更新日: 2024年3月5日

曽谷・宮久保界隈

縄文の散歩道 曽谷・宮久保界隈発見マップ

「市川市内の町を歩いて、見て、知ってもらう参考に」と職員が手作りで地図を作成しました。地域ごとの特色を紹介していて、11種類(平成13年8月1日現在)の「散歩道マップ」があります。
マップ表
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マップ裏
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曽谷地区デジタル街案内

曽谷の見どころをご案内いたします。

携帯でも、曽谷の見どころ案内や道中案内をしてます。
【携帯版】曽谷地区デジタル街案内
http://www.city.ichikawa.lg.jp/bunka/soya/
曽谷地区デジタル街案内地図

(1)曽谷小学校前

写真:曽谷小学校前桜祭り
曽谷小学校の東側にある旧曽谷用水路に沿って南北に約600メートル続くソメイヨシノの桜並木があります。
曽谷用水路は現在では蓋がされ歩道になっているので、毎年4月上旬に「桜祭り」が開催されます。
いちかわ景観100選にも選ばれました。
1本だけ深紅のカンヒザクラがあります。

(2)山王公園

写真:山王公園

写真:山王公園 句碑
山王公園の北側に、昭和20年から42年まで市川に住んだ俳人阿部ショウ人(あべしょうじん)の句碑「考へる事がひとりの 凍て拳」があります。
(※ショウの漢字は、たけかんむりに「肖」)

(3)曽谷貝塚

写真:曽谷貝塚
市川市には3つの国指定の貝塚があり、その1つが曽谷貝塚です。
指定されたのは昭和54年で一番遅いですが、貝塚の広さは、東西210m・南北240mもあります。
現在までの発掘で、人骨20体、竪穴住居跡45軒などが出土しています。
他に、ハマグリ、アサリ、オキシジミなどの貝殻、コウイカの骨、オニグルミの果穀片、イノシシやニホンジカの骨片や、骨製の針・釣り針、貝輪・貝刃、石槍、石斧、石鍬、石でできた土偶なども出土し、その食生活を想像できます。この曽谷台は縄文時代の人々にとって暮らしやすい場所だったのでしょう。
また、曽谷貝塚の周りには、庚申貝塚、明神前貝塚、向台貝塚など、たくさんの貝塚があります。
毎年秋には、ここで縄文祭りが行われます。

文化財(国指定)-曽谷貝塚


(4)弁天池

写真:弁天池
弁天池公園の弁天池は、国分高校から東に向かう谷津の頭にあたる所にある池で、曽谷貝塚の縄文人が飲料水として利用していたと言われています。
昔の弁天池には、じゅんさいがたくさん生えていて、じゅんさい池と呼ばれていた事もありました。
地元の人は池の周りの土地を池之端と言い、松戸側の小高い土地を池の台と言います。この呼び名から、谷津や台地の関係も想像することができます。
また近くには曽谷一族の住む曽谷城があったが、室町時代に千葉一族同士の戦いに巻き込まれ曽谷一族も2つに別れて戦った。この戦いで曽谷城が落城し、百合姫が悲しみのあまり、この弁天池に身をなげたと伝えられています。

(5)春日神社

写真:春日神社
写真:春日神社
この春日神社は明治12年の地図には、「八幡 祠」となっていますが、明治36年の地図では、春日神社となっています。
春日神社の祭神は天兒屋根命(アメノコヤネノミコト)で、寛文11年(1671)に大改築され、元禄時代の検地帳に記載されている古社です。
境内には安永6年(1777)の道六神を納めた祠があります。
境内に明治27年建立の軍馬徴発記念碑があります。
大野、鎌ヶ谷、市川、東京への道標文字も刻まれています。
各家で皆馬を持っていた昔、正月2日に、春日神社の前の通りで馬の駆け足競走が行われていました。

(6)賀茂神社

写真:賀茂神社
賀茂神社の祭神は加茂別雷命です。
毎月10日には、地域の人々が集まり、「南無妙法蓮華経」と唱えながら太鼓を叩いて社をめぐる神仏習合の習俗が残っています。

(7)七面大明神

写真:七面大明神
木々が鬱蒼と茂った中に、湧き水があり、おしょうが池と呼ばれています。
そのほとりに七面大明神と大きく書かれた石の鳥居があります。
かつては蓮正寺境内にあり、地域の人々に七面様と呼ばれて、毎月25日に祭りが行われていました。
現在では、池は造成され、周りの木も切られてしまいました。

(8)曽谷城跡

写真:曽谷城跡
曽谷城の土塁や空堀の一部が残っており、下側の土地は根古谷と呼ばれていました。寄居、根古谷、堀之内と呼ばれる土地の近くには館や城があった事が多いようです。
かつて、曽谷殿が愛した鳥石がありました。底辺が1m余りの青色の三角石で、黒い鳥の紋が表れていたことから、鳥石と呼ばれていました。
江戸時代中期、曽谷を訪れた儒学者の服部南郭と書家の松下雨石たちは魅了され、雨石は鳥石と改名してしまいました。彼らは延享元年(1744)に安国寺境内に王義之の像をまつり、雨石の「晋右軍王公廟」の書を彫った石額をかかげました。寛政3年(1791)の暴風雨で壊れましたが、今も残っています。鳥石は東京都大田区の盤井神社に残っています。
曽谷城が滅びた後、ここに最初に住んだのが梶尾弥平太であったので、この辺りは曽谷字弥平太と呼ばれています。
現在、曽谷城跡のほとんどは個人宅となっており、見ることはできませんが、台地の上の一部のみ公園化されて、国分の台地が見渡せます。

(9)馬坂

写真:馬坂
県道の、春日神社―NTT市川曽谷―曽谷公民館前バス停までの坂は、馬坂と呼ばれています。この県道高塚新田市川線はまっすぐ東西にのびていますが、明治12年の地図にはなく、国分寺そばの経王寺からのびていた西からの道は、国分川や田を突っ切り、曽谷城跡のある曽谷台地にぶつかり、台地のへりに沿って南下していました。
一方、東側の道とその西側の道を結び付けるには、春日神社からのすべりやすい粘土質の急斜面を登らなければなりませんでしたので、馬坂と呼ばれたのかもしれません。
セントラルスイミング左脇の竹やぶが茂る急な坂を馬坂と言う人もいます。

(10)辰の口公園

写真:辰の口公園
毎年10月、子ども秋祭りが行われ、ここから2基の子ども神輿が出発します。
また、この公園を中心に地域の人々が集まって定期的な清掃活動をおこなうなど、地域の人々に親しまれている公園です。

その他の情報

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