本文
1904(明治37)~1958(昭和33)
〔1945(昭和20)~1953(昭和28) 市川市真間在住〕

戦前から、和田芳恵(わだよしえ)(1906~1977)、歌人・吉井勇(よしいいさむ)(1886~1960)らと交流のあった正岡容が、市川に越してきたのは、1945年(昭和20)11月、川柳作家・阪井久良伎(さかいくらき)(1869~1945)の世話によるものでした。
19歳で発表した「江戸再来記」(1922)が芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)に認められる一方、寄席(よせ)芸能、落語、浪曲などの創作・研究活動を多く行いました。
『随筆百花園』(1946・昭和21)、『荷風前後』(1948・昭和23)には、転居した市川での生活模様や、永井荷風をはじめとする交友関係が、感慨深く描かれています。
また、弟子の中から、演芸評論家・小島貞二(1919~2003)らが、活躍しました。
正岡容『荷風前後』1948 好江書房
正岡容『随筆百花園』1946 労働文化社
正岡容『寄席恋慕帖』1971 日本古書通信社
正岡容『日本浪曲史』1968 南北社
正岡容『正岡容集覧 全一巻』1976 仮面社
正岡容『寄席恋慕帖』1971 日本古書通信社
まことに葛飾の味、市川の味は、春水(しゅんすい)の南北の広重(ひろしげ)の北斎(ほくさい)の味である。息吹(いぶき)である。かうした江戸文化的風景は他の東京近郊においては、絶えて見られない。私は幼時失ひつくしたる隅田川両岸の江戸文化の夢の大半を、再びここの生活景情の中に取戻(とりもど)したことを感謝しないわけには行かない。
正岡容「随筆百花園」1946(昭和21)
春水以下・・・為永春水(江戸後期の戯作者)、鶴屋南北(江戸後期の歌舞伎作家)、歌川広重(江戸末期の浮世絵師)、葛飾北斎(江戸後期の浮世絵師)