更新日: 2019年4月26日

市川市立高谷中学校で「夢の教室」を開催しました。

藤田 安澄さん(10月31日)
諸隈 直樹さん(11月1日)

概要

日時

平成30年10月31日(水)、11月1日(木)

場所

市川市立高谷中学校

夢先生

藤田 安澄(ふじた あずみ)さん 【女子サッカー、フットサル】
神奈川県出身。筑波大学在学中は女子サッカー部の一員としてプレーし、大学卒業後に高校の教員を務めながらフットサルを始めました。2002年に東京都リーグで優勝。翌2003年にブラジルのLondrinaに移籍しました。Kuat POPIOLSKI在籍時には、サンタカタリーナ州リーグで優勝。2004年の帰国後には、Parareds fusal世田谷、FUN ladiesでプレーし、全日本女子フットサル選手権大会、全日本選抜大会、東京都リーグ、東京都大会など数々の大会で優勝。2007年にはスペインに渡り、Mostoles 、Soto del Realでプレーしました。2009年の帰国後は、府中アスレティック、Aventura Kawaguchiでプレー。また、2007年に編成されたフットサル日本女子代表にも選出され、キャプテンとしてアジアインドアゲームズ連覇、第1回ワールドフットサルトーナメント出場などに貢献しました。2011年に選手生活を引退し、指導者に転身。クラブや選抜チームの監督、ブラインドサッカー日本女子代表のコーチなどを務めています。

諸隈 直樹(もろくま なおき)さん 【バレーボール】
佐賀県出身。鎮西高校時代、全国高校バレー選抜優勝大会で優勝、インターハイでも2度の優勝を成し遂げ、全日本ユース代表として世界大会でベストスコアラーを獲得。進学した法政大学でも、ユニバーシアード日本代表として2度の世界大会出場を果たしました。卒業後は、富士フィルム・プラネッツに加入、ウィングスパイカーとして活躍しました。2002年には、同チームの廃部により豊田合成トレフェルサに移籍。2008年シーズンを最後に現役を引退しました。また、2000年に初選出された全日本でも、2002年のアジア競技大会3位獲得に貢献するなど、長きに渡って活躍。現在は、株式会社キャリアスポーツを設立し、代表取締役として活動しています。また、2009年にはバレーボール全日本男子のコーチに就任しました。
 

内容

藤田 安澄さん
小学生でサッカーをやり、中学でバスケをやり、21歳になって再びサッカーに出会いました。大学卒業後は高校教員になりましたが、生徒のことしか考えられなくて、好きなことができず、気持ちが下がっていました。そんな時、フットサルと出会い、プロのフットサル選手になり、女子の日本代表になりたいという夢を持ちました。そのためにブラジルに行ったりスペインに行ったりして、行動に移し、2007年に女子フットサルの日本代表ができキャプテンになることができました。藤田さんは「途中で夢が変わってもいい。その時その時に持っている夢が一番いい夢だから。」「夢はいつ持ったっていい。今持つ夢が全てではないから、変わってもいいし、いつ持ってもいい。」「継続は力なり、から、さらなる継続は宝なり、から、永遠の継続は歴史なり!」と名言を残してくださいました。

諸隈 直樹さん
高校で強豪校に進学し、日本一になる夢を持ち、2年時に日本一になりました。大学に進学し全然勝てずモチベーションが下がる中で、ユニバーシアード代表に選ばれました。自分より上手い先輩がいる為、試合に出ることは難しかったが、チームのために行動し、練習も一生懸命やり、世界2位になりました。大学卒業後は、富士フィルムに入団したが、翌年廃部。決めた移籍先は弱小チームでした。理由は自分が行って、強くして、目立って代表になる為でした。諦めなかった結果、25歳で代表に選ばれました。その後怪我をして、復帰後チームは、Vリーグの決勝リーグに残れるまでになり、結果は4位でしたが、これ以上ない準備・練習の結果だったので、夢は叶わなかったけど、夢の為に全力を尽くすことの大切さを学び、引退されました。諸隈さんは「夢や目標を持って頑張ることはすごく大事なこと。夢を持つと得られるものは、[1]諦めない心[2]仲間を大切にする気持ち[3]行動力!」と心に残るお話しをしてくださいました。
 

本市取り組み方針

この事業は、東京オリンピック・パラリンピック競技大会に関連する本市の取り組みの目標・方針のうち「方針2こどもの体験活動の充実」に位置づけられる事業です。

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