更新日: 2022年8月15日
令和4年1月19日 市川市議会 健康福祉委員会
会議に付した事件
所管事務調査
委員会概要
日時
令和4年1月19日(水曜) 午後1時30分
場所
議会会議室
出席委員
- 委員長
- 石原みさ子
- 副委員長
- つちや正順
- 委員
- やなぎ美智子
長友正徳
中村よしお
秋本のり子
稲葉健二
加藤武央
大場諭
竹内清海
欠席委員
中山幸紀
会議概要
午後1時30分開議
○石原みさ子委員長 ただいまから健康福祉委員会を開会する。
○石原みさ子委員長 所管事務調査のうち、心身障がい者(児)福祉対策についてを議題とし、手話言語条例案について審査いただきたい。
本件については、昨年12月21日に開催された本委員会において、条例案についての検討を行っており、本日は各委員からの意見を反映させた修正案について審査することとなっている。まず、手元に配付してある手話言語条例修正案について、事務局から説明を受けた後、1ページ目から順を追って意見を伺い、内容をまとめていきたい。
それでは、資料について、事務局に説明させる。
○議事課長 お手元の修正案について説明する。こちらの修正案は、前回示した議長案について、削除や修正の意見があった箇所には下線を引き、追加や修正の意見については、修正案や参考となる記述を示しているものである。
初めに、前文から説明する。
「人は」から始まる冒頭の3行、下線を引いた箇所については、削除してよいのではないかとの指摘があった。削除すべきか否か、また、削除した場合に、次の文章の書き出しはこのままでよいか、協議いただきたい。
続いて、その下の行、「音声言語とは異なる特質があるものの」の箇所である。こちらも削除してよいのではないかとの指摘があった。
次の行の四角で囲んだ「手や指、身体の動き、表情等により」の箇所については、前期の案では入っていたが、議長案では削除した表現である。そのまま残してもいいのではないかとの提案があった。
なお、後段に「ろう者」の言葉が初めて出てくる。聾者については、定義を入れたほうがよいとの指摘があったが、一般的に、前文には定義規定や略称規定は置かないので、この点に関しては、後ほど、本則の部分で提案をさせていただきたい。
続いて、次の次の段、「しかし」から始まる3行である。ストレートな表現にしたほうがよいのではないかとの指摘があった箇所になる。その下の四角で囲んだ3行は、内容はそのままで、表現を端的にする修正の提案になる。
続いて、このページの最後の行、市民の負う「責務」の表現について、表現が強いのではないかとの指摘があったので、4条、5条の表現に合わせて「役割」への置き換えを提案するものである。
なお、次のページの冒頭で、参考までに参議院法制局の記事を引用させていただいている。責務規定とは役割を宣言的に規定するものとされているので、耳で聞いた印象は、指摘のとおり、若干強く聞こえる反面、言葉の意味としては、必ずしも強いわけではないようである。
次の行にも、責務を役割に置き換える箇所があるが、内容は同様である。
続いて、前文の最後の段落、「認識を普及させる」との部分について、本条例の本来の目的は、第1条にある「理解の促進」にあるのではないかとの指摘があった。そこで、四角で囲んだ箇所のとおり、「理解を促進」に置き換える修正を提案するものである。
前文については、以上である。
続いて、本則について説明する。
第1条については、修正はない。
次に、第2条については、聾者の定義規定を置いたらよいのではないかとの指摘があった。聾者の定義としては、関係する法令には定義がなく、ここでは参考までに、浦安市の条例を例として示している。前期の案と浦安市の条例の場合、手話を使いこなせていない方は聾者ではなく、本条例の適用外となってしまう。そのような定義のままでよいか、あるいは新たな定義規定をつくるのか、協議いただきたい。
なお、浦安市の条例については、聾者より範囲の広い「聴覚障がい者」を条例の適用対象としているので、手話を使いこなせない方も「聴覚障がい者」として、条例を適用することができる形になっているので、この点が本市の条例とは異なっている。
続いて、第3条については、前期の第3項にあった「市の施策との整合性を図るものとする」の規定を復活させたほうがよいのではないかとの指摘を踏まえ、修正を提案するものである。
次の第4条、第5条、第6条には修正はない。
続いて、第7条については、まず、見出しを前期の案に戻すべきとの指摘があったので、この点の修正を提案するものである。ただし、前期の見出しだと、現在の本文の内容と厳密には一致しない問題が出てきてしまう。また、第7条の本文については、前期の案に戻すべきとの指摘を踏まえ、「等」の文字を復活させ、教職員も本条の適用の対象に入れることについて協議いただきたい。参考までに、テキストボックスの中に、前期の案と浦安市の条例の例を示している。
説明については、以上である。よろしく審査くださるようお願い申し上げる。
○石原みさ子委員長 ただいまの説明を踏まえて意見を伺う。
まず、前文の最初の線が引いてある「人は、古来より、言語によって自分の思いや考えを他者に伝えることにより、感情を豊かにし、知識を蓄えるとともに、社会生活を営み、文化を発展させてきた」の部分について、入れるか入れないかを決めたいと思うが、意見を伺いたい。
前回、中村委員より不要ではないかとの指摘があった。中村委員、少し説明いただけるか。今も同じ意見でよいか。
○中村よしお委員 同じである。
○石原みさ子委員長 削除してよいと提案していただいたので。
○やなぎ美智子委員 削除しても不都合はないとは思う。しかし、この条例の清らかさとか誇らしさ、理念条例なので、そのような意味では、そこで高らかに改めてという感じで、これは実務的に害はないかもしれないが、あったほうが格好がつくとの言い方はあれかもしれないが、それはそれで悪くはないような気がする。深くはこだわらない。
