山下清
山下清(1922~1971)
放浪画家。本名は大橋清治。1922(大正11)年3月10日、東京の浅草生まれ。3歳の頃、重い消化不良となり、その後遺症で知的障害が進行。小学生の頃、いじめに遭い、その際ナイフで級友を傷つけたことから、市川の知的障害者養護施設「八幡学園」(旧:八幡町大字八幡字衣川 現:市川市八幡六丁目)に収容される。
八幡学園で清は「ちぎり紙細工」を試みていたが、同じ市川市に精神病院を開業していた式場隆三郎がその才能に注目、1939(昭和14)年1月大阪の朝日記念会館ホールではじめてその作品が公開され、多くの人々を賛嘆せしめた。
学園での在籍期間は長く、そこでの生活に飽きて度々脱走し、後に有名となる放浪の旅へ出かけた。1940(昭和15)年から1954(昭和29)年までの頃であり、旅の記録は、『放浪日記』(1956年)としてまとめられた。
戦後は「日本のゴッホ」または「裸の大将」と呼ばれて親しまれた。1956(昭和31)年の東京大丸の「山下清展」をはじめ、全国で巡回展が開かれた。1961(昭和36)年6月、式場隆三郎らとともに約40日間のヨーロッパ旅行に出発。各地の名所を絵に残した。
群馬県上牧温泉の辰巳館には、山下清が残した『はにわ風呂「大峰沼と谷川岳」』の大壁画がある。昭和30年代、山下清は、その才能を見出した師でもある式場隆三郎氏と何度となく一緒に訪れている。
晩年には「東海道五十三次」の制作を志して、東京から京都までのスケッチ旅行に出掛け、およそ5年の歳月をかけて55枚の作品を遺した。
1971(昭和46)年7月12日、脳出血のため忽然と永眠。享年49歳。
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