人と海

タイトルロゴ

原始より、人の傍らに海はありました。
脅威ともなれば、豊かな恵みを人にもたらしてきた海。
人と、海のかかわりはその歴史と同じく広く、深く、また微妙なものでしょう。
2002年最初の特集展示では、そんな人と海とのかかわりを6つのテーマでご紹介しています。

  • ※この特集展示は、2002(平成14)年1月から3月にかけて、中央図書館で開催されました。

海にまつわる伝説

見出しロゴ

人と海の関わりは、時の流れとともにさまざまな伝説を生んできました。今でも言い伝えられているその伝説の原点はどこにあるのか?その歴史的背景は?伝説にふれてみることでさまざまな発見をすることができるかもしれません。特集展示の棚に海にまつわる伝説の本を集めていますので、ぜひご覧になってください。

『日本伝奇伝説大辞典』 乾克巳/ほか編(角川書店 1992)

神話・伝説・昔話・民話・説話・歌謡・芸能・奇談・逸話などのうち、今日もなお全国的に人々の中に生き続けている話を収めてある。年代的範囲は上代から近世紀末までが主だが、明治期のものでも、その世界が近世的なものは一部収めてある。

(分類:R388/ニ)

『日本「神話・伝説」総覧』  宮田登/ほか著(新人物往来社 1993)

百余の日本の「神話・伝説」を第一部神話篇、第二部英雄伝説篇、第三部聖者伝説篇、第四部異界・精霊伝説篇の五部構成で紹介している。記述内容は 1.神話伝説のあらすじ、 2.歴史または心情から見た分析・解釈 3.まとめ 4.分布伝承される地域 5.参考文献、特に2.の歴史または心情から見た分析・解釈が充実していて神話、伝説に隠された歴史の真実にせまることが出来る。

(分類:388.1/ニ)

『世界神話伝説体系 総索引』 小関貴久/編(名著普及会 1981)

全41巻からなる「世界神話伝説体系」の総索引。目次編、神名・人名編および地名その他の三編にわかれていて、五十音順配列になっている。

(分類:R164/セ/42)

『世界の神話伝説 総解説』 阿部年晴/ほか著(自由国民社 1996)

世界各国の代表的な伝説をそれぞれ紹介してある。巻末にブックガイドや参考文献がある。

(分類:R164/セ)

『インド神話伝説辞典』 菅沼晃/編(東京堂出版 1985)

インドの神話、伝説のなかにあわわれる神名、女神名、人名、動植物、聖霊的存在、地名山川名などを項目として立て解説している。インドで行なわれている祭礼は神話の世界のできごとにもとずいているので、神話によって現在の人々の生活を窺い知る事ができる。

(分類:R164/ス)

海を題材にした詩歌

見出しロゴ

昔から、世界中で海をテーマにした文学作品が書かれています。
特に、四方を海に囲まれた日本では、古来より海をテーマにしたり、舞台にしたりした作品が多く見受けられます。馴染み深い『万葉集』や『古今集』などの和歌にも、海を詠った優れた作品があり、例えば

  • 田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける(山部赤人)
  • 熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は榜ぎ出でな(額田王)

などを諳んじている方、または子どもの頃に歌った

「うみ」(作詞・林 柳波) 海は広いな 大きいな
月がのぼるし 日がしづむ
「われは海の子」(文部省唱歌) われは海の子 白波の
騒ぐ磯辺の 松原に
煙たなびく苫屋こそ
わがなつかしき 住家なれ

これらの歌を口ずさむという方も多いのではないでしょうか。

さて、このところ俳句ブームといわれ、海外に広まったり、国内でも小学生はじめ若い世代に支持されているようですが、古来、海は俳句でどのように詠われてきたのでしょうか。
海の句を集めた本をご紹介すると、

  • 『海の歳時記』大野雑草子/編(博友社 1998)
  • 『海(秀句350撰32)』伊藤通明/編(蝸牛社 1992)
  • 『海の俳句歳時記』高橋悦男/編( 社会思想社 1998 )