○中村よしお委員 基本は話し合って、話をまとめていくのがいいと思うので、違った方向に行かないように望んでいるが、要は言語の説明をしてあるので、改めて手話言語のところで、言語とはそもそもこのようなものだと強調する必要はないのではないかというのが私の意見である。だから、いろいろ修飾するのも1つであるが、逆に削ぎ落とすところで、手話言語の必要性を前文で高らかに宣言をしたいのが私の意見である。
○長友正徳委員 あまりこだわりはしないが、この条例そのものが理念条例であるし、言語に関わる理念条例である。言語とは非常に大切なものであって、言語を通じて社会生活を営み文化を――言語は大切なものである。言語のうちの一つとして手話があって、それについて以下理念があるので、冒頭に言語そのものの大切さ、題目と言われればそのとおりであるが、そこから始めるのが自然な感じがする。いきなり手話言語で始まるのではなく、言語そのものから始まって、そのうちの一つとして手話があって、それを普及させようとつながるのが自然かと感じる。
○中村よしお委員 それはそれで多分そのような話がずっと続くと思うので、今のところで言うと、他市の条例を見ると、手話は音声言語とは異なるものであると入ってくるのが比較的多いかと思うが、そのような意味でいうと、手話から始まることが唐突かといえば全くそんなことはないと思う。事務局で今まで調査をされていて、出だしのところでどのような傾向性があるのかを参考までに伺いたい。
○議事課長 松戸市、浦安市、札幌市、郡山市と千葉県の5つを調べたが、郡山市の出だしが「人間は、言語によって」から始まっている。そのほかの4つの自治体は、「手話は」と、手話の部分から始まっている状況である。
○加藤武央委員 私は、これはどちらでもいいと思っている。付け加える分には少し重みがある、なくても別に何の問題もない。5つの中で4つが手話から入るのであれば、多いところの例を見習ってもいいのかと思う。内容そのものが大事なのであって、重みを生むのはあまり、今回であれば外してもいいのかと思う。
○秋本のり子委員 私はあったほうがいいと思っている。これをつくるきっかけになったのは、実際に手話をしている聾者の方々の声を私たちが具体的に聞いてきたためである。そのような思いをもう1回確認するように、出だしのところで使用するのはいいのではないかと考えている。
○大場 諭委員 私はどちらでもいいが、結論から言うと削ったほうがいいのではないかと思う。これは修飾であるが、今度、この表現でいいのかの議論もしなければいけなくなる。ここに書いてあるとおりでいいのか。やはり条例なので、あえてイメージづけられるようなことは避けて、ストレートに条例に入ったほうがその趣旨が伝わると考えている。
○稲葉健二委員 皆さんの意見を聞いていると、どちらでもいいのは基本的な部分だと思う。かといって、採決で多いからこちらとするのも何かというイメージである。確かに、これが入るほうが丁寧さはある。ただ、決定していないが、手話言語条例とタイトルがあったら、手話から入っても不自然ではない。それが例えば、全く違う手と手と何とかとのタイトルであれば、このようなくだりがあったほうが収まりがいい。あくまでも決定はしていないが、市川市手話言語条例のタイトルで進むのであれば、手話とはから入っても違和感がない。できるなら手挙げの採決で決めるよりも、どちらかで行ったほうが、気持ちよく行けるのかと思う。
○竹内清海委員 長い間、言語条例をいろいろ協議してきたと思うが、私は新鮮な中でこれを見させていただいた。前文は確かにいいことが明記されているが、やはり手話言語条例の中で、稲葉委員が話されていたが、ここから入ったほうがすっきりすると感じる。上の部分は確かにいいことを言っているが、あえて入れる必要はないと私は思っている。
○石原みさ子委員長 何名かの方から意見を伺ったように、採決で決めていくのではなくて、できる限り話合いで全て進めていきたいと思っているので協力願う。
そもそもどのような経緯でこの3行が入ったのかを確認したが、前委員会案に入っていた。その大本としては、特に当事者であるろう者協会などの方々からの提案の部分ではなかった。なので、議会事務局でたたき台をつくる上で、どこかから引っ張ってきたのかという部分である。前委員会での案として入っている。当事者からの提案ではないことを伝えておく。
○つちや正順副委員長 私もできるだけシンプルに、ストレートに伝わるほうが望ましいと思う。そもそもタイトルも直球でと前期から提案しており、大方、皆さんから出た意見と一緒で、大変すばらしい前文の「人は」からの流れだと思うが、ほかの自治体も手話から始めている自治体が大方であることと、やはり検索していただいたときに、手話の話にすぐ入ったほうが望ましいかとの部分があるので、手話から始まったほうがよいかと考えている。
○石原みさ子委員長 皆さんの意見を伺った。ここの部分に関しては、他の自治体の多くが「手話」の言葉から始まっていることも鑑み、今回は削除して、シンプルな形で冒頭に入っていく形式にしたいと思う。よいか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石原みさ子委員長 そうすると、4行目の「手話には」が最初の書き出しとして適切かを併せて協議いただかなくてはいけない。他市を見ると、例えば浦安市は、「手話は、ろう者にとって大切な言語である」、すごく分かりやすい。松戸市は、「手話は、音声言語とは異なり、手指、体の動き、表情などで視覚的に表現する言語である」と、「手話は」の言葉で、手話とは何かの説明を入れている。
もう一度見たときに、今のままであると、「手話には、音声言語とは異なる特質があるものの、文法の体系と豊富な語彙を有し、手や指、身体の動き、表情等により使う者の意思や感情を表現する点で紛れもない言語であり、音声言語と同じく自分の思いや考えを他者に伝える方法として、ろう者やその支援者によって大切に受け継がれてきた」、やや長いが、このままでよいか、それとも少し表現を変えたほうがよいか、いかがか。
