文化財(県指定)茶道 式正織部流

茶道 式正織部流(しきせいおりべりゅう)

茶道 式正織部流

安土・桃山時代の茶人・古田織部正重然(ふるたおりべのしょうしげなり、1544~1615)を始祖とする茶道の流派です。古田織部正は信長や秀吉に仕えた武人ですが、茶道を好んで千利休(せんのりきゅう)に茶の湯を学び、利休高弟七哲の一人に数えられています。利休亡き後もその名声は高く、徳川2代将軍秀忠の茶道師範を務めるほどの地位を得ました。また織部焼、織部灯籠などにも名を残す文化人です。武人としては、従五位下織部正に任ぜられた天正13年(1585)に山城国西岡領3万5000石の大名となり、家康にも仕えましたが、慶長20年(1615)大阪夏の陣で豊臣方に内通したとの嫌疑により自刃しています。

式正織部流の特色は、利休の「侘」「数寄」を強調した「私の茶」である侘茶(わびちゃ)に対して、正式な儀礼の「公の茶」であるといえます。それは草庵の茶室ではなく、書院式茶室で点てるのを基本とする格調高いもので、武家的な折り目正しさが感じられます。

利休の侘茶との違いは、茶道具をじかに畳に置くことなく盆にのせて扱い、濃茶、薄茶とも呑み回しせず各服点てで、帛紗(ふくさ)は道具用と勝手用の2種を使い分けるなどがあり、合理的で衛生的な面がみられます。

織部焼(おりべやき)

メモ

桃山時代末に美濃地方で始まり、江戸時代には瀬戸で描かれた陶器です。独特の形状と青や黒の釉薬(ゆうやく)、簡素な絵が特徴で、古田織部が好み、指導したと伝わります。

文化人 古田織部

メモ

文化人らしく、門下には庭園で知られる小堀遠州(こぼりえんしゅう、1579~1647)や、蒔絵など美術工芸で名高い本阿弥光悦(ほんあみこうえつ、1558~1637)がいます。

アクセス

所在地
国府台3-8-2
交通
JR総武線市川駅からバス「国立病院」下車5分
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