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文化財(市指定)「ワートル薬性論」版木

ページID:0006573 更新日:2025年10月27日 印刷ページ表示

「ワートル薬性論」版木(わーとるやくせいろんはんぎ)

「ワートル薬性論」版木 の画像
「ワートル薬性論」版木

この版木は、江戸時代末期の医師・林洞海(はやしどうかい 1813~1895)が、オランダ人薬学者ハンデ・ワートルの書いた「ワートル薬性論」という本を翻訳し、発刊した際に製作された版木の一部です。昭和49年に、市川市北方の河野辺家が改築されたときに発見されました。
版木1枚の寸法は縦16センチメートル、横30センチメートル、厚さ1.5センチメートルのサクラ材で、保存されているのは第1巻凡例21・22丁、第7巻11・12丁など8枚16丁です。出版元は存誠斎となっています。文字は表裏に彫られていて、版木の左右にある切り込みや中央の松模様の穴は、後年手あぶりの木枠として廃物利用されたために作られたものです。

林洞海は文化10年(1813)、九州の小倉に生まれました。江戸に出たのち長崎でオランダ医学を学び、ふたたび江戸に戻って薬研堀(やけんぼり)の医師・佐藤泰然(さとうたいぜん 1804~1872)のもとに寄宿、泰然の蔵書中から「ワートル薬性論」を見つけました。洞海はこれを翻訳して仲間に有料頒布し、後に増訂をして21巻18冊の書物にまとめました。曲折を経たのち医学館から刊行の許可を得て、発刊できたのは安政3年(1856)のことで、初めて翻訳してから16年後のことでした。版木の製作も同年であり、このような形で発見されたことは非常に珍しいことといえます。

現在、版木は市立歴史博物館に収蔵されています。

メモ

医学館(いがくかん)

江戸幕府の漢方医師の学問所で、医学書刊行の許可権を握っていました。オランダ医学に反感を持っていましたが、時代の流れに押され認めざるを得なくなったのです。


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