などがあります。

なお、上記以外の俳句の本からも、季語索引、初句索引等を利用してあなたのお気に入りの一句を探してみませんか。

ガレー船の3000年

見出しロゴ

ローマの三段漕船

いろいろの船が世界の大洋を航行した数千年のあいだ、ギリシアの三段オール・ガレー船「トライリーム」ほど多くの問題や論争を引き起こしたものはない。ツキジデスは最初のトライリームが、その当初からさかのぼること260年前、つまり紀元前7世紀の中頃建造されたとしている。続けて「しかし、ペルシャ戦争やダリウス王崩御後の少し前、シチリアの専制君主やコルシラ人たちは多くのトライリームを所有していた。これらはクセルクセスの遠征前、ギリシアが海上勢力を誇っていた最初のものであった。エーゲ海の人々やアテネ人はほとんど船を所有せず、あってもその大部分は50オールしかついていなかった。アテネ人がエーゲ国と戦争中でまたさらにペルシャからの攻撃が予想されているとき、テミストクレスの説得で、そのときだけアテネ人は海戦用の軍艦を建造した。しかし、これらの軍艦は部分的にしか甲板がついていなかった」と述べている。ギリシア連合艦隊は紀元前480年のサラミス海戦でペルシャ軍に対し、大勝を収めている。

『星と舵の航跡-船と海の六千年』 ビョールン・ランドストローム/著(ノーベル書房 1968) 85ページより

水の都ヴェネチア

われらは 海よ、なんじと結婚する。われらが まことに永遠となる統治のために

15世紀初頭にヴェネツィア共和国は「静謐このうえなき共和国(ラ・セレニッシマ)」と言われるようになり,人々は総督に対して「ヴォストラ・セレニッシモ(閣下)」と呼びかけるようになった。ヴェネツィアの領土は,本島とその周辺をとりまくラグーナの島々をはじめとして,イタリア本土の北部,すなわちフリウリ地方や,ポー川からイソンツォ河のあいだに位置する諸都市にまで広がっていた。・・・(中略)・・・

1423年4月4日,総督トンマーゾ・モチェニーゴが臨終に際して行った有名な演説の中で,ヴェネツィア共和国の繁栄はまず第一に海軍の力によるものだと述べられている。モチェニーゴによると,ヴェネツィアは45隻の大型ガレー船,300隻の大型帆船,3000隻の小型帆船を所有し,総勢3万5000人を超える船員を雇用していた。フランスの歴史家であり外交官であるフィリップ・ド・コミューヌが当時のヴェネツィアを評して,「今まで訪れた中で一番栄光に満ちた国家である」と言っているように, ヴェネツィア共和国はヨーロッパ、または世界で最も強大な海洋国家だった。

『地中海の覇者ガレー船』 アンドレ・ジスベールとルネ・ビュルレ/著(創元社 1999) 32ページより

レパントの海戦

大陸の開発により、スペインは莫大な富を手に入れ,ヨーロッパ第一の大国になった。1571年、このことを名実ともに示すような海戦が地中海でおこった。スペインを中心とするキリスト教諸国と、イスラム教徒のオスマン帝国が激突した、世界で最後のガレー船による海戦といわれる「レパントの海戦」がそれだった。

『海の冒険者たち』 中田一太/著(新紀元社 1990) 138ページより

七世紀後半以来のイスラム教世界とキリスト教世界の抗争は、一五世紀に入るとコンスタンティノープルの陥落(1453)とグラナダの開城(1492)によって一段落した。だが、両世界を隔てる地中海の帰属は将来に持ち越された。このときの地中海問題には、多くの国が命運を賭けていた。中でも東ヨーロッパを窺うオスマン・トルコにとって、地中海進出はいわば自明の理だった。これに対して、グラナダ征服後のスペインも、モロッコから南イタリアに版図拡大をめざしていた。自国の東部と南部に多くのイスラム教徒住民を抱えるスペインには、地中海の支配は国家の存亡に関わる重要問題だった。

『世界の戦争・革命・反乱 総解説』 (自由国民社 1994) 125ページより

フランスガレー船団とガレー船徒刑囚

漕ぎ手は中世では自由民の仕事だったが、ルイ14世の時代には奴隷と徒刑囚の仕事になった。 ガレー船団を維持するためには、まず漕ぎ手を確保しなければならなかった。普通のガレー船でも最低260人、ガレー船団総司令官(ジェネラル)用の旗艦「レアル」や副総司令官用の船「パトロンヌ」になると、450人もの漕ぎ手が必要だった。漕ぎ手はシウルム(漕手徒刑囚)と呼ばれて、自由な水夫からなる乗組員とは区別された。また彼らは大きく分けて3種類の人間から構成されていた。奴隷、志願者、徒刑囚である。