○長友正徳委員 この文章全体についてであるが、「手話には」と始まるが、文法的に変である。手話の後に、この2つがくっついているが、「紛れもない言語であり」、そして次に「大切に受け継がれてきた」。だから、「手話には」ではなく「手話は」である。「手話は、紛れもない言語であり、大切に受け継がれてきた」としたほうが素直に読める。
○加藤武央委員 最初は残していた。前回は手話から入っていた。訂正案で、「手話には」をそのまま入れたから取らなかったが、最初のときは「手話は」、それを残せと委員会で言っていなかった。
○長友正徳委員 「、音声言語とは異なる特質があるものの」を削除とあるが、要は音声言語とは違う。では、どのように違うのかを、追加で提案された「手や指、身体の動き」で行う言語であると。つながりとして、音声言語とは違うと言って、ではどう違うのかで、手や指を使ってとするほうが特徴をよく表している。それから文法的には、「音声言語とは異なる特質を有しているものの」とか、特質があるではなくて、手話が主語なので異なる特質を有していると直したほうがいいと思う。
○中村よしお委員 修正案では「手や指、身体の動き、表情等により」が追加されている。これまでに誰かが意見を言ったと思うので、これはこれで生かすと考えると、例えば松戸市では「手話は、音声言語とは異なり、手指、身体の動き、表情などで視覚的に表現する言語である」とあるし、私がプリントアウトしたが、多分聾者団体のものだと思うが、市町村手話言語条例モデル案がアップされていて、これはもとのものに似ている印象があるが、参考までに言うと、「手話言語は、音声言語である日本語と異なる言語であり、手指や体の動き、表情を使って視覚的に表現する言語である」、ここら辺のポイントの語句が入れば、てにをはの部分は当然直すと思うので、重要なポイントのワードが入ればいいかと思う。
○議事課長 ただいまの部分であるが、今、中村委員が言われた「手や指」の四角い部分は、前回の案を復活させた部分になる。その上の「音声言語とは」の下線部分は、前回、削除してもよいのではないかとの意見があった文言になる。その辺を踏まえてお願いしたい。
○中村よしお委員 削除と言ったのは多分、私である。要するに、これを削除というよりは、あるものの何々とのネガティブな文のつくり方がいかがかとの言い方をしたと思う。音声言語とは違うもののと言うと、何か対比するような形になるので、音声言語も手話言語もどちらも言語なのだとの話の書きっぷりのほうがいいとの意味で言ったと認識している。
松戸市のものをそのまま読むが、「手話は、音声言語とは異なり、手指、体の動き、表情などで視覚的に表現する言語である」との言い方、モデル案は、「手話言語は、音声言語である日本語と異なる言語であり、手指や体の動き、表情を使って視覚的に表現する言語である。ろう者は、物事を考え、コミュニケーションを図り、お互いの気持ちを理解し合うために、また、知識を蓄え、文化を創造するために必要な言語として手話言語を大切に育んできた」、市川市の案が似ている。
○やなぎ美智子委員 今気づいたが、「音声言語とは異なる」を削除しないで追加も生かすとなると、長くなるし、「文法の体系と豊富な語彙を有し」が重いし、つなぎにくいのかと。これを削除すると短くすっきりする感じで、松戸市も文法の云々とややこしいものはない。札幌市は文法体系はある。削れるものは削り、追加するものは追加する考え方からするとどうなのか。
○中村よしお委員 札幌市も結構シンプルに書いてある。
○やなぎ美智子委員 語彙や文法体系というのはあるが。
○石原みさ子委員長 前委員会案は、いろいろなところの前文を組み合わせてつくっている。今言った「文法の体系と豊富な語彙を有し」は札幌市から取っているし、「音声言語とは異なる特質」は松戸市や札幌市も入っている。そのようなものをつないでつくった感じになっている。
まず、四角で囲んでいる「手や指、身体の動き、表情等により」、この表現は残す方向でよいか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石原みさ子委員長 そのように決定する。これは残す。
その上の行、「、音声言語とは異なる特質があるものの」の表現、「手話は」から始まるので言い回しを変えてもいいか。
○長友正徳委員 札幌市の案がいいと思う。短くて情報が分かりやすい。読み上げると、「手話は、音声言語とは異なる語彙や文法体系を有し、手や指、体の動き、表情などにより表現される言語である」、本市の案を縮めた感じになっている。「特質があるものの」を削除して、「音声言語とは異なる文法の体系と豊富な語彙を有し」が短くなりよいのではないかと思う。
○石原みさ子委員長 今の長友委員の提案だと、「、音声言語とは異なる特質があるものの」の「特質があるものの」を削除してつなげるとのことである。
○大場 諭委員 これは自分の感覚の問題かもしれないが、手や指の枠の下に「表現する点で紛れもない言語であり」、これは「紛れもない」は要らないのではないか。言語なので、あえて紛争を起こすような、さっと言語であると書いたほうが短くなってストレートに読める。「点で紛れもない」を取り、「表現する言語であり」。
○やなぎ美智子委員 私も「紛れもない」は要らないと思うが、手話言語に対して、とにかく手話は使うなと、口であれして云々と、一時期手話に対する攻撃というか禁止みたいなものがあって、でも、そうじゃないとの思いが「紛れもない」に表していたところがあって、前委員会でそれはそれでと思った。でも、今はそんなことはないので、「紛れもない」は要らない気がする。
○石原みさ子委員長 「紛れもない」を取って読んでみると、「手話は、音声言語とは異なる文法の体系と豊富な語彙を有し、手や指、身体の動き、表情等により使う者の意思や感情を表現する言語であり、音声言語と同じく自分の思いや考えを他者に伝える方法として、ろう者やその支援者によって大切に受け継がれてきた」となる。
