更新日: 2021年10月21日

【終了しました】昭和の市川に暮らした作家 中野 孝次

中野孝次 なかの・こうじ 独文学者・作家・評論家

1925(大正14)~2004(平成16)
〔1925(大正14)~1945(昭和20) 市川市市川・須和田在住〕
展示風景
 安岡章太郎(やすおかしょうたろう)(1920~)に遅れること4年、中野孝次は、大工である父が関東大震災の年、日光今市(いまいち)から市川へ移り住んだ関係で、国府台下の根本(現市川4丁目)に生まれました。1936年(昭和11)、須和田の六所 (ろくしょ)神社そばに、父が自分の家を建てたので一家で転居し、1945年(昭和20)まで須和田で過ごしました。
 中野にとって、市川は青年期を送った重要な場所であり、日本エッセイストクラブ賞を受賞した『ブリューゲルへの旅』(1976・昭和51)や、平林たい子文学賞を受賞した『麦熟るる日に』(1978・昭和53)などに、変貌していく市川や真間周辺の様子が、自伝的に記されています。

展示内容

中野孝次『麦熟れるる日』1978 河出書房新社
中野孝次『ブリューゲルへの旅』1976 河出書房新社
中野孝次『ひとり遊び』1990 朝日新聞社
中野孝次『著名人の思い出ポロリ』1995 文溪堂
中野孝次『50歳からの生き方』2004 海竜社
中野孝次『生きたしるし』1990 文藝春秋
中野孝次『清貧の思想』1992 草思社
 埃(ほこり)をかぶった古い家並のつづく国府台街道の、街道より一段低まった裏手に、根本と呼ばれるごみごみとかたまった地区があって、そこがぼくの目に映じたこの世の最初の光景だった。・・・なぜ父はさらに江戸川を越えて、当時はまだ住宅地というより三業地(さんぎょうち)として知られるのにすぎない市川の場末に移って来たのか。

中野孝次「麦熟るる日に」1978(昭和53)                       
          三業地・・・料理屋・待合・芸者屋の三種の営業

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