スマトラオランウータンの繁殖について(来園~はじめての交尾まで)
はじめに
当園では現在4頭のスマトラオランウータンが暮らしています。父親のイーバンと母親のスーミーは、1992年6月姉妹都市であるインドネシアのメダン市より親善大使として寄贈されました(当時4歳半)。
2003年9月には待望の第1子ウータン(オス)が、さらに2010年7月には第2子リリー(メス)が生まれ、子育て上手なスーミーに守られすくすくと成長しています。
このレポートでは、若くして当園にやってきた2頭のオランウータンたちがどのような経過をたどり交尾妊娠に至り無事出産と育児が行われたのか、その詳細について報告します。
来園、いきなりトラブル
1992年6月1日、幼いイーバンとスーミーは中央で仕切られたケージに入れられ、はるばるインドネシアよりやってきました。事前に2頭は一緒に暮らしていると聞いていたため検疫用の寝室は1部屋のみ用意していました。
付き添いでやってきた獣医さんに2頭の同居をお願いすると彼は「OK!」と同居を始めました。すると、いきなり2頭は大ゲンカを始めてしまったのです。
ケンカといっても実際にはひとまわりも体の大きいスーミーが攻め立て、体調まで崩し気味のイーバンは一方的にやられるばかりでした。
獣医さんは慌てて2頭の間に割って入り絡み合う2頭をひきはがすように分けました。
後々振り返るとこれがイーバンにとって大きなトラウマとなってしまったようでした。
同居の試み
それから1年後、イーバンはスーミーよりも大きな体に成長しました。あのときの影響も大分薄れたのではと思い、1993年の年末から計5回に渡り同居を試みました。
彼らは一緒にするたび必ずもみくちゃになって絡み合います。オランウータンの足はまるで手のように使えるためお互いに4本の手で相手に絡みつくような状態になります。
イーバンはこの時すでに力ではスーミーを上回っていました。しかし力づくで抑えるイーバンの手を、負ける気のないスーミーが力いっぱい噛みつくのです。
イーバンはしだいに劣勢になり最後は逃げ回ってしまいます。同居を重ねれば重ねるほどその傾向は強くなっていきました。
決断
動物園で暮らす彼らに、私たちが一番望んでいること…それは2頭の間に子供が生まれ未来に子孫を残してくれることです。
スマトラオランウータンは当時国内には17頭しか飼育されておらず(2011年現在は14頭)繁殖が最大の目標であることは疑いようもありませんでした。
ところが、このままではイーバンのスーミーに対する恐怖心はさらに増すばかりで、子供などとても望めそうにありません。そのため私たちは、むやみな同居はせず2頭の立場が逆転できると判断出来るまで、とにかく「待つ」ことにしたのです。
ところで、オスのイーバンがメスのスーミーを怖がる、これはとてもオランウータンらしくない状況です。なぜならオランウータンのオスは、メスよりもはるかに大きな体を持ち腕力もはるかにメスより勝っているからです。
にもかかわらずイーバンがスーミーを怖がる理由、それはどう見ても「気持ち」の問題です。
この状況を逆転させるために、わたしたちはいったい何をすればよいのでしょうか。
食事・環境・気持ち
イーバンがこの先、スーミーに対する恐怖心をなくしオスのオランウータンとしての機能を果たし、ちゃんと子孫を残せるようになるために必要なこととはいったい何なのか?
少なくとも「時間」は必要でしょう。しかしだからといって時間だけが全てを解決してくれるとも思えません。その間にイーバンの「気持ち」が育たなくてはならないのです。
気持ちを育てる?…これはもちろん最終的にはイーバン次第なのですが、私たちに出来る事として第1にはイーバンがオスのオランウータンとして“普通に”成長してゆくことが重要。
そのために食事・環境といった見える日常のケアーが適切で理にかなったものであるよう努めました。
健康こそが最大の保障であり私たちに課せられた最難のテーマです。まずはその日一日が順調に過ごせて、その積み重ねとして1年、また1年彼らがオランウータンとしてゆっくりと大人になり自然と機が熟す日を待つことにしたのです。
気持ちを育てる
オランウータンは客観的に見てとても繊細な生き物です。彼らとの付き合いを続けていく中で守らなければならない基本的な用件は数々あるとして、未来の配偶者に気後れしているイーバンがその感情をいつか払拭してくれるよう意識しておこなってきた事もあります。
効果があったかどうか定かではありませんがそのいくつかを紹介します。
1)エサの順番
彼らの食事に対する意識は並々ならぬ強いものがあります。朝と夕方をメインに日に数回食事をオリ越しに渡しますが必ず順番はイーバンが最初で、次にスーミーという形を取りました。
些細なことかもしれませんが「ここの主は君だ!」とイーバンにもスーミーにもさりげない行為から伝わればとの配慮がありました。
2)ロングコールの時に動かない