○稲葉健二委員 今の意見は賛成であるが、「紛れもない言語であり、」と読点でつながるよりは、ここで1回、「ある。」の形で止めて、「感情を表現する言語である。音声言語と同じく自分の思いや考えを」、ここは「他者」も取ってしまったほうが、「自分の思いや考えを伝える方法として、ろう者やその支援者によって大切に受け継がれてきた」というほうが、他者とか余分なものを入れなくていい気がする。読点で長くつながるより、1回、こうであると止めてから、音声言語と同じなんだとあったほうがきれいな気がした。
○石原みさ子委員長 皆さんよいか。大分すっきりする。では、今の稲葉委員の提案のようにもう一度読む。「手話は、音声言語とは異なる文法の体系と豊富な語彙を有し、手や指、身体の動き、表情等により使う者の意思や感情を表現する言語である。音声言語と同じく自分の思いや考えを伝える方法として、ろう者やその支援者によって大切に受け継がれてきた。」でよいか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石原みさ子委員長 では、ここはこれで決定とする。
次に移る。「しかし、」から始まる線が引いてあるところである。「しかし、その一方で、地域社会において手話が言語であることへの理解が十分に浸透したとは言い難く、今もろう者は不安や不便を感じながら生活しているという実態があることも、事実である」の文章を修正したものが、四角の中の文章である。「しかし、それでもなお、地域社会において手話が言語であることへの理解が十分に浸透したとは言い難く、今もろう者は不安や不便を感じながら生活しているという実態がある」、ここはもう少しストレートな表現にしたほうがよいのではないかとの指摘を受けて修正を提案しているが、いかがか。
○中村よしお委員 そのまま、実態があることも事実であるとの書き方で、どうかとの意味だったが、この際、1点確認させていただきたい。「本市においては、わが国で唯一の国立のろう学校である筑波大学」云々、「社会的自立と自己実現を図ることができる環境が形成されるなど、ろう者のアイデンティティと誇りを醸成する歴史が刻まれてきた」のは本市でとのことであるが、これは事実なのか。私の理解では、市としては、それを市の中で広げる取組は行っていたのか、それはこれからのことなのかと思っている。
○石原みさ子委員長 「本市においては」のくだりのところか。
○中村よしお委員 設置され、そこで学び合ってきた。それはそのとおりである。
○石原みさ子委員長 歴史的な事実の表現だと思っている。
○中村よしお委員 「図ることができる環境が形成」の環境とは、どのような意味か、何を指しているのか。これをそのまま読むと、本市に学校が設置された。その学校には、全国からいろいろな方が社会的自立と自己実現を図るため、学ぶために集っていただいたとのことである。それが本市にあるのは誇りだと私も思う。その後ろの文が、それでもなお、地域社会において手話が言語であることへの理解が十分に浸透されていない。学校があったことで、それが浸透していたとの話になっている。でも、浸透するはずだったのが、浸透したとはまだ言い切れないとの書き方なので、そこまで学校に対して市で何か行うということだったのか。
○加藤武央委員 何十年も前から歴史のある学校である。ほかになく、市川市だけに唯一あるとの解釈で、それを表現している。全国から来てもらって、このようなことを行ってきて、私も中学の子と野球をしたり交流をしている状況の中で、市川市にある学校は、すごく伝統と歴史ある学校なのだと表現したと解釈しているが、それでもまだまだ足らない、市川市内との言い方をしてもいいのであろうが、全く知らない人がいっぱいいることを表現しているのではないか。今でも、さらにまだ浸透していないと思う。
○稲葉健二委員 中村委員の受け止め方が違っていたら申し訳ないが、要するに、全国の中でも市川市が聾学校を持っていて、そこでいろいろな子どもたちが集まって行ってきた。そこのつなぎで、「しかし」でつないでいる文章と理解していたが、「それでもなお」の部分は要らないと思っている。だから、「醸成する歴史が刻まれてきた。しかし、地域社会において手話が言語であることへの理解が」の形で、今まで聾学校が果たしてきて醸成している役目があったにもかかわらず、まだ地域社会においては、手話が意識づいていないことをつないでいる部分であったら、「それでもなお」をどかしたらつながっていいのではないかと思った。
○中村よしお委員 これはつながらない話だと私は思っている。市のアイデンティティーとしては、これがまずある。それはそれである。でも、それが地域に浸透していないのは、学校があったことで市が何かとか、市民が行わなかったことになってしまう文章になっているので、それは関係ない。言ってしまえば、そのような学校があるから、本来だったら市とか市民が手話を学ぶとか、例えば地域でつながることをしていって、それでもなお足りないのなら分かるが、そのようなことをしているわけではない。これから行っていこうとする話だと私は思っている。すばらしいことはすばらしい。市川市も他市と同じように、これから行っていかなければいけないことを切り離して書いたほうがいいというのが意見である。今、稲葉委員が言った「それでもなお」が特に関連づけている言葉になっているので、要は技術的なところを言うと、そこの部分を外す、切り離すのがいい。
○加藤武央委員 「それでもなお」との言い方をしているのは、市川市としても協力していた、支援していた、協賛していたことを残したかった。それでもまだ拡大していない、だから残念であるとのことで、聾学校と野球をしたり、中学校に遠征したり、支援をしていた。市川市にしか聾学校がないから、わざわざ千葉市から来るわけである。やはり市川市はすごいなと思っていたが、「それでもなお」とは、そのようなことをしていてもまだ市川市そのものが支援していない、足りないとの言い方かと思ったが、それがつながらないのか。
