更新日: 2023年6月20日

市川市立下貝塚中学校で「夢の教室」を開催しました

寺﨑 直樹さん
酒井 友之さん
浦田 聖子さん

概要

日時

令和5年6月7日(水曜)、6月8日(木曜)、6月9日(金曜)

場所

市川市立下貝塚中学校

夢先生

寺﨑 直樹さん【第2代 Krush-65キログラム級チャンピオン】

千葉県出身。幼稚園時に野球を始め、中学2年時に断念。23歳のときに空手と出合いました。2004年に第15回全日本新空手道選手権大会の中量級で3位入賞。同年、全日本キックボクシング連盟(当時)のプロライセンスを取得し、プロデビューを果たしました。その後、膝の手術などさまざまな困難を乗り越え、2014年7月、K-1などで活躍している初代チャンピオンのHIROYA選手から1ラウンドKO勝利を挙げ、第2代Krush-65キログラム級チャンピオンに輝きました。

酒井 友之さん【元プロサッカー選手】

埼玉県出身。ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)ユース所属の高校3年時にJリーグデビュー。翌年に同チームとプロ契約し、万能型のMFとして1年目から主力として活躍しました。1999年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユース(現 FIFA U-20ワールドカップ)に出場、日本史上初の準優勝を果たしました。2000年にはシドニーオリンピックに出場し、決勝トーナメント進出。同年には日本代表にも選出されました。2001年には名古屋グランパスに移籍。以降、浦和レッズ、ヴィッセル神戸で活躍し、2009年7月に藤枝MYFCに加入。その後2010年9月にインドネシア・スーパー・リーグのペリタ・ジャヤに加入するとペルセワ・ワメナ、ペルシラム・ラージャ・アンパット、デルトラス・シドアルジョと4チームを渡り歩き2013年シーズンまで活躍しました。
その後はJリーグ浦和レッズで、ハートフルクラブやアカデミーのコーチなどサッカーの普及・育成の仕事についています。

浦田 聖子さん【元プロビーチバレーボール選手】

佐賀県出身。小学校2年生の時、父親の転勤で佐賀県から千葉県に引っ越し、私立共栄学園中学校に入学。そこから本格的にバレーボールをはじめました。1995年全日本中学校女子バレーボール選手権大会でベスト4を記録。そのまま共栄学園高校に進みバレー部に所属すると1998年春高バレー(全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)や、インターハイ(全国高等学校総合体育大会)にも出場。また、高校時代には日本選抜に選出されアジアユース選手権で優勝も経験しました。
高校卒業後は、1999年にVリーグ女子のNECレッドロケッツに入団しプロ選手生活をスタートします。レッドロケッツでは、Vリーグで2回の優勝にも貢献しました。 2002年にインドアバレーからビーチバレーに転向。2004年にワールドツアーでは7位入賞、ビーチバレージャパンにて優勝するなど、力を伸ばし実力派プレーヤーとなりました。2006年には日本代表選手としてカタールのドーハで開催されたアジア大会に出場しました。現在は、子育てをしながらビーチバレーの普及や解説などをしています。

内容

寺﨑先生は、「先生もみんなと一緒で悩みがある。みんなには3つのことを大切にしてほしい。1 あきらめないこと。ほとんどの人が言うけど、無駄な努力は決してない。諦めてしまうこともあるかもしれないけど、また挑戦すればいい。2 人を変えるのではなく、自分が変わる。3 好きなことをやろう。好きなことをやることは、つらいことも忘れられる。みんなもこの3つのことを意識してこれから頑張っていってほしい」と語ってくださいました。

酒井先生は、「決してあきらめない気持ちが大事。結果は後からでる。くじけずに頑張ってほしい」「夢を目指せば、壁にぶつかる。大きい壁であればあるほど、乗り越えた時の達成感は大きい。乗り越えれば自分の糧になり、自分を守ってくれるパワーになる」「人それぞれには夢を輝かせられる原石がある。叶えられるかは自分次第」と語ってくださいました。

浦田先生は、「自分のこれまでの経験の中で、頑張っていれば誰かが見てくれることを学んだ。あきらめない気持ちが大事」「悔しい出来事やピンチの時こそチャンスが生まれる」「色々なことにどんどんチャレンジしてほしい。チャレンジは成長。失敗はしてもかまわない。学んで次につなげることが大事。チャレンジしなかったことに対して後悔するのは絶対にダメ。怖がらずに1歩ずつ踏み出してほしい」と語ってくださいました。

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