オスのオランウータンには「のど袋」と呼ばれる器官があり、大人になると、これを共鳴させて非常に大きな声で吼えることが出来るようになります。これを「ロングコール」と呼びますが、イーバンも気分が高揚するとよくロングコールをするようになりました。
ロングコールはオランウータンのオスにとっては強い自己主張であり“自分は確かに今ここに存在している”というアピールでもあると感じました。その際私たちがなんの反応もせず掃除など続けていたら、そのうち「なんか俺のロングコールってこんなもの?」と思ってしまうのではと心配をしました。
そこで必ず作業を中断しピタッと止まるようにしたのです。ロングコールは長いもので数分続きます。終わった後は彼に「やるね~、イーバン、かっこいいね~」といった声をかけたこともありました。
3)頼りになる
この頃のイーバンは来園者の中でも強そうな風貌の男性が歩いて来たりするとプイっと部屋に入ってしまい全然出てこないという事がよくありました。人に対して仲間だと思っているのかはわかりませんが相手の強弱を測っているのは確かなようでした。
一番近くにいる担当者がだれか別の人にへこへこしていては彼の不安はますます高まってしまうでしょう。ですから、どんな状況でも彼が見ている前では堂々と構えて決してお辞儀などしないよう気をつけていました。
変化のきざし
「待つ」という選択をしてからイーバンの行動に変化のきざしを感じるまでにはとても長い時間が経過していました。「これはそろそろいけるかもしれない」と感じたきっかけはイーバンがスーミーに向かって「ロングコール」をしたことでした。
実は、これまでイーバンはロングコールをスーミーが視界に入る所では出来ずにいたのです。2000年頃より少しずつ変化が現れさらにスーミーに対する性的関心も態度に出すようになってきました。
8年ぶりの再同居
2002年の1月と2月、約8年ぶりの同居を行いました。
最初の同居では・・残念ながらスーミーの優位は相変わらずでした。しかしイーバンは怖くて足が震えていたものの、倒されたり背を向けて逃げる事がありませんでした。これは以前にはなかったことで、ギリギリのところで踏みとどまっているように見えました。
2月の同居でもメスは強気にどんどんと責め立てていきます。「このままではやはり無理かもしれない・・」と思った私は、先輩からの助言もあり、ある作戦に打って出ました。本気でスーミーに怒鳴ってみました。
これまでの彼らとの付き合いで怒ったりした事は1度もなかったので、始めのうちスーミーはよくわかっていなかったようでしたが、2分3分と怒っているうちに気にし始め最後には頭を抱えて放飼場でうずくまってしまいました。それを見たイーバンは・・心配するかのように、頭を抱えているスーミーの顔に触れそうなくらいの至近距離からのぞきこみだしたのです。
イーバンの性格がよくわかる1場面でもありました。
良いオスの資質(強さ、上手さ、やさしさ)
この日がきっかけで2頭の関係が微妙に変化したようでした。
9月から10月にかけてタイミングを見て同居を試みましたが、同居を行う度にイーバンの行動に変化が生まれてきました。むやみに自分からスーミーの方へ行くことはせず、向かって来たときにだけ反撃をするようになったのです。
それを受けてスーミーの方もイーバンに対して甘えた声を発するなどの変化が見られました。見下していたイーバンをオスとして再認識したからかもしれません。
さらにイーバンは、同居を重ねるうちにスーミーに対して明らかにメスとして意識する行動を取るようになっていきました。
スーミーも多少は受け入れる気持ちもあるようでしたが、それでも、怖さとも不信感ともとれる感情からだと思うのですが、どうも身を任せる気にはなれないようでした。
ただ、この頃の2頭は非常に充実した良い顔つきをしていたことが強く印象にあります。
完全なる逆転
2002年10月22日、イーバンがスーミーを精神的に※凌駕する瞬間がやってきました。
天候はくもり、それほどお客さんのいない平日の午後、2頭が絡み合っている所に老人クラブの団体客がやってきた時のことでした。もともと昔からイーバンには、ある「クセ」がありました。幼稚園や小学校の遠足で遊びにきた子供たちが独特のにぎやかさで近づいてくると、気分が高揚するのか、きまって「ロングコール」をするのです。
子供たちではなかったのですがその老人の団体は非常ににぎやかな感じで近づいてきたのでどうやらその声に反応したようでした。
イーバンが突然スーミーを目の前にして「ロングコール」を始めたのです。スーミーは反射的に地面に大の字の形で仰向けになりました。
仰向けになったスーミーに対しイーバンはなんと!!・・・交尾を始めたのです。
わずか4歳半で日本に来て以来、交尾などまったくする機会もなかった彼がどうしてちゃんと交尾ができるのかとても不思議でした。
※凌駕(りょうが)…他をしのいでその上に出ること。
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