかったと思ったことなど、夢を叶えるためにいくつもの挫折を乗り越えてきたお話の中から大切なこととして、
 1.夢を持つこと どんなに小さくてもOK
 2.あきらめない どうしたら自分があきらめないで済むのか
 3.全力で どんな時でも
 を挙げ、
 「挫折は自分の経験や通過点。悩むことは悪いことではない。苦しい時でもあきらめず、自分を信じて、少しずつできることを積み重ねて乗り越えてほしい。」とメッセージを送っていただきました。
 
 秋本さんは、「小学生の頃、走るのが大好きで、大会に出場する度に新記録を打ち立てており、中学校での部活を楽しみにしていた。しかし中学に入ると陸上部は無く、仕方なく入部したバスケ部でも初心者だったため1年間体育館に入れてもらえず、また学校対抗の陸上大会でも成長痛により短距離種目の選手になれず、他に人がいないからという理由でなんとか棒高跳びの選手にしてもらえた。誰も教えてくれる人はおらず、出場した大会もビリだった。自分の思い描いていた中学校生活を送れていなかった。」とお話し下さいました。そんな状況の中から夢を叶えるまでに大切なこととして、
 1つは、中学時代にこのままでは終わりたくないという思いから、陸上、バスケともに自分で練習方法を考えながら練習=挑戦したことで、結果を出したことから「チャレンジ」すること。
 2つ目は高校時代陸上部でいくつかの種目を掛け持ちしていたが、インターハイに出たいとの思いから、自分が「これだ!」と感じた、400mハードル1つに絞って取り組み、見事全国大会に出場することができたことから「本気」でやること。
 3つ目は27歳の時にスランプで結果が出なかった際に、実業団の社長から「いつまで競技を続けるのか」と言われ、自分の中に「いつか何とかなれば良いか」という気持ちがあることに気づき、1年以内に結果を出すと宣言して、200mハードルでアジア記録を樹立したことから「期限を設ける」ことをお話し下さいました。
 また悩み事が多くなる中学生へ「人に対しての不満は解決することはないが、自分に対しての不満は自分で変えることができる。」とメッセージを送ってくださり、最後には「自分の今の夢は、マスターズ陸上に来年(35歳)出場し、100mでメダルを獲ること!みんなも一緒に頑張ろう!」とお話しいただきました。
式田高義さん
安永聡太郎さん

夢の教室@鶴指小学校

 平成28年2月9日(火)に市川市立鶴指小学校で、「夢の教室」を実施いたしました!
今回の夢先生は、Jリーガーとして、ジェフユナイテッド市原(現・千葉)、横浜F・マリノスでご活躍され、日本代表としても、1998年フランスW杯に出場されるなどご活躍された、中西 永輔(なかにし えいすけ)さんにお越しいただき、授業を行いました!
また、アシスタントは、Jリーガーとして、ジェフユナイテッド市原(現・千葉)、アルビレックス新潟でご活躍された、式田 高義(しきだ たかよし)さんにご担当いただきました!
中西永輔さん
式田高義さん
 中西さんは、小学生からサッカーを始めたといい、その楽しさに夢中になるうちにメキメキと上達し、2年生の頃には上級生に混ざって試合に出るようになったそうです。市や県のトレセンに参加するようになると、友達(仲間)が増え、どんどんサッカーが好きになっていったといいます。小学4年生の時に、W杯スペイン大会のテレビを見て、「あの舞台に立ちたい」と思うようになり、当時日本にはプロリーグが無く、W杯にも出場したことはありませんでしたが、「プロサッカー選手になってW杯に出たい」という夢を持ったそうです。
 しかし、中学生になると同時にサッカーの実力を妬んだ先輩からいじめを受けるようになり、1年半もの間まともにサッカーをさせてもらえず、サッカーを続けるか悩んだこともあったそうです。誰にも相談することができず、月1回行われていた県でのトレセン練習が唯一の楽しみとなっていましたが、ある時中西さんを中学校でいじめていた先輩が県のトレセンに参加することになりました。その時初めて小学校の頃からトレセンで一緒に練習していた先輩にいじめのことを相談すると、その先輩が中学校の先輩に歩み寄り、「永輔をいじめたら、俺たちが許さない!」と言い放ち、次の日から中学校でのいじめは無くなったといいます。
 高校進学をするにあたり、中学校でほとんど練習ができず、下手になってしまったため、進路を悩んでいましたが、親からの後押しや、自分の夢のためにサッカーの強豪校に進むことを決意し、四日市中央工業高校へ進学しました。練習は厳しいものでしたが、中学校でサッカーができなかった分楽しく、自分が上手になっているという実感を持つことができたといいます。その結果高校3年生の時にインターハイ3位、冬の全国大会で優勝することができ、プロからスカウトを受け、悩まず決断しプロサッカー選手となりました。
プロサッカー選手となった後も、オリンピック代表候補となるも、選出されなかったという悔しいことから、W杯に出たいという思いが強くなり、厳しいプロ生活の中必死に努力した結果、1998年W杯フランス大会のピッチに立つことができ、夢を叶えることができたとお話いただきました。
 
