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伊庭心猿


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ページID:0003793 更新日:2025年10月27日 印刷ページ表示

伊庭心猿(1908-1957)

略歴

手児奈霊堂

伊庭心猿(いば・しんえん)。俳人。
本名は猪場毅(いば・たけし)。東京・向島に育ち、富田木歩を俳句の師とし、はじめは俳号を芥子、のちに明治41(1908)年節分申年生まれであることから「心猿」と改めた。本名である猪場姓の音とあわせ、仏教語の「意馬心猿」に全体として掛け合わせている。
意馬心猿とは、馬の暴れる様子、猿の騒がしい様子をたとえて、人間の煩悩・私欲の制しがたいことをいう。

その名前のごとく、風狂な生活を送っていたことが伝えられている。例えば荷風作品や樋口一葉の和歌の偽筆事件などがあげられる。このようすは、荷風の小説『来訪者』(昭和21)』で伺い知ることができる。この作品の登場人物のひとり木場が心猿であると言われている。荷風の原稿・書簡・色紙・短冊などを偽筆して密かに売りさばいていたことが知れ、偏奇館への出入りを差し止められるという内容である。

荷風『来訪者』には、“木場は北千住に住んでいたのであるが、真間の手児奈堂の境内に転居し”として語られているように、戦前には市川に移り住み、真間の手児奈霊堂参道傍らに「此君亭」という小店を妻と開き、玩具や墨蹟などを売っていた。この開店を祝って荷風が句を贈っている。この軸物も谷崎潤一郎に高価に売ってしまったという話も伝えられている。

石菖や二人くらしの小商ひ 荷風

偏奇館に自由に出入りし、難解な文字の調べまで荷風に依頼されるなど、相当の信頼を受けていたが、昭和15年にはついに絶交を言い渡されている。(交流については『断腸亭日乗』昭和十三年頃を参照)
すぐれた文筆家であったことは、以下の業績で知ることができる。

その業績

すぐれた文筆家であったことは、以下の業績で知ることができる。

猪場毅としての業績

  • 『樋口一葉全集』全6冊
  • 『一葉に与へた諸家の書簡』
  • 東京堂『東洋人名辞典』の日本篇の編纂
  • 岩波の新村出『新辞苑』の追加増補

俳人・伊庭心猿としての著作

  • 心猿句集『やかなぐさ』(昭和31年刊行)
  • 第一随筆集『絵入東京ごよみ』(昭和31年刊行)
  • 第二随筆集『絵入墨東今昔』(昭和32年刊行)
  • 文藝雑誌『真間』1~6(編集事業)

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市川に関する句

昭和31(1956)年の冬、黄疸で国立国府台病院に入院。病院を抜け出しては、酒を飲み歩き、不評判な患者として有名であった。翌年32年2月25日肝臓がんで死去。享年51歳。

伊庭心猿の句(市川にて)

手児奈祠畔 かつしかは都の果やはたた神
 さめきらぬ酔ひに葛西の馬鹿ばやし

蓴菜池(じゅんさいいけ) 土筆摘む子に教はりし釣場かな

真間大黒天 環俗の尼のうはさや草の餅

下総国分寺址 茶の花にほまち田つづく札所かな

文庫版心猿句抄『やかなぐさ』より​

参考文献

  • 「市川ひと事典第3版」(エピック社 1995)
  • 「俳人風狂列伝」石川桂郎/著(角川書店 1973)

著作物の電子テキスト

著作権保護期間が過ぎたため、著作物の電子テキスト化を進めています。

心猿句抄やかなぐさ」
(奥付は「句集也哉艸」)
<外部リンク> 福田印刷工業1951(昭和26)年6月20日発行

「やかなぐさ 伊庭心猿句鈔」<外部リンク> 葛飾俳話会1956(昭和31)年9月1日発行

「絵入り東京ごよみ」 心猿第一随筆集 葛飾俳話会1956(昭和31)年10月15日発行
 収録作品:「風塵抄」<外部リンク>「縁日考」 <外部リンク>

「絵入り墨東今昔」 心猿第二随筆集 葛飾俳話会1957(昭和32)年2月4日発行
 収録作品:「木歩の生涯」、「露伴忌」<外部リンク>「荷風翁の発句」<外部リンク>「櫻もち」<外部リンク>「九月朔日」<外部リンク>

「来訪者のモデル」<外部リンク> 1947(昭和22)年8月5日発行「眞間 第二册」に収録

「緑雨と一葉」<外部リンク> 1947(昭和22)年6月25日発行「眞間 第一册」に収録

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