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紫烟草舎の由来と歌碑

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更新日: 2010年12月22日

紫烟草舎の由来

紫烟草舎外観
 「からたちの花」「砂山」などの作詩で親しまれている詩人・北原白秋(明治十八年〜昭和十七年)は、大正五年の夏から約一年間、当時小岩にあったこの離れにおいて、すぐれた作品の創作を続けた。白秋自身、紫烟草舎と名づけたこの建物はその後、江戸川の改修工事のためにとりこわされ、解体されたままになっていた。
 たまたま、本建物の所有者、本市在住の湯浅伝之S氏の厚意ある提供を受けた市川市は、白秋をしのぶようすとして、家の間どり、木材などすべて当時のままに、この里見の地に復元した。
 復元の地を、ここにもとめたのは、小岩に移り住む前、白秋が真間の亀井院に住んでいたこと、小岩に移ってからも対岸の江戸川堤から眺めるこの里見の風景や万葉の昔よりゆかりの深い葛飾の野を、こよなく愛していたことによる。
(紫烟草舎案内板より)
庭から見た紫烟草舎
庭から見た紫烟草舎

紫烟草舎内部展示
紫烟草舎内部展示

白秋愛用の机と花瓶(歴史博物館蔵)
白秋愛用の机と花瓶(歴史博物館蔵)
公開される紫烟草舎

紫烟草舎脇の歌碑

 華やかに さびしき秋や 千町田の
  ほなみがすゑを 群雀立つ

 広大無辺な田園には、黄金色の穂がたわわに実りさわさわと風にそよいで一斉に波うっている。その穂波にそってはるか彼方に何千羽とも数知れない雀の群れがパーッと飛び立つ。この豪華絢爛たる秋景のうちには底無き閑寂さがある。むら雀の喧騒のうちにも限りない静けさがある。逆に幽遠な根源が眼前にはたらき形のない寂静が華麗な穂波や千羽雀となって動いている。
 大正五年晩秋、紫烟草舎畔の「夕照」のもとに現成した妙景である。体露金風万物とは一体である。父、白秋はこの観照をさらに深め、短歌での最も的確な表現を期し赤貧に耐え、以降数年間の精進ののち、詩文「雀の生活」その他での思索と観察を経て、ようやくその制作を大正十年八月刊行の歌集「雀の卵」で実現した。その「葛飾閑吟集」中の一首で手蹟は昭和十二年十二月月刊の限定百部出版「雀百首」巻頭の父の自筆である。
 一九七〇年 佛誕の日   北原 隆太郎
(歌碑脇解説板より)


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