 中西さんは夢へと向かうお話の中で子ともたちへ、
 「夢に向かう時には波がある。下向きの時にどう行動するのか大事であり、上向きの時でも満足せずに考えて行動し続けることが大事。」
 「夢は小さな目標の集まり。1つ1つクリアしていかなければならない。」
 「夢をあきらめないことが大事。言葉で『あきらめない』と言うのは簡単だが、行動に移すととても難しい。思っているだけでは夢は叶わない。行動に移さないとダメ。」
 「100%叶う夢はない。が、夢に向かって頑張ることは無駄にはならない。夢が叶う確率を99,99999・・・%までは自分の力で持っていくことができる。夢が叶う確率を99.99999・・・%にするか0.000000・・・1%にするかは自分次第。」
 「みんなは今、大きな石をゆっくり積み上げている。積み上げるのにはとても時間がかかるが、間違った行動をすると、時間をかけて積み上げたものが一瞬で崩れてしまう。崩れた石をもう一度積み上げようとすると、より時間がかかる上に、今度の石は小さいものになってしまう。だからみんなには間違った行動はせずにまっすぐ進んでほしい。」
といったメッセージを送って下さいました。
 

夢の教室@第五中学校

 平成28年1月19日(火)~21日(木)に市川市立第五中学校において、「夢の教室」を開催いたしました!
 今回の夢先生は、19日(火)は、Jリーグで活躍さていましたが、不慮の事故により、車椅子生活になるも、そこで車椅子バスケと出会い、日本代表として、シドニー、アテネ、北京、ロンドンと4大会連続でパラリンピックに出場した、京谷 和幸(きょうや かずゆき)さん
 20日(水)は、シンクロナイズドスイミングで、2010年・2014年アジア大会で準優勝に輝き、2012年・2015年日本選手権水泳競技大会では、ソロで準優勝を果たした、荒井 美帆(あらい みほ)さんです。
 21日(木)は、フリースタイルフットボールで、史上最年少で全日本大会優勝、2012年の「Red Bull Street Style Japan Final 」では大会2連覇達成し、同年行われた世界大会において最年少世界チャンピオンに輝き、現在も国内外問わず活躍されている、徳田 耕太郎(とくだ こうたろう)さんです。
 また、アシスタントは、日産FC(現 横浜F・マリノス)、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)、横浜FC、ザスパ草津で活躍され、1999年には、U-20日本代表としてFIFAワールドユース選手権(現 FIFA U-20 ワールドカップ)において、史上初の準優勝を成し遂げた高田 保則(たかだ やすのり)さんと、高校時代にU-20日本代表に選出され、FIFAワールドユース(現 FIFAU-20ワールドカップ)に出場、高校卒業後は横浜マリノス(現 横浜F・マリノス)に加入し1年目から優勝に貢献、その後スペインリーグのレリダや清水エスパルス、柏レイソル等で活躍された、安永 聡太朗(やすなが そうたろう)さんです。
 