○中村よしお委員 語句の一字一句について言うのが私は好きなのであるが、そのような意味で言うと、前文が長くなるのは好きではないが、今言ったような、例えば地域で野球を一緒にしてきたとか協賛してきたことが分かる文言が入っているのならば、「それでもなお」とのつながり方はある。しかし、あまりこれを言い過ぎると、市が行っていなかったところを一生懸命ここで言うことになり、それもいかがなものか。そこの判断をどうするかだと思っているので、あまりここは深掘りせずに分けたほうがいいかと思う。今教えていただいたので、野球で行ってこられたことは認識した。
○秋本のり子委員 行政が行ってきた手話への浸透というものは削除したわけである。市民手話教室や講師養成講座は現実にあったことだが、削除してきた。であるから、そのようなものを含めて直していただいた文章で、「それでもなお」を消して使ったほうがいいと思った。
○石原みさ子委員長 こちらの修正に関しては、四角で囲んでいる部分の中の「それでもなお、」を削除した形で生かすことでよいか。文章を読むと、「しかし、地域社会において手話が言語であることへの理解が十分に浸透したとは言い難く、今もろう者は不安や不便を感じながら生活しているという実態がある」。
○稲葉健二委員 今のところで、「理解が十分に浸透したとは言い難く」と終わった形ではなく、「浸透しているとは言い難く」の文章のほうが入りやすいかと思った。「手話が言語であることへの理解が十分に浸透しているとは言い難く、今もろう者は不安や不便を感じながら生活しているという実態がある」と直ったほうが聞きいいかと思った。「したとは」と終わったものの言い方、結論ではなく、「しているとは」のように現状がまだそこまで行っていないのではないかと言葉の使い方で思った。
○中村よしお委員 条例の中での書き方のセオリーの意味で、委員長から事務局に、している、したの使い方について意見があれば。
○石原みさ子委員長 特に問題はないと思う。皆さんの好きなほうでできる。ここの部分は、「それでもなお、」を省き、「浸透した」を「浸透している」に変えて修正したいと思うがいかがか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石原みさ子委員長 それで決定する。
次に進む。次は、「責務」を「役割」の単語に変えた部分である。
○中村よしお委員 責務、役割の言っている意味は、書いていただいているとおり理解しているが、事務局にも意見があればぜひ伺いたい。市の責務となっているが、市民とか事業者は役割との言い方を条文の中で使っている。そのようなところを見たときに、この文章で「まちに暮らす私たちは」を普通に捉えると、市、行政と市民と事業者を全部入れることになるかと思う。そうであれば、「責務」を入れると、市民、事業者まで役割ではなくて責務と、内容が少し違う部分があるかもしれないが、急に言葉的には「責務」となっているので、字句的な統一感を見れば、市民には役割がある、の言い方のほうがよいのかとの趣旨である。
○議事担当主幹 検討段階で役割と責務の単語の意味の違いも若干調べたが、厳密なものではなくて、役割という言い方も責務という言い方もできるとの前提で、格式張った点で重みを持たせる場合には責務との表現を使い、むしろ、重い負担を課す趣旨ではないことを明記したほうがいい場合には役割と、使い分けで用語を考えていたが、今、委員が言われたように、言葉の使い方の統一の点では、指摘のとおりかと考える。
○中村よしお委員 事務局に伺いたいが、「私たちは」とは、さっき私なりの解釈を言ったが、例えば主語を「私たち市議会は」とする言い方は、この文章の中であり得る形なのか、普通は求めないのか。もし、それを入れることが一般的に可能であれば、私たち議会の思いでいるのだったら、私は責務との言い方でも構わないと思っているが、そこら辺の解釈の幅はどうなのか。どちらでもいいのであれば、そのほうがいい。
○議事担当主幹 私の経験上は、前文などの主語で市議会を使うのは、例えば議会基本条例のような場合は、やはり主語が議会になるかと思うが、それ以外でなかなか見た記憶がない。市長が提案し、議会が決定するなど、幾つかの方法で条例ができても、結果としては市川市全体としてつくるものであることからすると、なかなか議会や市長が主語の使い方はあまりない。
○中村よしお委員 それは私も分かっていて確認の意味で聞いた。議会がつくっても、できてしまえば行政がこれを運用していくので、それは当然の話だと思う。やはり、最初に言った3条、4条、5条の市の責務と市民の役割と事業者の役割の意味でいうと、このまま役割としたほうがいいかと思う。
○石原みさ子委員長 ほかに意見はないか。では、ここの部分は2か所とも「責務」となっているところを、「役割」の単語に変えたいと思うがいかがか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石原みさ子委員長 次に、文章の修正である。今、「役割」との表現に変えたので読むと、「私たちは、この役割に深く思いをいたし、手話は言語であるとの認識をさらに普及させることにより」を「私たちは、この役割に深く思いをいたし、手話は言語であることの理解を促進することにより」と修正してはいかがか。意見を伺う。「認識をさらに普及させる」との表現を、「理解を促進する」と直したものであるが、この部分は中村委員の提案である。
