更新日: 2024年2月21日

水木洋子の暮らした家 1

写真:水木洋子の暮らした家 門前

水木洋子さんが、八幡に母とともに移り住んだのは、戦後間もない1947(昭和22)年のことです。父母の実家である愛知県犬山ほど近くの疎開先から、亡父の同郷で仕事関係の知り合いを頼っての転居でした。八幡は松並木に囲まれた閑静な屋敷街。そんな市川が、水木さんの生涯を通じてのシナリオ創作の場となったのです。

毎月第2・第4土曜、日曜に公開しています(12月・1月・2月は変更する場合がございます)。

敷地と庭 玄関 洗面・風呂場
座敷

広縁 ダイニングキッチン
廊下・便所

次の間 書斎
夏のしつらえ    

始めは仕事関係の知り合い佐藤家に間借りでしたが、すぐに道を挟んだ向かいに空家になっていた社宅を借りました。映画全盛時代の折から、1953(昭和28)年に借家を買い取り、昭和30年代には隣りの敷地も買い足して、250坪の敷地になりました。始めの借家はもっと西寄りでしたが、引き屋をし、数回にわたる増改築を重ねながら、今の数奇屋風の建物になっていきました。しかし、間取りを少しずつ変えながら増改築が繰り返されたため、その過程を復元するのは困難です。

昭和50年代まで精力的な創作を続け、1981(昭和56)年には、紫綬褒章を受章しますが、2年後に母ゑいさんを亡くしてからは、執筆活動から遠のいたようです。その後体調を崩し、自宅を離れ、療養生活をおくられていました。

この間、1996(平成8)年に後見人が選任され、後見人を通じて、所有財産の寄付の申し出がありました。これは、水木さんがお元気だったころ、「市には大変お世話になっている。老後もお世話になるので、財産を市に寄附したい」と言っていたことによるものです。市では、これをありがたく受け入れ、1997(平成9)年12月、将来市に寄附する旨の「死因贈与契約」を交わしました。

これを受け、市川市では、「この貴重な資産を市民の文化芸術活動の拡充に役立て、市川市の貴重な文化財産として活用する」ことを基本的な考えとし、贈与されるまでの間、土地及び建物は無償で貸与してもらい、シナリオ原稿などの整理作業及び保管場所として活用すること、シナリオ原稿などの分類整理及び曝書などの作業を委託すること、利用計画を策定することなどを確認しました。平成12年度は、水木洋子市民サポーターの募集を行い、平成13年1月から水木邸の改修工事、サポーターによる資料整理などが本格的にスタートしました。平成14年5月には「水木洋子市民サポーターの会」が正式に組織され、月に3日間、資料の整理活動を行っています。

また、2003(平成15)年4月8日に水木さんが亡くなり、一切の財産が市川市に寄贈されました。

市川市では2004(平成16)年4月より、この水木邸を月に2回公開します。40年あまりの水木さんの暮らしぶりとその業績、そして水木さんの人柄を多くの方に知っていただきたいと思っています。

所在地
市川市八幡5-17-3
土地
819.81平方メートル(約249坪)
建物
延床面積100.14平方メートル(約31坪)
(面積は登記簿上につき、現存のものとは違います)

写真:水木邸 敷地と庭

敷地と庭

敷地は、西半分と東半分の二筆に分かれ、元々西半分に建っていた家を借りて住んでいましたが、土地を購入したのは、東半分の方が先のようです(1959)。東半分は、購入前はぶどう畑だったようです。

西半分に建っていた家は、1953(昭和28)年に所有しましたが、土地の購入は、1963(昭和38)年に行われています。今の庭の部分は、なし畑や車庫があったようです。今より西寄りに建っていた家を引き屋したのは、1960年前後のことと判断されます。

庭の手入れは、大家にも出入りをしていた市川市下貝塚の松丸植木屋が、2代にわたって行ってきました。外からあまり見られないように、西南方向には、木を密に植えました。また、柿やみかんや梨などの、実のなる樹木も多く植えられています。

写真:水木邸 玄関

玄関

玄関外周りは栗のなぐりが施され、中に入ると、黒い瓦タイルが敷かれた土間と、杉と白竹の竿縁天井が美しい、数奇屋風の空間が出迎えます。上がり口の位置関係は当初からの場所と考えられますが、数奇屋風の間取りは、のちの増改築によるものです。待合席、飾り床も設えられ、待合席の黒塗りの柱は、現場で角柱を丸く削り塗装仕上げしたもの。洗面へ続く杉のむく板で作られた板戸も、現在の木材流通では再現することのできないもので、職人の手のかかっていることがうかがえます。玄関と廊下を仕切る式台には細い腰付障子が嵌められ、寄付の畳や源氏襖が風情をかもしだしています。

写真:水木邸 洗面

洗面・風呂場

洗面・風呂場も、のちの増改築によるものですが、ここは、プリント合板などが用いられています。今では当たり前となった合板類は、数奇屋風の雰囲気とはそぐわない面もありますが、建築当時は最新の建材という認識で使われたものと考えられます。昭和の生活のうかがえる場所として残しましたが、風呂場のプリント合板は、はがれなどの傷みが激しく、市川市の管理による改修で、やむなく板張りに変更しました。

(写真は改修前の様子)

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