京谷和幸さん
荒井美帆さん
徳田耕太郎さん
 京谷さんは、小学5年生からサッカー選手になりたいという夢をもち、小・中・高と一生懸命練習に励み、高校卒業と同時にプロ契約を結び、夢を叶えました。しかし、交通事故にあい、脊髄を損傷し車椅子生活を余儀なくされ、サッカーを続けることができなくなってしまいました。
 退院後、市役所に手続きに行った際に、窓口の方に車椅子バスケを紹介され、それから、リハビリの一環として車椅子バスケをするようになりました。リハビリの中でプレーしたり、他のチームの試合をみたりしても余裕だと思っていたが、紹介をしてくれた方のチーム(日本トップレベルのチーム)の練習に行ったとき、練習はかなりハードで「自分には無理だ、俺はサッカーに戻るんだ!」と言って逃げてしまいまいました。それでも、仲間になかば無理矢理国体につれていかれ、そこでの試合は自分が思っていたものとは異なっていました。作戦会議で話した戦術が目の前で繰り広げられ、得点を決めている様子は、所詮生涯者のスポーツだろと馬鹿にしていたものではなく、「これは本当のスポーツだ!すごい!」と感動し、そこから車椅子バスケにのめり込んでいきました。
 その後、地元(室蘭)の仲間に会った際に、「サッカーをしていない京谷なんて、京谷じゃない」、「がんばれ」と言われるのが悔しく、皆の前で勢いでパラリンピックにでると言ってしまったこと、サッカー選手時代の仲間の結婚披露宴で、周囲はプロサッカー選手ばかりで、一人委縮してしまい、「この仲間と肩を並べて話がしたい」、「パラリンピックにでれば肩をならべて話せるのではないか」と思ったこと、そして、子供ができて、子供が誇れるパパになりたいと強く思うようになったこと、これらの出来事もあり、本気でパラリンピック日本代表を目指すようになりました。新たな夢を胸に、なると決めた瞬間から突っ走り、念願のパラリンピック出場を果たすことができ、再度夢を叶えることができました。
 京谷さんは最後に、「失敗は成長のもと、失敗は大きければ大きいほど成長する。失敗とどう向き合うか。音で聞くもの、目で見るもの、様々な出来事等、それらすべての出会いが学びと気づきを与えてくれる。出会いはチャンスであり、出会いひとつ一つに感謝することが大切だ」と力強く生徒たちにお話ししてくださりました。


 荒井さんは、TVでシンクロナイズドスイミングの選手が野生のイルカと泳いでいるのを見て、それに憧れ、小学3年生のときシンクロを始めました。
 地元のシンクロチームは弱く、地区大会でもビリでしたが、母が強いチームを探し、小学5年生の時に、むりやり日本トップクラスの強いチームに移籍させられました。そこでは、練習が週5日、平日は1日3時間、土日は7時間も行い、練習場所も電車で1時間の所になるなど、生活ががらりと変わりました。同時に、周りの仲間はすごい人ばかりで、早く自分も追いつきたいと、努力する習慣もつきました。中学・高校でもシンクロを続けましたが、優勝することはなく、大学生のときに北京オリンピックを生で見て感動し、そこで、オリンピック出場という夢が目標に変わりました。
 翌年の2009年に念願叶って、日本代表に選ばれるも、世界水泳5位という結果は、想像していたものではなく、とてもくやしく力不足を実感しました。2012年ロンドンオリンピック日本代表には、選考会において上位9人しか選ばれないのですが、0.5点差で10位だった。また、その年から制度が変わり、10番目の選手は、ロンドンオリンピック予選会までの補欠として日本代表メンバーに同行できるようになったが、10人目は、9人のうち誰かが大きな怪我等で試合にでられないときのみの選手であるため、大会に出られないのに、毎日12時間にもおよぶとても厳しい練習は肉体的にも精神的にもつらかったと当時のことを振り返っていました。
 しかし、考え方を変え「自分はオリンピックメンバーと練習できている、オリンピックメンバーとの練習は私しかできない。」と自分のために取り組み、また、「私が1人でも嫌な顔していたらチームの気持ちが下がる、一番つらいのは私だから、チームの前では泣き事やつらい等とは言っちゃダメだ」とチームのために練習にはげんだと、考え方一つでいろいろなことを乗り越えることができると生徒たちに熱く語ってくださいました。そして、日本はロンドンオリンピックの出場権を獲得し、同時に荒井さんの日本代表との生活も終わりました。その日の夜に仲間が荒井さんのために、大好きな歌を合唱してくれたり、アルバムをくれたりして、またこのメンバーと日本代表になりたいと強く心に誓いました。その後日本代表へ復帰し、ワールドカップ2位、日本選手権ソロ2位に輝き引退をされました。今の夢は、メイクアップアーティストとして、シンクロ選手にメイクを教えたいとお話ししてくださりました。
 