○中村よしお委員 少し整理すると、私は「理解を促進」とした。第1条がそのような文言になっており、これもすごく大事な目的のところに入ってくるものなので、語句の確認をさせていただきたいが、認識を普及させることが、議長案のときの目的だった。この条例案全体を通して、「理解を促進」の定義は何を指すのか確認をしたほうがいいかと思っている。他市を見てみると、札幌市の場合はすごくシンプルで、「手話が言語であるとの認識を普及するため、この条例を制定する」と認識の普及である。市川市の最初の議長案も、認識をさらに普及させると前文に書いてあった。松戸市の場合は、「手話の普及及び手話への理解の促進(以下「手話の普及等」という。)」と書いているが、市川市の場合は、ここをしっかり確認した上で文言を確定させていかないと、全体の核になるものの一つだと私は思っているので、修正していただいた「手話は言語であることの理解を促進」の理解とはどのような意味なのか、事務局が修正していただいた部分の意見のすり合わせをさせていただきたいと思う。
○議事課長 前期の委員会でつくった条例の目的が、「手話が言語であるとの認識を普及し」であったので、それを今度の議長案で「理解の促進」と変えたところであるが、手話が言語であるとの認識の普及を手話への理解の促進に含めた形で、議長案を修正したものになる。
○長友正徳委員 私はどちらでもいいと思うが、この仕上がりの文章の前後関係を整理する意味で一言言いたいが、1ページ目の四角の中に、「しかし」から「理解が十分に浸透したとは言い難く」、ここが問題である。だから、それに対して、今後理解を促進する、これはつながりがいい。前段の四角の中で、認識を普及させるとすれば、2ページ目も認識を普及させる。理解がまだ十分浸透していないのが問題だとしていて、それに対して、その問題を解消するために、理解を促進するために条例を制定する。前後のつながりはどうかとの視点から見る必要がある。
○やなぎ美智子委員 認識か理解か、どちらかにしようとすると無理がある。例えば、認識に基づき理解を促進との整理の仕方をすると、無理がないのかという気もしないでもない。
○中村よしお委員 認識の下に理解をとの意見であるが、さきほどの課長の答弁だと、認識の普及を含めた理解との言い方をしていたと思う。もう一つ言うと、これまでの部分で、理解とはそのような意味だと理解しているから、私はもうすっきりしている。要は、目的の後に続くところであるが、学校で例えば子どもが手話を学ぶのは、理解よりも手話の普及である。でも、普及は目的に入っていないが、他市の場合は普及が目的の中に入っている。それもあったので認識の普及との使い方をしているが、認識の普及と理解の促進の言葉、あとは手話の普及が入ってくるので、ここら辺を整理した上で進めていかないとというのが私の言いたいことである。認識の普及とは理解の促進の中に入ってくる。理解の促進の概念のほうが普及の促進よりも大きいかと思うが、あとの学校の部分で手話の普及が入っているのであればいいが、それが入っていないのであれば、別途、手話の普及の言葉も入れるほうがいいのか。ただ、それを入れることになると、教育委員会も含めてまた一仕事になるのか、それはもう一つの課題になると思うので、それを整理した上で、理解の促進の言葉でいいのであれば、私は問題ない。
○石原みさ子委員長 目的の第1条には、「手話が言語であるとの認識に基づき、手話に対する理解の促進に関し」と両方が入っている。今、指針にしているのは、その直前にある前文の最後のところである。
○竹内清海委員 「認識をさらに普及」と「理解を促進する」、どちらでもいいと思うが、私も委員会に途中から来たので、なかなか前段のいろいろな会議の内容を分かっていないが、私は認識をさらに普及するとするほうが、何となく滑らかな感じでいいのかなと前後の文章を見ながら感じる。一般の人たちが見たときに入りやすいかと個人的に感じた。
○秋本のり子委員 私は先ほど長友委員が言った、1ページ目の一番下の四角、「しかし」から始まる文で、「理解が十分に浸透しているとは言い難く」と言っているのを受けて、理解の使い方はどちらでも、手話は言語であることの理解を促進することよりも、対比したものが読みやすいと思った。そして、目的のところでは、認識とか理解と両方をしっかり書いてあるので、流れとしては、前文で対比をしたほうが分かりやすいかと思った。
○石原みさ子委員長 この部分はどちらでもいい表現であろうと思うが、ほかの方はいかがか。
○つちや正順副委員長 どちらでもいいかと思うが、強いて言えば「理解を促進する」のほうが、前段とのつながりの意味でいいかと思う。
○石原みさ子委員長 例えば、「手話は言語であるとの認識をさらに普及させ理解を促進する」としてはどうか。
○中村よしお委員 私の説明がよくないからかもしれないが、要するに、言語であるとの認識を普及させることを書いてあるので、つなげるのはあまりよくないかと思う。後で目的の中でも言うが、要するに理解の促進との言葉の中に認識の普及も含まれ、手話の普及がここには入っていないが、学校でのところでいきなり出てくる。ほかの条例を見ると、その場合は普及が書いてある。手話の普及が目的の中に入っているから、学校で触れる機会があるのは私の中でつながる。それがなくて理解の促進だけだったら、学校で学ぶ、手話に触れることは、やはり普及に関わってくるのではないか。普及の理解としては、それも包含しているとの受け止め方でいいのかが、私が確認したいことである。後でつながってくるので、これはこれで理解の促進ということで。
○やなぎ美智子委員 中村委員がこだわる理由もよく分かる。浦安市は、「理解及び普及の促進」との表現にしている。
○中村よしお委員 手話のことか。認識の普及ではないと思うが、どうか。
○やなぎ美智子委員 そうである。認識ではない。手話の理解及び普及の促進。
○長友正徳委員 後のほうを見てみたら、手話に対する理解の促進とか、促進との言い方がずっと出てくる。目的、基本理念、市の責務。文言の統一をして、前文のところの言語であるとの認識をし、手話に対する理解を促進する。何か前文と本文が違う表現になっているのはどうか。本文は手話に対する理解の促進を何回も言っている。前文でもそれを使ったほうがいいのではないか。
