更新日: 2021年9月21日

水木洋子の暮らした家 2

水木洋子の暮らした家 座敷
座敷
 座敷は、増改築の激しいこの家の中で、元々の借家の間取りが残された部分です。廊下側の柱など、当初材の上に板が張られているのを確認できます。 壁面には、郷土玩具のひしめく飾り棚、昔ながらの蓄音機、杉村春子と江守徹の名前のある絵皿などが所せましと並べられ、また「おさい権三」の舞台写真、母ゑいさんの遺影などが飾られています。この部屋で愛犬と撮った写真や、床の間を前に煙草を吸いながら執筆している写真なども残されています。 水木さんは琴や三味線もたしなまれたようで、元々は物置にしまわれていたものを、展示のため床の間に置いてあります。押入れには、寝具、家電、蚊帳、レコード、着物のともぎれなどが収納されていました。
(写真は市管理直後の様子)
水木洋子の暮らした家 広縁
広縁
 座敷の南にある広縁は、庭に面した10畳ほどの開放的な空間です。ここは、後から増築された部分で、当初の借家の部材がそのまま残る小節の多い柱と、後から用いられたきれいな柱とが見られ、増築の様子を知る手がかりになります。
 屋根の垂木を兼ねた竿縁天井や作り付けの照明、細かな造作を施した飾り棚など、全体に数奇屋風の造りになっており、見ていて飽きない粋な手が加えられています。中央に大きなテーブルとソファが置かれ、来客は、この空間の雰囲気を楽しんだことと思われます。
 1981(昭和56)年に紫綬褒章受賞記念に母ゑいさんと撮った記念写真も遺されています。
 広縁からは広い庭を眺めることができます。

水木洋子の暮らした家 廊下・便所
廊下・便所
 廊下の突き当たりには、高級料亭のような造りのトイレが配置されています。
 小便所の床は、一部緑色小石貼り、足置き用の切り株が配置されています。大便所も、水木さんが生活していたときから水洗式に変更されていましたが、曲線の竿縁造作の施された天井、地窓の上の物置棚など、野趣ある雰囲気になっています。
 水木さんは、親交のあった吉屋信子さんのお宅の数奇屋造りが、気にいっていたようで、そんな思いがこうしたところにも見られるのかも知れません。 
 大便所には、小便所側から杉ムクの一枚板を通って入るようになっていましたが、市川市の管理による改修でふさぎました。個室トイレへの入り口部分には、洋タンスの入った押入がありました。

ダイニングキッチン
 廊下の左側は、水木さんの生のくらしが感じられるダイニングとキッチンです。ここを特徴づけるのは、天井から造り付けられたハッチと扇型の食器棚でしょう。ハッチは、昭和30年台に流行ったもので、増築された頃は、とてもモダンなものだったに違いありません。
 ハッチと食器棚の中は、水木さんが生活していた雰囲気を再現しています。しかし、シンクタンクは傷みが激しく、全面的に新しいものに変更しました。天袋には、鰹節けずり機や重箱など、昭和の暮らしを知ることのできる生活用品がたくさん入っています。
 この部屋はのちの増築によるもので、壁はプリント合板が用いられたり、床の傷みも激しかったため、市川市の管理による改修で、ひのき材によるリフォームを施しました。合わせて、シンクタンク脇の勝手口と風呂場への出入り口をふさぎました。
 しかし、大きなテレビ、水木さんが元気だった最後の時期を示す1991年12月のカレンダーや新聞の山など、シナリオ作家水木さんの生活を偲ばせるものはそのままにしてあります。 水木さんが暮らした最後のころは、ほとんどこのダイニングで寝起きしていました。
(写真は改修前の様子)
水木洋子の暮らした家 次の間
次の間
 丸い曲線の美しいたいこ襖をくぐると、茶室風の次の間が続きます。借家時代ここは、8畳の座敷を囲む回り廊下だったと考えられます。その後、6畳ないし7畳の和室への増改築、書斎を増築するときの渡り廊下の増改築と、少なくとも2度の手が加えられています。
 市川市の管理による改修前は、7畳部分は畳敷きでしたが、継ぎ足し部分の雨漏りとそれに伴う壁の雨染み・畳腐れがひどく、全面ひのき板張りに改修しました。
 水木さんが生活していたときは、母ゑいさんの寝室・仏間として利用されていました。水木さんが暮らした最後の頃の写真を見ると、母ゑいさんが使っていたベッドがそのままの状態で残されていました。
 北側の壁に沿って箪笥が4棹あり、一番西側の箪笥の上には、仏壇があります。箪笥には、喪服をはじめ、ゑいさんと水木さん本人の着物が入っていました。箪笥の前には、丸い箱に入った帽子が20箱ほど置いてありました。
 南側の家具は、広縁への出入口や地窓障子を隠す形で置かれていましたが、展示のため配置を変更しました。これらの整理ダンスの中には、普段の着物、洋服、和装小物、洋装小物類などが入っていました。
 水木さんは愛犬家としても知られ、秋田犬をはじめ大型犬を数匹飼っていました。縁側からは、家裏の犬小屋を見ることができます。
(写真は改修前の様子)

水木洋子の暮らした家 書斎外観
書斎
 建物の一番奥の部屋が、戯曲、シナリオ、テレビドラマ、エッセイなどの数々の名作を書いた書斎です。ここは、のちの増築によるもので、これまでの母屋に対して、斜めに継ぎ足されています。
 中央に掘り炬燵、西側には天井までの書棚が造り付けられ、船底天井がやわらかい雰囲気を醸し出しています。水木さんは、窓を背にして掘り炬燵に座り執筆していたようです。次の間との間には、元々は床の間だったと考えられる部分を利用した造り付けのベッドがあります。引き出し収納など、女性らしい注文のあとが見られると同時に、“戦場”にベッドを持ち込んだ気迫も感じられます。
 天井までぎっしり詰まった書棚には、シナリオや芸能関係の本、水木さんと同じく八幡に暮らした永井荷風の全集など、700冊近くの貴重な蔵書が並んでいます。書棚の高い所には、ブルーリボン賞、NHK、毎日新聞社、キネマ旬報、シナリオ作家協会などから贈られた最優秀脚本賞のトロフィー、バッジ、賞牌、記念品が並んでいます。
 表装された額は、新派の名優・花柳章太郎さん(1894~1965)から寄せられたもの。病後の体調などを記し、1962(昭和37)年4月に明治座で上演された「箱根山」(獅子文六原作)の脚本を依頼しています。
 緑の美しい庭を眺めることのできる内土間は、天井の丸桁や丸太柱の仕口が丁寧な仕上げになっています。

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