 徳田先生は、中学1年生の時、フリースタイルフットボールの本と出合い、リフティングの技を磨き始めたといいます。
初めて挑戦したリフティングの最中にボールを足で跨ぐ技では、1週間かけてやっと1回成功させることができました。たった1回の成功でしたが、「練習すればできるようになる」ことを実感し、色々な技へ挑戦していきました。
 中学2年生の時に、地元のお祭に呼ばれ、人前で初めてリフティングの技を披露することとなりました。緊張していたため、かなり失敗してしまいましたが、見ていた人たちから「すごい!」「どうやったらできるの?」と声をかけられ、拍手を貰いました。この時、「もっとうまくなればもっと多くの人に喜んでもらえる」と感じ、更に練習に取り組むこととなりました。
 しかし中学3年生になると脳挫傷という大きな怪我をしてしまい、1ヶ月ほど入院することとなりました。命には関わらなかったものの、後遺症として長距離を走る運動と水泳などをすることができなくなってしまい、小学1年生から続けていたサッカーをやめなければなりませんでした。幸いにもリフティングなどは続けることは許可されたので、今後はフリースタイルフットボールを続けていくことを決意し、高校へ進学しました。
 高校3年生の時に、フリースタイルフットボールの世界大会で日本人選手が準優勝したというニュースを見て、自分も大会に出場したいと思うようになり、直接その選手に連絡をとり、大会へ参加することとなりました。
 地方予選を勝ち抜き迎えた決勝トーナメントでは、ニュースで見た世界2位の選手と戦うことになり、初めは「無理だ」という気持ちが大きかったものの、次第に「自分の持っている力をぶつけてみよう!」という気持ちになり、新しい技を携え挑戦しました。相手がミスをする中、徳田さんは自分の技をしっかり披露することができ、見事勝利。そのままの勢いで日本チャンピオンとなりました。
 その後の世界大会では、今度は自分がプレッシャーに負けてしまい、予選落ち。その後その大会を観戦し、決勝戦の舞台で活躍し、優勝した選手を見て、初めて世界チャンピオンになりたいという夢を持ち、次の大会に向けて努力を重ねました。
 友達からの誘いも断り、2年間ひたすら練習を続けた結果、次の日本大会でも優勝することができ、世界大会へ再挑戦し、見事優勝することができたとお話くださいました。
 徳田さんは夢を叶えるために「努力=練習が必要。僕は楽しみながら練習を続けることができた。楽しみながら練習すると普通よりも多く努力することができる。それを続けることで夢に近づく。」とメッセージを送ってくださいました。
高田保則さん
安永聡太郎さん

夢の教室@宮田小学校

 平成27年12月18日(金)に市川市立宮田小学校において、「夢の教室」を開催いたしました!
 今回の夢先生は、大学時代には1年生時から4番を務め、三冠王を獲得し、1983年にドラフト2位で広島東洋カープに加入し新人王を獲得。ヤクルトスワローズに移籍後は、開幕戦で3打席連続ホームランを放つなどご活躍された、小早川 毅彦(こばやかわ たけひこ)さんです。
 また、アシスタントは、市川市夢の教室レギュラーに定着した式田 高義(しきだ たかよし)さんです。
小早川毅彦さん
式田高義さん
 小早川さんは、4歳の時にネフローゼ症候群《尿からタンパクがでてしまい、血液中のタンパクが減少し、体や顔にむくみ(浮腫)が起こる疾患》が発症し、食事制限や入院、運動禁止等、完治する小学4年生までつらい治療生活を送っていました。
 完治した小学4年生からはサッカーをしていましたが、中学にはサッカー部がなく、仕方なく野球部に入りました。当時の顧問は野球経験がありませんでしたが、それでも熱心に指導してくださり、一緒に成長しようというスタンスだったこともあって、自分たちもどんどん野球にのめり込んでいきました。高校は野球の名門PL学園に進学し、昼から夜遅くまで厳しい練習でしたが、甲子園出場という目標を掲げ、「とりあえず今日を頑張ろう!」と仲間と励ましあいながら毎日がんばり続けました。厳しい練習の成果もあり、見事甲子園出場を果たしました。このとき、甲子園球場の大きさ、そして大観衆に圧倒されたが、日々の厳しい練習のおかげで場の雰囲気に飲み込まれることはなく、日頃の準備がいかに大切かを知ったとお話をされました。
 その後、大学へ進学しプロ野球選手になるという夢をもち、厳しい練習の毎日をやり遂げ、卒業後プロ野球選手になるという夢を叶えました。
 小早川さんは、最後に、今の生活をあたりまえだと思わないで、周りの人に支えられていることに気づいて、感謝の気持ちをもって生活してほしい。と、病気時代や、中学高校時代の中で、家族・仲間・医師など、多くの人に支えられていたという実感から、生徒たちに熱く思いを伝えてくださりました。