○石原みさ子委員長 つまり、第1条以降の本則では、理解の促進との言葉が多く出てくるから、前文でも、それに合わせたほうがいいとの意見である。この部分は、「手話は言語であることの理解を促進することにより」のほうを採用してはと思うがいかがか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石原みさ子委員長 また、普及の言葉は別のところで生かされる機会もありそうなので、「理解を促進する」に決定する。
先に進む。目的、第1条以降である。中村委員、先ほど目的の第1条で普及について言われていた。
○中村よしお委員 これまで議論されてきて、理解の促進というか認識の普及にフォーカスしているので、それをひっくり返すつもりはないが、一応確認の意味で、手話等の普及及び理解の促進の普及のところは入れたほうがいいのか。ただ、入れると、また少し大きな話になってしまう。普及のためには、いろいろ予算がかかってくることもあり得るが、そのような意味で言うと、第7条の「市は、学校等において、児童、生徒又は幼児に対し手話に接する機会を提供するよう努めるものとする」を確認させていただきたいのが、普及に関係しないのであれば、普及は入れなくていいと思うがいかがか。そもそものつくりつけの部分で言うと、文言を指す部分、接する機会の提供だから、接する機会でよければ手話の普及というよりは理解の範疇に収まるかと思う。これをもっと求めるものであれば、手話の普及も入れていく必要があるのかという意味での確認である。
○石原みさ子委員長 第1条でか。
○中村よしお委員 やはり目的は大事なので、松戸市を見ると、目的に「手話の普及及び手話への理解の促進(以下「手話の普及等」)」との言葉にまとめている。今は理解の促進だけになっている。あえて言うと、普及になって、さっき言ったような予算とかがいろいろ係ってきて、議会だけで勝手につくっていいかとなると、それは予算の関係もあるので、理事者等との事前の理解を本来は得られているのが筋だと物の本にも書いてあるので、そこにも関わっておきたい。理解の促進で収める範囲でいいのであれば、それで私は納得する。
○秋本のり子委員 学校における手話の普及等のところを、前に出していただいた学校における手話に接する機会の提供の文言に変えて、普及は使わないほうがいいのではないか。中村委員が言われたとおり、予算が計上されるなど、いろいろな現場での協力をこれから取らなければならないとなると、また大変な作業があるので、そのようなことも含めて前の手話に接する機会の提供のところで文言を少し考えて使ったらどうか。
○石原みさ子委員長 皆さんに伺うが、第1条の目的には今、普及の言葉は入っていないが、このまま入れない方針でよいか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石原みさ子委員長 では次に進む。次は、第2条である。聾者の言葉に定義を入れるか入れないかであるが、説明によると、聾者の説明を入れることで、その説明の仕方によっては手話ができない人が除かれてしまう、該当しなくなるとの部分もある。全国ではどのようにつくられているのか、全国の状況を先に事務局から説明していただく。それを聞いた上で、考えていただけたらと思う。
○議事担当主幹 聾者の定義について事務局で確認できたところを説明する。条例の名称に手話言語という単語を含んでいるものが、全国で約400件ある。その中で、聾者の定義を含むものが、検索の仕方で少し漏れている部分もあるかもしれないが、事務局で検索したところ400件中110件が聾者の定義を置いていた。定義の書き方はそれぞれであるが、前期案と同様に、手話を言語として日常生活または社会生活を営む者との趣旨のものが多く見られるところである。この定義によると、委員長から説明があったとおり、手話を使いこなせない方は聾者ではないことになっている。このような定義規定を置く条例も2つに分かれて、条例の適用対象である聾者の方に限って、手話を使いこなせない方には結果として条例を適用しないと、ある意味で割り切って整理されているものと、条例の中に聾者と、聾者を含むより広い聴覚障がい者を定義に置いて、聾者を含む聴覚障がい者を対象として条例をつくっているものの2つに分かれる。
先ほどの件数で紹介したとおり、全国的には定義を置かない条例のほうが多くなっている。また、国でつくっている法令を見ると、聾者を定義したものは見つからなかった。インターネットでこの件を調べると、聾者という言葉や意義については、過去、いろいろな変遷や論争があったように見受けられる。このような点から推察になってしまうが、先行する自治体の中には、手話言語条例の名称で手話に重点を置く条例をつくっているとはいえ、手話を使いこなせない方を明確に条例から適用除外としてしまうような定義規定を置くのは差し控えたのではないか、あるいは、あえて定義を置かないことで、条例の適用対象を柔軟にという適用を意図したとの見方もできるかと考えている。
今後の協議の方向性としては、手話を使いこなせない方を条例の適用対象に含めるのか否かを決めていただいて、その上で定義規定を置くか否か、置くとすればどのような内容のものとするか、そのような方向で協議いただければと考えている。
○石原みさ子委員長 では、一旦休憩を取りたいと思う。10分程度休憩時間を取り、また今のところの審査から行いたいと思う。その間に、少し考えをまとめておいていただければと思うので、よろしくお願いしたい。
暫時休憩する。
午後3時1分休憩
午後3時11分開議
○石原みさ子委員長 再開する。
全国の状況を説明していただいた。第2条の「ろう者」の言葉に対しての定義規定を置いていないところが多く、400件中110件が定義しており、ほかは置いていない状況との説明であった。聾者の定義を置くと、手話ができない人は該当しないことになるので、手話ができない人を該当しないとしてよいのか、それとも該当させたい、もっと広くカバーしたいのであれば、あえて置かない方法があるとのことである。意見を伺う。
