更新日: 2022年3月4日
井上ひさし 市川の文化人
井上ひさし いのうえ・ひさし 小説家・劇作家
1934年(昭和9)~2010年(平成22)
[1967年(昭和42)~1987年(昭和62) 市川市国分・北国分在住]
山形県小松町(現・川西町)生まれ。上智大学在学中から浅草フランス座の文芸部兼進行係となり台本を書き始め、1964年(昭和39)から5年間にわたりNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」(共作)の台本を手がけました。
1967年(昭和42)から1987年(昭和62)まで、市川で創作活動を行い、「永井荷風が好きで市川に引っ越したくらいで」(『作家の証言 四畳半襖の下張裁判』1979年・昭和54)とも語っています。
市川時代に、戯曲「日本人のへそ」(1969年・昭和44)で演劇界デビュー、書き下ろし長編小説『ブンとフン』の刊行(1970年・昭和45)、1971年(昭和46)発表の戯曲「道元の冒険」で翌年に岸田戯曲賞と芸術選奨新人賞受賞、小説「手鎖心中(てぐさりしんじゅう)」での第67回直木賞受賞(1972年・昭和47)と、作家としての地位を確固たるものとしました。
1984年(昭和59)に自らを座付き作者として「こまつ座」を旗揚げ、多くの舞台作品を上演。1987年(昭和62)には市川を離れますが、7万冊の蔵書を生まれ故郷の川西町に寄贈して「遅筆堂文庫」を開館するなど、作家活動にとどまらない幅広い活動を展開しました。
小説、戯曲、エッセイなどの多数の著作で知られ、戯曲「化粧」「父と暮せば」などは、海外でも高い評価を得ています。
「ドン松五郎の生活」「偽原始人」「吉里吉里人」「家庭口論」など、市川を取り上げた作品も多く、2003年(平成15)には、第7回市川市民文化賞を受賞しています。
市川を離れた後も、2004年(平成16)から市川市文化振興財団理事長に就任し、2006年(平成18)から自ら提唱する「よみっこ運動」を全国で初めて市川市で展開、2010年(平成22)4月9日に鎌倉市の自宅で亡くなるまで、市川の芸術文化振興に関わりを持ち続けました。
市川市との関わり
2012年(平成24) | 井上ひさしと安野光雅-文学と絵画の出会い- | 芳澤ガーデンギャラリー |
2011年(平成23) | 第2回井上ひさしの世界in市川 文学プラザ企画展 井上ひさし-東北への眼差し- |
文学プラザ |
「吉里吉里支援募金」東日本大震災復興支援チャリティーコンサート | 文化会館 | |
文学プラザ企画展内 井上ひさしのつづった石川啄木と短歌 |
文学プラザ | |
井上ひさし記念室 開室 | 文化会館 | |
2010年(平成22) | 第1回井上ひさしの世界in市川2010 文学散歩展 井上ひさしと市川 井上ひさしの戯曲「小林一茶」 「父と暮せば」からのメッセージ |
木内ギャラリー 文学プラザ 映像文化センター |
イベントガイド 井上ひさしさんと音楽 | 文化会館 | |
イベントガイド 小曽根真さんが語る井上ひさしさんとの思い出 | 文化会館 | |
文学プラザ企画展内 井上ひさしの描いた幕末 |
文学プラザ | |
追悼 井上ひさし展 | 文学プラザ | |
米原万里展 | 芳澤ガーデンギャラリー | |
2009年(平成21) | 井上ひさしさんと市川市 | 部長チャンネル(公開終了) |
「ひょっこりひょうたん島」がやってきた! | 文学プラザ | |
2008年(平成20) | 文学プラザ企画展内 いきいきライフあれこれ |
文学プラザ |
文学プラザ企画展内 井上ひさしと日中文化 |
文学プラザ | |
文学プラザ企画展内 写真と異文化に魅せられた文学者 |
文学プラザ | |
2007年(平成19) | 文学プラザ企画展内 幸田一家を描いた井上ひさし |
文学プラザ |
図書館だより 井上ひさし作品と国府台 | 中央図書館 | |
文学プラザ企画展内 東京空襲と井上ひさし |
文学プラザ | |
市川の文化人展 井上ひさし展 | 文化会館 芳澤ガーデンギャラリー |
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2006年(平成18) | 文学プラザ企画展 樋口一葉と市川の文人たち |
文学プラザ |
こまつ座 兄おとうと 公演 | 文化会館 | |
2005年(平成17) | 文学プラザ企画展内 井上ひさし |
文学プラザ |
井上ひさし資料室 開室 | 文化会館 | |
2004年(平成16) | 市川の井上ひさしと永井荷風 | 中央図書館 |