更新日: 2022年3月11日

永井荷風 市川の文化人

永井 荷風  ながい かふう  小説家・随筆家

文学の散歩道 近代文学の道 表紙

1879年(明治12)~1959年(昭和34)
〔1946年(昭和21)~1959年(昭和34) 市川市菅野・八幡在住〕

東京(現・文京区)生まれ 本名壮吉。
若くしてアメリカやフランスに外遊し、『あめりか物語』(明治41)、『ふらんす物語』(明治42)を著す。
明治四三年慶應大学教授となり「三田文学」を主宰創刊。あいつぐ発禁処分を経て、江戸文化、趣味への傾斜を深める。
随筆『日和下駄』(大正4)、小説『腕くらべ』(大正6)、『つゆのあとさき』(昭和6)、『墨東綺譚』(昭和12)、オペラ「葛飾情話」(昭和13)など多数。
昭和20年戦災で自邸偏奇館(現・港区)を焼失、疎開ののち、昭和21年より市川に移り住み、終焉の地となる。
(『市川の文学 散文編』市川市文学プラザ 2012年より)
 ※墨東綺譚…「ぼく」は正しくはさんずいに墨

永井荷風が市川に移ってきたのは昭和21年1月のことです。はじめは菅野の大島一雄方へ、翌22年1月同じ菅野のフランス文学者小西茂也方へ移り、さらに23年12月菅野1,124番地(現在東菅野2-9-11)に18坪の家を32万で購入して移転しました。
その後、昭和32年3月京成八幡駅にほど近い、現在の八幡3丁目25番に家を新築して転居しました。この家が荷風終焉の地となったのです。
彼の死は昭和34年4月30日のことで、市川には13年ほど住んでいたことになります。その間、昭和27年には文化勲章を受章しています。荷風の作品中、かれの生活を最もよく物語っているのが「断腸亭日乗」という日記です。また市川周辺の風物を描いた作品には「来訪者」「或夜」「羊羹」「畦道」「にぎり飯」「買出し」「葛飾土産」などがあります。
(『市川散歩NO.2 八幡・曽谷・大野』市川市教育委員会より)

2004年(平成16)に市川市名誉市民となる。
市川市中央図書館に永井荷風コレクションが設けられ、市川市文学プラザ(現:市川市文学ミュージアム)では荷風に関する展示が定期的に行われてきた。
市川の文化人展や、市川・荷風忌など顕彰事業も盛んである。

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