夢の教室@第七中学校

 平成27年12月14日(月)から17日(木)にかけて、市川市立第七中学校で「夢の教室」を開催いたしました!
 今回の夢先生は、ボートレーサーとして、通算1,500勝を達成し、現在も現役選手としてご活躍されている江口 晃生(えぐち あきお)さんと、現在クラブチームの茨城ゴールデンゴールズの選手兼監督としてご活躍されている女子野球選手の片岡 安祐美(かたおか あゆみ)さん、市立船橋高校卒業後、Jリーグのジェフユナイテッド市原(現・千葉)、アルビレックス新潟でご活躍された、元サッカー選手の式田 高義(しきだ たかよし)さん、アメリカンフットボール選手として、早稲田大学で活躍され、本場アメリカでプロアリーナフットボール選手としてご活躍された、井上 友綱(いのうえ ともつな)さん、現役のフットサル選手で、日本代表やFリーグのバルドラール浦安、スペインリーグでもにご活躍されている高橋 健介(たかはし けんすけ)さんにお越しいただき、授業を行っていただきました。
江口晃生さん
片岡安祐美さん
 江口さんは、
 「小さい頃はプロ野球選手になりたいと思っていたが、体が小さく、自信が持てなかった。中学時代もミスをして人から笑われてしまい、嫌な気持ちになることがあったが、3年間しっかりと続けたことが自信になり、人の失敗を笑わないようになった。
 高校ではスポーツで日本一になりたいと思い、新たに水球にチャレンジした。ここでも体の小ささからマネージャーを勧められることもあったが、外から試合形式のプレーをずっと見ることで理解度が上がり、必要とされる動きが分かるようになった。その動きができるよう練習を続けていたところ、チャンスが来て試合に出場することができ、その試合で活躍したことでレギュラーになることができた。
 大学でも水球をやろうと思っていたが、大学から声がかからず、個人で体の小ささが不利にならない競技で日本一になりたいと思うようになり、ボートレーサーを目指し、ボートレースの学校へ入学した。そこでは厳しい訓練が待っていたが、自分の夢や、これまで苦しいことを続けてきた経験が自信となり、乗り越えることができ、デビューすることができた。ボートレーサーとして活躍するようになった今では、もっと体が小さくても良かったな、と思うようになった。」とお話くださいました。
 最後には「僕のモットーは『恐れるな、挑め成功の反対は失敗ではなく、何もしないこと失敗は成功するための武器になるから、恐れずに挑戦してほしい。そして、みんなには運の良い人になってほしい。自分のことを運が良いと言い、何事もポジティブにとらえることで、本当に運の良い人になることができる。」とメッセージを送って下さいました。
井上友綱さん
高橋健介さん
 井上さんは現在身長190cmですが、子供の頃から体が大きく、スポーツが大好きで、色々なスポーツをやってきたといいます。
「中学校では野球をやっていて、体も大きく、チームでも活躍していたことから天狗になってしまった。練習を熱心にやらなくなり、レギュラーから外されてしまった。もう一度練習をしっかりやろうと決意し、普段の練習に加えて、1日50球のキャッチボールを必ず行うようにした。その結果レギュラーに復帰し、試合に出ることができるようになり、『コツコツ努力』することでいい結果が出ることを学んだ。
 高校ではアメリカンフットボールを始めたが、ここでも天狗になりかけてしまった。しかし、『チームを強くしたい』という思いが芽生え、パスを投げるポジションだったことからチームメイトとコミュニケーションを取りつつ、再び1日100球キャッチボールを行い、コツコツ努力した。その結果府大会で3位になることができた。
 大学はアメリカンフットボールの強豪校に入学し、初めは周りのレベルについていけなかったが、コツコツキャッチボールすることを、色々な選手と行うことにチャレンジし、うまい人の技を盗むことや、キャッチしやすいボールを投げることを意識しながら1日150球のキャッチボールを行うことで、少しずつ成長し、試合にも出場できるようになった。
 大学在学中にアメリカでの練習や、アメリカ人選手とプレーする機会があり、成長することができた自分は、アメリカへ挑戦したいと思うようになった。アメリカでの挑戦はなかなかうまく行かず、入団テストにも落ち続けたが、再びコツコツ努力することと、アメリカの選手と一緒に練習することにチャレンジし、本場のプレースピードや自分の技能を磨き、7チーム目でやっと合格することができた。自分は『コツコツ努力』することと、『チャレンジ』することを続けた結果、夢に近づくことができた。小さなことかと思うかもしれないが、続けることで大きな力になる。みんなもそれを忘れず実践してほしい。」とメッセージをいただきました。
 