奴隷はイタリアのリヴォルノやヴェネツィア、地中海のマルタ島やマリョルカ島などで買うことができた。彼らはその多くがオスマン帝国本土や属国の出身だったため、「トルコ人」とも呼ばれていた。イスラム教国でキリスト教徒を奴隷としてガレー船で働かせていたのと同様に、キリスト教国ではイスラム教徒を使っていた。したがってフランスでも、もともとは北アフリカの海賊、 船乗り、漁師、聖地メッカへの巡礼者などであった人々を奴隷として買い、ガレー船を漕がせていた。フランスの海軍卿は彼らを手に入れるために、商人や投機師と接触しては奴隷の相場や「入荷」状況を把握しようとした。また、各国に派遣されている領事たちも熱心に奴隷を集めた。大勢の奴隷を本国に送った者に対して、特別の報酬が与えられたからである。

『地中海の覇者ガレー船』 アンドレ・ジスベールとルネ・ビュルレ/著(創元社 1999) 160ページより

ガレー船徒刑囚には、密売人、脱走兵、プロテスタント、盗みを働いた貧民などがいた。 労働と罰 長い遠征や航海の中でオールを操作する漕ぎ手たち。その疲労や苦労をうまく言い表すことは難しい。オールを動かすためには、立ち上がって半ばひっくり返るように漕座に戻らなければならない。季節がいつであろうと、漕いでいるうちに汗が止まらなくなり、疲れた身体を濡らしていく。オールを扱ううちに、手のひらは木のように固くなる。漕ぎ手たちが漕いでいる間は、3人の船員長がよくしなう棒を手にクルシエ(右側と左側の漕座を分け、船尾から船首まで通っている通路)を行き来し、漕ぎ手たちを見張っている。そして他のオールより力の弱いオールがあると、ときには死にそうに疲れきったその漕ぎ手を、普段の倍も打つのだった。

ピヨン司祭 『フランスのガレー船においてプロテスタントが受けている責め苦に関する報告』

『地中海の覇者ガレー船』 アンドレ・ジスベールとルネ・ビュルレ/著(創元社 1999) 162ページより

最後のガレー船

ガレー船は19世紀まで生き残り、その生涯をバルト海で終えた。地中海での影響力を失いつつある一方で、ガレー船はきたヨーロッパのバルト海に活躍の場を移していた。当時きたヨーロッパでは、ロシアとスウェーデンの二大強国がフィンランドの支配権をめぐって争っていた。戦場となったのはフィンランド湾だったが、ここは狭いうえに水深が浅く、無数の小島や岩礁が点在していたため、船体の高い船では航行できない。そこでロシア皇帝ピョートル一世は、オランダの造船技師を招いてガレー船の建造にあたらせた。・・・(中略)・・・

18世紀初頭のバルト海ではロシアとスウェーデンのガレー船艦隊が激しい戦いを繰り広げるようになった。両国とも、ガレー船の水夫や漕ぎ手は奴隷や徒刑囚ではなく、自由民によって構成されていた。 しかし1750年ごろになると、スウェーデンでは地中海式のガレー船は使用されなくなった。フレデリック・エンリケ・チャプマンという造船技師が新しいタイプの軍船を完成させたのである。これは地中海のガレー船と西ヨーロッパのフリゲート船の長所をあわせもった船で、19世紀中ごろに蒸気船が登場するまでガレー船の末裔としてバルト海を航行した。

『地中海の覇者ガレー船』アンドレ・ジスベールとルネ・ビュルレ/著(創元社 1999) 130ページより

地球温暖化

見出しタイトルロゴ

近頃よく耳にする地球温暖化という言葉、これは一体どういう現象を指すのでしょうか?
私たちの住んでいる地球は,二酸化炭素やメタンなどの「温室効果ガス」によって、すべての生物にとって住みよい温度に保たれています。しかし、近年石油や石炭の消費の増加にともなって、「温室効果ガス」が大量に大気中に排出されるようになりました。このため、温室効果が強まり、地球の温度が上昇する現象を地球温暖化といいます。

では地球温暖化によって、地球や海にはどんな影響があるでしょうか?

