常設展示のご案内(考古博物館)
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展示のご案内
ホール(前室)
海の化石や台地の地層から市川市が歩んだ過去13万年間の環境を学びます。市内の平田から発見された大きなコククジラは、約5,000年前の海岸線と当時の海の環境を教えてくれる当館を代表する資料です。
第1室 最初の住民:先土器時代
約2万5千年前から市川市に人がいたことがわかっています。遠方の石材で石器を作り使用していました。例えば国府台の丸山遺跡で出土した黒曜石のほとんどは高原山産でした。狩りをしたり木の実などの植物を採りながら、移動生活を営んでいたと考えられています。
第2室 貝塚の形成:縄文時代
約7,000年前頃、海面が上昇して南部の低地と台地の谷筋に海が入り込み、北部の台地上にムラができました。市川市は、日本でも有数の貝塚密集地域で、堀之内貝塚、曽谷貝塚、姥山貝塚は国史跡に指定されています。この三貝塚を中心とした豊富な出土資料から当時の暮らしを紹介する当館イチオシの部屋です。
第3室 稲作文化の伝来:弥生時代
海退が進み水田稲作を中心とした農業が普及して、農作物の生産が可能になりました。やがて富を蓄え首長が成長して、ムラ同士の交流や争いが増えていきました。こうした市川の弥生時代を木戸口遺跡など初期のムラと、国府台遺跡の環壕をともなうムラを中心に紹介しています。
第4室 古墳の出現:古墳時代
各地の有力者たちはヤマト政権を中心に同盟・連合関係をむすび、巨大な古墳にその亡がらを埋葬し祀ります。市川市では後期の6世紀になって国府台古墳群が出現し、前方後円墳の法皇塚古墳からは多数の副葬品が出土しました。また、須和田遺跡を中心にムラが栄えたほか、海退が進んで低地の遺跡が増えはじめます。
第5室 律令の社会:奈良・平安時代
ヤマト政権は、6世紀末から7世紀初めを境に新たな社会のしくみを求めるようになり、7世紀後半から8世紀初めには、法律(律令)をもとに六十余国を治める国家を成立させます。市川には下総国の国府や国分寺がおかれ、国の中心地になりました。調査によって国分寺は主要堂塔の位置や敷地の範囲が判明しています。墨書土器が数多く出土して、国府や国分寺の解明に役立っています。