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北原 白秋

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更新日: 2018年10月29日
市川の文化人北原 白秋
里見公園内に移築された「紫烟草舎」
 『葛飾閑吟集』の序文「真間の閑居の記」に、「大正五年五月中院、妻とともに葛飾は真間の手古奈廟堂の片ほとり、亀井坊といふに、仮の宿を求む」と記している。現在の亀井院周辺は商店と住居がたてこんでいるが、当時は畑地の広がる寂しい土地であった。千葉県東葛飾郡真間の亀井院は明治二一年に焼失し、「農家の母家を買い取って寺坊に当てられた」(西川智泰『真間の里』)が、そのカヤぶきの庫裡の六畳を借りて、白秋は江口章子と同棲していた。白秋三一歳、章子二八歳のときであった。六月末には、府下南葛飾郡小岩村三谷(現、東京都江戸川区)に移り、「紫烟草舎」(「巡礼詩社」改称)を興した。
 かつて「邪宗門」を刊行し、人気絶頂にあった白秋が、人妻松下俊子との恋愛事件により、名声は一朝にして崩れ落ちていった。しかも、苦しい恋愛の後に結婚した俊子は、貧しい生活をきらい、去ってしまった。この傷手をやわらげてくれたのが江口章子とこの静かな田園年生活であった。
 亀井院の裏庭には、棗の花が咲き、その左手には手児奈が水を汲んだと伝えられる古井戸がある。ここで二人は顔を洗い、米や野菜を洗ったのである。「葛飾の真間の手児奈が跡どころその水の辺のうきぐさの花」にはそうした白秋の心境が現れていよう。
 この葛飾時代は白秋が窮乏の極みにあった時代で、「米櫃に米のかすかに音するは白玉のごとはかなかりけり」(『雀の卵』とうたい、その米を雀に与え、飢えながら雀と哀歓を共にする日々であったという。作風もおのずから沈潜し、東洋的な閑寂枯淡の境地をめざして『雀の卵』の主調をなした。
 『市川の文学』より 一部表現をかえて引用

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