気温の上昇、気候の変化が与える影響

以上のように地球温暖化による海への影響は、周辺環境へも深刻な事態を及ぼします。地球温暖化は今すぐ深刻な影響が出るというものではありません。ほんの少し、現在の私たちのライフスタイルを変えることが、生命の源と呼ばれる海を守り、地球温暖化を防ぐ効果に大きくつながってゆくのです。

さて、地球温暖化について本当に概要を記させていただきましたが、みなさんはどのような感想やイメージをお持ちになったでしょうか?地球温暖化について、もっと知りたい、考えてみたいと思われた方は、是非、 「環境問題コーナー」分類の頭にNが付加されている33番の棚へどうぞ。地球温暖化に関する本が並んでいますので、実際に何冊か手にとっていただき、ご自身の一冊をお選びください。

また、地球温暖化の及ぼす影響は、環境問題のさまざまな分野に関わってくることは、先に示したとおりです。地球温暖化も含めて、環境問題について情報をもっと集めてみたいという方は、31番から35番の棚に「環境」をテーマとした本を集めて並べています。地球温暖化によって周囲に波及する環境への影響は数多くあり、そのうちのひとつを選んでみることで、こんなことでも地球温暖化や環境問題にこんなに密接につながっているのだと再確認できるかもしれませんね。

東京湾三番瀬:人と海との共生

三番瀬とは・・・

見出しロゴ

三番瀬とは、市川と船橋の沖に広がる約1200ヘクタールの浅瀬・干潟海域の総称です。

三番瀬は自然の宝箱。野鳥観察なら、この季節3月までが冬の渡り鳥など最も鳥が多く見られます。また魚は約100種類以上、カニや貝類その他イソギンチャクゴカイなども生息しています。

三番瀬を調べるには・・・

書籍・刊行物

本は郷土資料・市川の資料コーナー、棚番号69番、請求記号:I/T0 の書架にあります。

WEB-OPACで、キーワードで「三番瀬」と調べてみると図書館に所蔵している三番瀬関連の資料が表示されます。

新聞記事

市川市中央図書館では1993年1月から2010年12月まで市川市関連の新聞記事の切抜きを行い、地域行政資料の分類番号順に閲覧用にファイリングし、保存しています。三番瀬の分類番号は「T0」です。また、図書館のホームページ内「市川市関係新聞記事検索」で、見出し検索(1993年~2008年)ができます。

インターネット

インターネットで「三番瀬」を検索してみると、多くのサイトがヒットします。そのうち、代表的なサイトをご紹介します。

特定非営利活動法人 三番瀬環境市民センター

ファンタジー・ミステリー・アドベンチャー

見出しロゴ

21世紀となった現在でも、海は神秘や謎が多く、私たち人類にとっては、それだけに興味が尽きないものです。今回のテーマ展示には、海と人とに関わりのある、ファンタジーやミステリー、そしてアドベンチャーについての本も集めてあります。こちらでは、その一部をご紹介しましょう。

皆さんも、さまざまな顔を持つ海の世界まで、本の扉を開けて冒険やミステリーの旅に出かけてみませんか?

人魚(マーメイド)

「人魚」は、世界各地でさまざまな伝説があり、その出現は吉兆とも瑞兆ともいわれています。一説には、ジュゴンかマナティーか、あるいは岩の上でひなたぼっこをしているアザラシなどの海獣がモデルだったともいわれていますが、ノルマンの国のバイキングが創造したという仮説もあるそうです。

「人魚」は大変チャーミングで、いつまでもいきいきとし、そしてまた海を優美にかざり、長い航海で疲れる船乗りの心をなごやかにしたそうです。

コロンブス

十五世紀の中頃から十六世紀のはじめにかけて、多くの航海者が広い大洋をめざして乗り出し、さまざまな発見をしました。この時代を大航海時代をいいますが、そのなかでもやはり、コロンブスの新大陸発見を欠くことはできないでしょう。

実はコロンブスは、マルコ・ポーロの『東方見聞録』を読み、黄金に富むジパング(日本)に憧れていました。しかし、生涯三度に渡って航海を試みましたが、最後までジパングに辿りつくことはなく、五十五歳の生涯を閉じたそうです。

幻の大陸アトランティス

「アトランティス大陸」の物語ほど、ミステリーに満ちたものはないかもしれません。高度な文明が絢爛と開いていましたが、ある日突然破局を迎え、地震と洪水のために一日と一夜にして地上から姿を消してしまったといわれています。

このアトランティスのことを書き残したのは、古代ギリシアの哲学者プラトンです。たんなる伝説なのか、若しくは本当に存在したのか。その謎をめぐってこれまで多くの人々が海中を探し、そして沢山の書物を出版してきました。

このページに掲載されている情報の問い合わせ

市川市教育委員会 生涯学習部 中央図書館

〒272-0015
千葉県市川市鬼高1丁目1番4号 生涯学習センター内

電話
047-320-3333(自動応答)
047-320-3346(直通)