文化財(市指定)小笠原政信夫妻供養塔

小笠原政信夫妻供養塔(おがさわらまさのぶふさいくようとう)

小笠原政信夫妻供養塔

総寧寺(そうねいじ)本堂左手に、南を向いた大きな五輪塔が2基並んでいます。向かって右側が台座を含めて総高4.25メートルあり、これが元和5年(1619年)から下総国関宿(現・千葉県野田市)2万2,700石余を領した城主・小笠原政信(おがさわらまさのぶ)の供養塔です。

塔の正面には「為圭山瑞雲居士」と政信の戒名が彫られ、左右にも銘文がありますが判読は難しく、最終行の「今茲寛永十七上章除年孟秋二日」だけが読み取れます。これは政信の死んだ年で、寛永17年は西暦1640年にあたり、孟秋二日は旧暦7月2日のことです。享年34歳でした。

小笠原政信は慶長12年(1607年)、信之の子として生まれました。供養塔裏面に小笠原家の系図が彫られていますが「自清和天王・・・至長清賜小笠原号忠貴左衛門佐迄十九代」とあり、この19代の忠貴左衛門佐が政信です。8歳で父の遺領の古河城を与えられ、元和5年(1619年)に上述の関宿に移りました。

政信の五輪塔の左手にあるもう1基の五輪塔は、台座からの高さが3.24メートルで、銘に「為本慶良然大姉奉造立・・・寛永十八年辛巳暦卯月吉辰」とあるところから政信の室、板倉重昌の娘の供養塔と思われます。

なお政信の供養塔は、五輪塔として関東では鎌倉の忍性墓(にんしょうぼ)に次ぐ大きなものです。

メモ

五輪塔(ごりんとう)

物質の根幹である地・水・火・風・空を五大と呼び、それを輪に見立てて重ねた塔です。石造りがほとんどで、供養塔や墓に用いられています。

メモ

忍性(にんしょう)

1217年~1303年。鎌倉時代中後期の西大寺流の僧で叡尊の弟子。建長4年(1252年)に関東に赴き鎌倉極楽寺の開山となります。社会事業に尽力し、貧民を救済、人々から如来と尊敬されました。五輪塔は極楽寺裏手の山地にあります。

アクセス

所在地
国府台3-10-1 総寧寺
交通
JR総武線市川駅からバス「国立病院」下車徒歩10分

総寧寺の境内にあり、見学は自由。


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