更新日: 2021年11月2日

【終了しました】昭和の市川に暮らした作家 安岡 章太郎

安岡 章太郎 やすおか・しょうたろう 小説家

1920(大正9)~
1920(大正9)~1925(大正14・昭和元) 市川市国府台在住〕
展示風景
 明治時代以降、市川に暮らした文人は、大正時代の歌人北原白秋(はくしゅう)(1885~1942)や吉植庄亮 (よしうえしょうりょう)(1884~1958)を別にすると、安岡章太郎が、幼少期に陸軍獣医だった父の勤務地の関係で、国府台と小岩を何度か行き来して移り住んだのが、早い時期に当たります。
 若いころから、永井荷風にあこがれ、慶応大学へ入学、1951年(昭和26)に「三田文学」に発表した「ガラスの靴」が芥川 (あくたがわ)賞候補になり、小説家として注目を集めました。
 安岡が市川に暮らしたのは、生後間もない大正末期だけでしたが、「第三の新人」と呼ばれ、昭和40年代に書かれた随筆などに、昭和初期につながる市川の様子が、描かれています。
 また、荷風についての言及も、多くあります。
 市川ゆかりの作家としては、島尾敏雄(しまおとしお)(1917~1986)、江藤淳 (えとうじゅん)(1933~1999)らとの交友もありました。

展示内容

安岡章太郎『利根川』1966 朝日新聞社
安岡章太郎『自叙伝旅行』1973 文藝春秋
安岡章太郎『まぼろしの川 私の履歴書』1996 講談社
安岡章太郎『ああ女難』1960 講談社
安岡章太郎『人生の隣』1975 講談社
安岡章太郎『晴れた空 曇った顔』2003 幻戯書房
安岡章太郎『歳々年々』1989 講談社
 市川というところは、昔から柳橋の大きな料理屋の別荘があったり、退役した人たちの住む、いってみればご隠居さんの町であり、一方また江戸川にのぞむ要害の地、国府台や、習志野(ならしの)や、あっちこっちに、陸軍各兵科の連隊、学校、衛戍(えいじゅ)病院、等々、多数の軍隊の駐屯(ちゅうとん)地と屯営(とんえい)に囲まれた軍隊町でもあった。
 ・・・この傾向は、軍隊の消滅した戦後にも、まだいくつか尾を引いているらしく、晩年の幸田露伴(こうだろはん)や永井荷風(ながいかふう)が隠棲(いんせい)していたことは、よく知られている。
 安岡章太郎「自叙伝旅行」1971(昭和46) 衛戍病院・・・陸軍病院の旧称

このページに掲載されている
情報の問い合わせ

市川市文学ミュージアム
(市川市 文化国際部 文化施設課)

〒272-0015
千葉県市川市鬼高1丁目1番4号 生涯学習センター(メディアパーク市川)2階

電話
047-320-3334
FAX
047-320-3356