更新日: 2025年9月26日
市川市親善大使就任式
令和6年5月24日、さだまさしさんの市川市親善大使就任に伴い市川市文化会館にて就任式が行われました。
就任式での二人のやりとり
就任式は終始和やかに進み、二人の間で市川のこれまでとこれからについて会話が弾みました。
<対談>
(はじめに)
さだまさしさん:(市川市ができて)90年なんですね。
田中市長:はい、昭和9年に市制が施行されました。
さだまさしさん:ものすごい時間がたったようですけど、そのうちの大半を生きてるわけですね。
田中市長:(毎年開催している全国ツアーの)コンサート前の大変お忙しいところありがとうございます。
さだまさしさん:特に今日は初日なので、スタッフもみんな大変な中ではありますが(笑)野球で言えば開幕戦ですからね。最近は市川市からツアーが開幕することが多いんですよ。今年は決まっているだけで全国で40数か所回ります。
(地元市川について)
田中市長:市川の雰囲気は温かいですか?
さだまさしさん:市川はいつも温かいですね。僕としても地元なので、普段どおりで逆に格別の想いというものは感じないです。この会場が出来た時(昭和60年)からずっとコンサートで使わせていただいてます。当時僕は本八幡ではなく新田の方がテリトリーで、国分寺のそばに住んでいましたので里見公園あたりまでですかね。
田中市長:私は南八幡が生まれ育ちで、風呂屋の次男坊だったんですよ。名誉市民の星野道夫さんがお風呂に入りに来てくれて。
さだまさしさん:星野さんは僕と同い年(昭和27年生まれ)なんです。残念ながら存命中にお目にかかることが出来なくて、会いたいなとは思っていたんですけど、予想外の時に亡くなられたのでね。彼を偲ぶ歌(「白夜の黄昏の光」)を書かせていただきました。あと僕たちはまだ三本松が生きてる頃から市川を知ってますんでね。
田中市長:国道14号沿いの?
さだまさしさん:国道の真ん中に3本立ってて、枯れてから植え替えたけどやっぱりだめで、そういう経緯がありましたよね。市川駅も平屋建ての頃からですから、南口も当時は何もなかったけど今はすごく発展して立派になりましたね。北口だって市川島村とヤマザキしかなかったですから。
田中市長:懐かしいですね。湯浅史郎樹商店はありました?
さだまさしさん:湯浅史郎樹商店はありました。あそこの塩イカが好きでね。おふくろに怒られましたよ。「そんなしょっぱいもんばっか食べるな」って(笑)
(市川市の思い出)
さだまさしさん:ちょうど15歳から35、36歳まで市川に暮らしてましたので、一番濃密な時間を市川市で過ごしていますよね。
田中市長:市川市の一番の思い出は何でしょう?
さだまさしさん:20年位前になりますけど、市川市民文化賞を頂戴してあれは感激しましたね。ああいう賞は日本中探しても無いですから。商店主がみんなでお金を出し合って市川を盛り上げてくれる人を褒め称えようというもので、そんな賞ないじゃないですか。あれは本当に感激しましたね。市川でロクなことしてきてないですから(笑)叔母が市川の新田に長いこと住んでましたので、叔母を頼りに小学校1年生の頃から夏休みになるとヴァイオリンの修行で市川に通ってました。あと桜土手。鬼越の方からずっと桜土手を歩いていくんですけど、いい季節によく行きましたね。夏は真間川の水門のところでみんなで泳いでました。当時は水もきれいでよく釣りにも出かけてうなぎの稚魚とかも釣れたんですよ。そんな懐かしい思い出がたくさんあります。
田中市長:一番苦労された時期でもあったのでは?
さだまさしさん:苦労といっても、映画でお金をかけすぎて借金したという話ですから。30年かかりましたから、返すまで。お客さんがみんな返してくださった。僕は歌うことしかできませんから。
(さださんの歌声について)
田中市長:さださんの歌声は心にしみますね。
さだまさしさん:しゃべってばかりで叱られますけれども。今日もしゃべりますよ。
田中市長:お話されるときの声と歌うときの高音の違いが魅力ですよね。
さだまさしさん:自分の声が若いころ好きじゃなかった。高くて細い声が好きではなかった。だんだん自分の好きな声に近づこうと思って動かしてきた。まだまだ届かないですね。
田中市長:理想の声、声質っていうのがおありになるのですね。
さだまさしさん:ありますね。ありますけれども、そこまでは届かないと思いますね、これから頑張っても。
田中市長:すごいお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。
さだまさし親善大使からのコメント
市川で暮らしていた伯母を頼りに6歳のときに初めて市川に来ました。まだ名代の三本松が国道の真ん中で堂々生きていた頃です。以来春休みや夏休みにはヴァイオリン修行に来ました。鬼越から江戸川まで続く桜土手の美しさ、遊び場だった弘法寺、手児奈堂の温かな佇い、まだ防空壕が残っていた里見公園。江戸川で泳いだこともありました。この町で沢山の歌を作りました。時代と共に姿は変わっても、大好きな市川への思いは変わりません。親善大使として市川の素晴らしさを伝えられるように頑張ります。皆さん、どうぞよろしく。
さだまさし親善大使の名刺
さだまさし親善大使の名刺をご紹介します。
さだまさし親善大使の直筆サイン入り色紙
さだまさし親善大使にいただいた直筆のサイン入り色紙をご紹介します。