更新日: 2025年3月31日
【終了しました】昭和の市川に暮らした作家 矢田 挿雲
※アーカイブページ保存のため、文学プラザ当時のページのまま保存されております。
矢田挿雲 やだ・そううん 小説家・俳人
1882(明治15)~1961(昭和36)
〔1952(昭和27)~1961(昭和36) 市川市北方在住〕
〔1952(昭和27)~1961(昭和36) 市川市北方在住〕
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矢田は、正岡子規(まさおかしき)に俳句を学び、俳誌『千鳥』を主宰。報知新聞に入社し、「太閤記(たいこうき)」(1925・大正14)、「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」(1935・昭和10)などを連載し、小説家としても活躍しました。
1920年(大正9)から連載された「江戸から東京へ」は、東京の姿を記した地誌的随筆として、永井荷風(ながいかふう)『日和下駄(ひよりげた)』とともに、高い評価を受けています。
市川での挿雲は、「北方庵」と名づけた茅葺(かやぶ)きの古い農家に住み、余生を送りました。近くの法見(ほっけん)寺に、句碑が建てられています。
昭和30年代の市川には、明治生まれの作家として、ほかにも、長谷川幸延(はせがわこうえん)(1904~1977)、北町一郎(1907~1990)らが暮らしていました。
1920年(大正9)から連載された「江戸から東京へ」は、東京の姿を記した地誌的随筆として、永井荷風(ながいかふう)『日和下駄(ひよりげた)』とともに、高い評価を受けています。
市川での挿雲は、「北方庵」と名づけた茅葺(かやぶ)きの古い農家に住み、余生を送りました。近くの法見(ほっけん)寺に、句碑が建てられています。
昭和30年代の市川には、明治生まれの作家として、ほかにも、長谷川幸延(はせがわこうえん)(1904~1977)、北町一郎(1907~1990)らが暮らしていました。
展示内容
矢田挿雲『挿雲太閤記 第一巻』1954 再建社 |
矢田挿雲『挿雲太閤記 第二巻』1954 再建社 |
矢田挿雲『挿雲太閤記 第三巻』1954 再建社 |
矢田挿雲『江戸から東京へ 第一巻』1953 再建社 |
矢田挿雲『江戸から東京へ 第二巻』1953 再建社 |
矢田挿雲『江戸から東京へ 第三巻』1953 再建社 |
矢田挿雲『江戸から東京へ 第四巻』1953 再建社 |
矢田挿雲『水戸黄門』1955 鱒書房 |
北町一郎『求婚行進曲』1954 東方社 |
長谷川幸延『寄席行燈(上)』1956 講談社 |
長谷川幸延『寄席行燈(下)』1956 講談社 |
山裏へ月光回り虫滋し 矢田挿雲 1973(昭和48)年、挿雲の13回忌に北方・法見寺に建立 |
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情報の問い合わせ
市川市文学ミュージアム
(市川市 文化国際部 文化芸術課)
〒272-0015
千葉県市川市鬼高1丁目1番4号 生涯学習センター(メディアパーク市川)2階
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