 高橋さんは、小学生の頃にサッカーを始め、北海道選抜に落選し悔しい思いをしたことから本格的に目標を持ってサッカーをするようになったといいます。
 「最初の夢はサッカーのコーチ(先生)になることで、全国大会に出場したいという目標もあった。努力を続け、高校生のときに全国大会に出場することができた。
 大学では日本一を目指し、強豪校に入学するものの、伸び悩み、監督から練習に来なくて良いと言われてしまった。高校時代の監督に相談した結果、言われたことだけを考え、言われたことだけを努力するだけではダメだと思い、考えながら努力することが大切だと気づいた。自分に厳しいことを言ってくれた大学の監督に感謝し、再び努力した結果、大学のAチームに入ることができた。
 ちょうどその頃、技術を高めるために参加したフットサルチームに、フットサル日本代表選手がいて、この人よりうまくなれば日本代表になれるのでは、と思うようになり、サッカーからフットサルへ転向し、新たにフットサルで日本代表になることが夢となった。
 フットサルの練習への行き帰り2時間に当日の練習の目標や反省をノートに記入するなど、ただ練習するだけでなく、考えながら努力した。友人にも支えられ、日本代表に選出されワールドカップに出場することができた。この頃から、夢と目標が一致し始め、代表の中心選手になることや海外でプロ選手になりたいという思いが芽生えた。慢心から1年間代表から外されてしまったことやケガで試合にでることができなくなってしまうこともあったが、周囲への感謝の気持ちを持って努力し、挑戦することで乗り越えることができた。」とお話し下さいました。
 そして12月8日に引退発表したこともお話しいただき、最後には生徒たちへ、
 「うまくいかないときに、あきらめずにどれだけ頑張ることができるか。そこで頑張ったことは必ず自分のためになる。夢を持つことは恥ずかしいことではないし、努力するためのパワーになる。夢に向かって進むためには、1歩踏み出す勇気が必要。努力し挑戦を繰り返すことで夢に近づいていく。夢へと向かう中で、必ず高い壁がある。そのときには周囲の人からの言葉やアドバイスが乗り越えるためのきっかけになる。周りの人に感謝し、お互い応援し合えるようになってほしい。」と熱くお話いただきました。

夢の教室@第四中学校

 平成27年12月8日(火)~11日(金)に市川市立第四中学校において、「夢の教室」を開催いたしました!
 今回の夢先生は、8日(火)は、元プロボクサーで、フォーカスカップ・ヘビー級トーナメントで優勝。また、日本人で初めてOPBF東洋太平洋ヘビー級ランカーとなり、さらに、クルーザー級タイトルマッチでは、日本人で2人目となる王座に輝いた、高橋 良輔(たかはし りょうすけ)さん。
 9日(水)は、大学入学後セパタクローを始め、JOCジュニアオリンピックカップで優勝し、日本代表に選出され、また、キングスカップ世界選手権大会で3位となり銅メダルを獲得した、寺島 武志(てらしま たけし)さんと、船橋市立船橋高校時代に全国高校サッカー選手権大会優勝を果たし、卒業後は、ジェフユナイテッド市原(現・千葉)やアルビレックス新潟にて活躍され、本市ではおなじみの式田 高義(しきだ たかよし)さんです。
 10日(木)は、アルビレックス新潟でDFとしてプレーし、その後、創設されたばかりのアルビレックス新潟シンガポールに移籍し、2年間キャプテンを務める等、海外リーグで活躍された、新井 健二(あらい けんじ)さん
 11日(金)は、高校時代、全国高校サッカー選手権、高校総体、全日本ユース選手権を制覇するなど6度の日本一を達成。卒業後は、日産自動車FC(現 横浜F・マリノス)加入しMFとして活躍され、日本代表にも選出された、山田 隆裕(やまだ たかひろ)さんです。
 また、アシスタントは全日程、市川市夢の教室準レギュラーになりつつある式田 高義(しきだ たかよし)さんです。今回も、夢先生・アシスタントともに活躍していただきました。
 
高橋良輔さん
寺島武志さん
 高橋さんは、大学受験に失敗し途方にくれているときに、テレビでマイクタイソンみて、ビビビ!と感じるものがあり、ボクシングでヘビー級チャンピオンになろうという夢をもちました。 しかし、通っていたジムを1か月でやめ、また、始め、また辞めを繰り返していましたが、プロ間近の友人に「もうちょいがんばれよ!」と激励されたことで奮起し、26歳で念願のプロボクサーになりました。
 それからは、勝ったり負けたりで、アメリカに武者修行にも行きましたが、なかなかチャンピオンになることができませんでした。そこで、「次、負けたら引退します!」と宣言し、自分を追い込み、そこからは、10連勝を果たしました。しかし、ヘビー級チャンピオンとの戦いに敗れたとき、元々ヘビー級の体格ではなかった高橋さんは、「自分の体格に合わないヘビー級に無理にこだわる必要はないんじゃないか、自分に合ったところで挑戦しよう!自分のあったところでチャンピオンベルトを巻きたい!」と思うようになり、1つ下の階級に変更し挑戦、見事チャンピオンになり、夢を叶えることができました。
 夢を叶えるためには、気持ちを強くもち、言葉にすることでさらに強くなれる。自分から挑戦する勇気をもって、あきらめなければ必ずすべてが益となる!と力強く生徒たちに語って下さいました。
 
