更新日: 2022年1月19日

純愛物語

脚本
水木洋子
監督
今井 正

(1957年 東映映画 カラー 133分)

あらすじ

『純愛物語』映画鑑賞会パンフレット

敗戦後10年、平和が訪れたとはいえ、上野の山にはまだ浮浪児の群れがいる。その1人、ミツ子はチャリンコ(スリ)から足を洗おうとして、不良仲間からリンチを加えられそうになる。残酷さに見かねてそれを救ったのが、貫太郎だった。二人は親しくなり、商売の元手を稼ごうとスリを働くが失敗、補導され、別々の施設へ送られる。

貫太郎は、一度は鑑別所から脱走してミツ子に会いに行くが、温情の師・下山観察官に説得され、更正に励む。一方のミツ子は、聖愛学園で奇妙な体調不良に襲われていた。心配した小島教官が連れて行った病院で、医師の問いに答えて、ミツ子は、祖母の背に負われて広島の焼け跡を歩いたと語る。それは原爆投下の三日後であった。病院からの帰途、ミツ子は逃走する。

貫太郎のもとに、ミツ子からの手紙が来て、二人は再会を果たす。ミツ子は日赤に診断を受けに行き、原爆症の疑いが濃いと知った。そんなミツ子を貫太郎は励まし、外に連れ出して楽しい時を過ごす。離れ離れにならないことを約束する二人だったが、ミツ子は衰弱し病院へ移される。念願の就職が決まった貫太郎が、急いで駆けつけるが、すでに時は遅かった。

「純愛物語」ノート

原爆について書かなきゃ、との思いで長期にわたって調査しました。直接被爆していない人までが次第に原爆症の症状を表してくる恐怖を訴えたかった。主人公たちが幸福を求めて生きようとするのを、魔の手が奪っていくその過程を描きました。”原爆もの”は観る人にそっぽ向かれるんで、チャリンコの世界へ皆を引き込むうちに忘れさせたいとねらったつもりですが……今井監督の瑞々しい演出は優しく切なく、被爆者の問診風景は圧巻でした。
『水木洋子シナリオ集』映人社、1978年より

キネマ旬報ベストテン57年第2位
シナリオ作家協会シナリオ賞
北海道新聞脚本賞
ベルリン映画祭監督賞 受賞
また、テレビドラマ(1962年7月30日 NHKテレビ指定席)
ラジオドラマ(1962年9月~10月 文化放送)としても作品化されている。

キャスト

早川貫太郎
江原真二郎
宮内ミツ子
中原ひとみ
小島教官
楠田 薫
鈴木教官
加藤 嘉
下山観察官
岡田 英次
食堂の主人
中村 是好
屑や
東野英次郎
ドヤのかみさん
岸  輝子
聖愛学園園長
長岡 輝子
中華ソバ屋
嵯峨 善兵
医務課長
松本 克平
瀬川病院医師
木村 功
病院の医師
北沢 彪
看護婦
荒木 道子
里やん
田中 邦衛
ハートの円
鈴木 保
吾朗
井川比佐志

「純愛物語」の想い出  長岡輝子

自宅で水木洋子のシナリオ集を読む長岡輝子さん(2002年6月11日)

長岡輝子さんサイン

1950年代は毎年のように水木脚本の映画に出演していました。「にごりえ」「山の音」「驟雨」それに「純愛物語」「裸の大将」「キクとイサム」どれもなつかしい作品ね。小津さん、成瀬さん、今井さんといった名監督からお呼びがかかり、舞台の合間をぬって駆けつけました。あの頃は新しい映画俳優が育ち始めたばかり。若い人たちに混じって、私たち新劇や松竹、宝塚など舞台経験のある者が脇を固めました。

私自身はその頃、黒皮病という日にあたると顔が痒くて赤紫に腫れるやっかいな病気にかかっていました。人様の前に顔を出す仕事なのに恥ずかしかったけれど、やり甲斐のある仕事が次ぎ次ぎ来るのでお化粧で隠して頑張りました。

純愛物語は主演の江原さん、中原さんのデビュー作、当時お二人ともまだ初々しい少年少女といった感じでした。中原さんはバンビと呼ばれて愛くるしかったわ。

水木さんは若い頃、舞台の上で芝居を演じていたのでしょう。水木脚本のどの役をいただいても、セリフがさりげなく自然な言葉遣いだと感じました。それでいて短いセリフのひとことが物言うのね。よく読むと、内容が深いし劇的効果が充分計算されています。いわゆるスターといわれる人たちは作った演技でそれを説明的に演じてしまう。それは一見派手にみえるけれど、本当は違うのよ。私は短い台詞ほど心の動きや複雑な感情の表現を要求されるので、注意深く“内面的演技”を心がけていました。そのほうが見る側に自然にうつるの。名監督ほど私の持ち味を大事にして下さいました。

「純愛物語」の中で私は不良少女の更生施設・聖愛学園の園長役。最初は脅しにも動じずベテランの厳しい園長の役柄を演じます。しかし弱っていく少女を施設外の医者に受診させたい小島教官に、誰も居ないところでそっと許可を与えるのが私の出る最後の場面。書類に印を押し「一回だけよ」、ここで初めて観客はほっとした感じを抱くでしょう。あの園長ただ厳しいだけじゃなかったんだと思わせるこの描き方が、水木の腕の巧みなところです。

水木さんとコンビを組んでいた今井監督もセリフの生きる“場のセッティング”が大層上手な方でした。俳優はそれに乗せられて動くわけ。映画も舞台も芝居の傑作は、関わった人たちすべての“合作”だと実感しています。

水木さんは若いときから有名だったので私よりずっと年齢が上だと思い込んでいました。2歳も年下だと聞いてびっくり、早くから大人だったのね。お互い忙しくていつもすれ違いばかり。でも今日は水木さんことをゆっくり考えています。(談 聞き書き 松本圭子)

「純愛物語」の舞台となった市川市

「純愛物語」では、主人公の二人が愛を確認し合う重要な場面に、市川市が撮影地として登場します。「シーン122 八幡神社の境内」は、八幡の葛飾八幡宮とその境内に新設された市立図書館がそのまま描かれています。図書館は映画公開年の5月に開館した、当時としては先進的な施設でした。水木さんが八幡にお住まいだったことが、撮影地になった大きな要因と考えられます。ほかに牧場も、市川と思われるシーンがあります。市川市民必見の名作!

シナリオより シーン122 八幡神社の境内

(ト書き)古風な門をくぐると、左側に近代的な市立図書館が新らしく建っている。町の施設がこの空地へも、くいこんで来た感じである。

市川市立図書館(1957年開館当時)
葛飾八幡宮「随神門」(昭和30年代の萱葺きの頃)

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