文化財(市指定)本阿弥光悦分骨墓
本阿弥光悦分骨墓(ほんあみこうえつぶんこつぼ)

本阿弥家分骨墓から小道をはさんで5メートルほど離れたところに、ひっそりと立っています。
大正15年(1926)に京都の光悦会が再版した『光悦』という本によれば、「翁(光悦)の碑の法華経寺にあるものは、一基の碑なれども甚だ小さく、而も後方にあり、加ふるに苔むし傾きたれば、平常詣者の眼を惹くことなかるべし」と書かれています。市川市が本阿弥家分骨墓を文化財に指定した昭和36年にも目にふれず、その後光悦研究家によって探し出されました。
大きさは高さ80センチメートルあまり、幅37センチメートルほどの舟形をした墓石で、中央に「妙法了寂院光悦日豫尊霊」、左右に「寛永十四丁丑年、二月三日」と光悦の命日が彫られています。江戸時代初期の大芸術家として知られるわりには、実に質素な墓石です。
本阿弥光悦(1558~1637)。江戸時代初期の芸術家で、本業の刀剣鑑定のほかに絵画、彫刻、陶芸、茶道でも数多くの功績を残しました。墓は京都市北区の光悦寺にあります。
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