 寺島さんは、小学3年生のときからサッカーを始め、リフティングが大好きでずっと続けており、小学5年生のときにはプロサッカー選手になりたいという夢をもちました。中学・高校と地元のクラブチームでサッカーを続けてきましたが、高校の途中で、仲間が移籍したり、指導者が変わったりでだんだんサッカーが楽しくなくなり、サッカーを辞め、夢をあきらめてしまいました。大学から再びサッカーを始めましたが、またすぐに辞めてしまいました。
 そんな時に、友人からセパタクローに誘われ、瞬く間に魅了され、これでもう一回がんばってみよう!と思い、日本代表としてアジア大会(4年に1度開催され、セパタクロー界ではオリンピックのような大会)で日本初のメダルをとりたいという夢を持ちました。小学生時代にずっとやっていたリフティングも生き、日本代表に選ばれましたが、アジア大会予選では1回も勝てずぼろ負けでした。この時まで支えてくれた仲間や家族に申し訳なく思い、皆への感謝を示すのはメダルをとることだと強く感じました。そこから、1+1を2でも3でもするため、努力・団結・チームワークを高め、見事アジア大会銅メダルを獲得することができました。
 最後に、今どうなりたいか、夢を自由にもってほしい。周りの人がみんなを支えてくれている、支え合っている仲間を大切にしてほしい。支えてくれている人への感謝の気持ちを忘れず、ありがとうの言葉を声にだして伝えていってほしい。と生徒たちに思いを伝えてくださりました。
新井健二さん
山田隆裕さん
 新井さんのサッカーとの出会いは、小学4年生のときに、国立競技場でのプロサッカーの試合観戦でした。中学からサッカー部に入部し、一生懸命に練習に励んでいたさなか、心臓病が見つかり、サッカーを禁止され、パニックになり周りがみえなくなってしまい、どんどんマイナス思考なってしまいました。ですが、病院の先生、家族、友人に相談し、助けを求めていくなかで、様々なアドバイスをもらい、徐々にやる気がでてきました。良い医師とも出会うことができ、無事に病を克服し、プロのサッカー選手になりたいという夢をもちました。
 大学入学後、技術の差を痛感し、またマイナス思考になりそうだったとき家族や友達からのプラスの言葉もらったことで、乗り切ることができたとお話してくださりました。大学卒業後、5チームでセレクションを受け、合格することができプロサッカー選手になることができました。3年で日本のプロを引退し、いろいろな経験をして、プレーする環境を変えたいと思い、シンガポールへ渡り、代表選手にも選ばれました。今は、海外で監督をすることが夢だと語ってくださいました。
 壁にぶちあたっても一人で悩まず、周りを頼れば、きっと仲間が助け船をだしてくれると生徒たちに、経験の中から学んだことをお話されました。
 
 山田さんは、静岡で育ち、当時はほとんどの人がサッカーをやっていたため、なんのきっかけもなく当然のようにサッカーを始めました。中学2年生のある朝、突然父親がいなくなってしまい(現在も行方不明だそうです)、母や姉を養わなければいけなくなり、14歳から働き始めました。学校→部活→アルバイトの毎日で、修学旅行にも行けず、夢や目標もなく、不安ばかりで楽しい思い出はなにもない生活だった。
 家庭の事情で高校にもいかず働くつもりだったが、サッカー名門高校の監督がスカウトに来て「あと数年でプロリーグができる。高校3年間死に物狂いでがんばってプロになれ」と言われ、それが希望との出会いとなった。「好きなサッカーもできて、家族も養うことができる、ここから人生が始まった」と生徒たちにお話ししてくださりました。
 18歳でプロサッカー選手になってやると心に決め、高校へ進学しました。高校時代では、朝6時から練習をして、夜は23時くらいまでひたすら練習をしていました。毎日辞めようと思うくらいきつく、毎日あきらめそうになったが、夢・目標があったからこそ最後まであきらめずにやってこられた。その結果、3年間で6回の全国優勝を果たし、18歳でプロサッカー選手になる夢を叶えることができたと語ってくださりました。
 夢や目標に期限を決めることで、今何をすべきかがわかってくる。そして、僕ができたのだから、あきらめないでほしい。たった一度の人生、結果はどうであれ、あきらめないでほしい。結果がダメでも、あきらめなければ、絶対に違う道がきりひらける。と熱い思いを語ってくださいました。

夢の教室@中国分小学校

 平成27年12月3日(木)に市川市立中国分小学校で「夢の教室」が開催されました。
 今回は、Jリーガーとして、柏レイソルやアルビレックス新潟、ヴァンフォーレ甲府でご活躍され、2014年にはインド・Iリーグでもプレーされた元サッカー選手の長谷川 太郎(はせがわ たろう)さんと市立船橋高校卒業後、Jリーグのジェフユナイテッド市原(現・千葉)、アルビレックス新潟でご活躍された、元サッカー選手の式田 高義(しきだ たかよし)さんに夢先生として授業を行っていただきました!
 
長谷川太郎さん
式田高義さん
 長谷川さんは、小学生の頃、サッカー漫画の「キャプテン翼」を読んでワクワクし、サッカーを始めたといいます。
 「リフティングを続けることでうまくなると思い、毎日練習していた。小学6年生の頃あるクラブの入団テストに落ちてしまい、サッカーをやめようと思ったが、一緒にサッカーをしていた仲間からもう1つ受けようと声をかけられ、自分もこのままやめるのは悔しいと思ったので続けることができ、柏レイソルの下部組織に入ることができた。
 高校1年生の頃はトップチームの練習に参加するなど絶好調だったが、2年生になるとケガを患い病院へ行くと、半年間サッカーができないと診断され、周囲からサッカー以外の道を勧められた。しかし、サッカーを始めたのは自分で決めたことだったので、やめることも自分で決めたいと思い、あきらめずやれることをやって頑張ろうと決意した。3年生の時にはケガも治り、これまで遅れていた分を取り戻すためにチームメイトよりも多く練習し、毎日シュート練習に明け暮れた。その結果トップチームの練習にも参加できるようになり、プロとして契約することができた。
 しかし、夢を叶えることができたが、次の夢が無くなってしまい、何のためにサッカーをやっているのか次第にわからなくなっていった。浦安でプレーしているときに海外へ挑戦することを決意し、インドでプレーする道選んだ。インドでは日本では当たり前のことが当たり前ではないことが多く、これまでの環境や支えてくれた人に感謝することができるきっかけになった。引退し、いろいろなことにチャレンジしてきたが、サッカーを通じていろいろなことを伝えたいと思うようになり、サッカーの普及のための活動をしている。今の夢はワールドカップの得点王を育てること。」とお話しくださいました。
 最後には「夢を追う中で大変だと思う時は、自分が大きく変わることができるチャンス。ここで頑張れば成長し、夢に近づくことができる。」とメッセージを送ってくださり、中国分小学校の夢の教室は終了しました。

夢の教室@大洲小学校

 平成27年11月27日(金)に市川市立大洲小学校で「夢の教室」を開催いたしました!
 今回の夢先生は、大学卒業後に海外へ渡り、ドイツやチェコのリーグでプロサッカー選手としてプレーされ、現在東京23FCでヘッドコーチを務められている、元サッカー選手の土屋 慶太(つちや けいた)さんと、市立船橋高校卒業後、Jリーグのジェフユナイテッド市原(現・千葉)、アルビレックス新潟でご活躍された、元サッカー選手の式田 高義(しきだ たかよし)さんにお越しいただき、授業を行っていただきました。
 
土屋慶太さん
式田高義さん
 土屋さんは、小学生の頃友達からの誘いでサッカーを始め、中学生の時にJリーグが発足したことで、将来Jリーグの選手になりたいという夢を持ったそうです。
 高校時代に、厳しい練習に耐えることができたものの、後輩に厳しく当たる部の風潮に耐えることができず退部し、新たに柔道を始めました。柔道はチームで戦うサッカーとは異なり、1対1で戦わなければならず、絶対に逃げないという気持ちや、足腰の強化など、一生懸命やった結果、後にサッカーでも役立つことを身に付けることができました。
 大学時代には再びサッカー部に入り、県の選抜チームに入るほどの実力を身に付けたものの、Jリーグのテストには不合格。その時、ドイツのチームが日本でテストを行うという情報を受け、チャレンジすることを決めます。その際に他の人から反対されることが多かったといいますが、自分がワクワクすることにチャレンジすることを選びました。初めは言葉や生活環境に慣れることができずに1人でとても苦労したといいますが、現地の方と積極的にコミュニケーションを取るようにすることで新しい友人も増え、少しずつ力を発揮できるようになり、プロの選手になることができたとお話いただきました。
 最後に土屋さんは、「夢や夢への進み方・方法は人と違ってもいい。1人になってしまったり、辛いこともあるかもしれないが、努力することで新しい仲間もできる。自分が本当にワクワクすることを見つけて、それに向かってチャレンジして欲しい。」と熱いメッセージを送って下さいました。
 

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