○つちや正順副委員長 私としては、聾者の定義は曖昧にしたほうがより多くの方々を含めることができるとの説明もあったが、やはりそちらのほうが望ましいのではないか。そもそもこの理念の設置の意義とか目的と照らし合わせても、より多くの方々にとのことで、定義は要らないかと個人的には考えている。
○秋本のり子委員 副委員長が言われたのと同じであるが、私も聾者の定義は入れないでいいと思う。
○石原みさ子委員長 では、ここに関しては、特に聾者の定義をあえて置くことはなく、対象者を拡大して考えることでよいか。
○長友正徳委員 いいのであるが、とはいっても、この文章を読むと、「手話に対する理解の促進」から始まっていて、そして「ろう者が」と出てくる。この「ろう者」は手話を使っている聾者になる。定義を置かないのもあるであろうが、やはり、手話を使っている聾者、障がい者を対象にしていると思う。定義を書く書かないにかかわらず、この文章は、手話を利用している障がい者を対象にしているとしか読めない。曖昧にするのは、それはそれでいい。
○石原みさ子委員長 定義を置くことで、聾者は手話をする人となってしまうと理解している。聾者の中でも手話をしない人がいる。そのような方を含めるために、あえて定義をしない。
○中村よしお委員 私も、そのような意味でいうと長友委員の意見に賛成である。いわゆる聾者は基本は手話を使う方だが、それが十分にできているいないのところでの線引きだと思うので、例えば中途失聴者の方とかを入れる話ではないと思っている。そのような方は全然別のところに入ってくると思っている。細かいことであるが、さっき拡大するとの言い方をされていたが、拡大というよりは、グレーなところを包み込もうとする意味の聾者と私は受け止めているが、そのような理解であればよいと思う。
○長友正徳委員 委員会での認識をはっきりさせたほうがいいのではないかと思う。手話を使わない聾者――聾者とは辞書によれば、耳の聞こえない人。手話を使わない人を対象にするかしないか、この案は手話を利用している聾者を対象にしていると思うが、手話を利用していない聾者も対象にするのであれば、手話を普及することを条例に入れなければいけない。ただ、前期の委員会案は、手話そのものを普及するというよりは、範囲外になったから、ここで取り扱っている聾者とは、手話を利用している聾者、狭義の聾者であることは委員会で認識しておく必要があるかと思う。定義を書くとどぎつくなるからやめておこうとするのは分かるが、手話を利用している聾者を対象にした条例になるとの認識は、委員会として持っている必要があるのではないかと思う。
○石原みさ子委員長 前期の委員会案の場合は、手話を使いこなせていない方は聾者ではないとなってしまう。そうすると、今回つくっている条例の適用外になってしまう。そうしないために定義をあえて置かないとしようとしているが、そのことに関しては。
○長友正徳委員 事務局の調べによれば、聾者は法的な定義はないようであるが、広辞苑によれば、聾者は耳の聞こえない人とか広く取られる。そのうち、手話を使っている人と使っていない人がいるわけである。今審査している条例案は、聾者のうち、手話を使っている人を対象にしている。手話を使っていない人は対象外になる。それは前期の委員会で、聾者のうち手話を使っている人を対象に審査してきた経緯がある。もし、この委員会で、聾者のうち手話を使っていない人も対象にするとしたら、その人たちにどのようなサービスをするのかを規定しなければいけない。だから、市は手話を普及する。聾者のうち手話を使っていない人に対して勉強する機会を提供する、あるいは理解するために、健常者についても手話を勉強する機会を市が設ける、教室を開くことになるので、そこの違いがある。条例における聾者の定義をどちらにするのか、全部にするのか、手話を使っている人だけにするのか、そこで条例の内容が変わってくるのではないかと思う。
本来ならば、浦安市と同じように、この条例では聾者とは手話を使っている人を対象にしているとはっきりしたほうがいいかと思うが、そう書くとどぎついのでやめておこうと。やめるのはいいが、委員会ではどのようなつもりで定義を入れなかったのかとの認識を持っておく必要がある。
○議事担当主幹 補足説明をする。もし、聾者の中に手話を全然使えない方も含めてしまうと、指摘のとおり条例の性質が変わってしまう。本来は、手話言語条例として理解の促進と言っている以上は、聾者とは基本的に手話を使う方であるのは言われたとおりである。事務局で他市の例を調べてみると、結構定義の仕方に幅があり、ある意味、最も狭いのが前期案であったように、手話を使いこなせていなければ聾者ではないとするのが一番狭い表現である。実際はこの表現が一番多い。恐らく、地域の協会の方と協力して作成された経緯があるのかもしれないが、中には、手話を主な意思疎通の手段として用いる聴覚障がい者ということで、ほかの手段と併用している方を含むとか、もう少し広いものだと、聴覚の機能の障がい及び社会的障壁により、継続的に日常生活または社会的に相当な制限を受ける状態にあると言って、手話にかかわらず広く聴覚障がい者を含むものまで、非常に幅がある。
例えば考え方としては、定義規定を置くのに、このような人が入る入らないを厳密にしなければいけないので、新しい定義規定をつくるのは非常に難しいかと思うが、指摘の委員会の理解としては、手話を使いこなせなくても、日常生活の一部として使っている方や習得の途中である方でも、この条例の光を当てる趣旨で、定義規定をあえて置かない整理もあり得るかと思う。先ほど言ったことは、そのような趣旨である。言葉が足りなくて失礼した。
○石原みさ子委員長 では、聾者の定義に関しては置かないことにしたいと思う。また、聾者とはどのような人なのかは、今事務局から説明があったとおりであるので、それで委員長としてはよいかと思うが、長友委員、よいか。
○長友正徳委員 そのような議論があって、それを理解した上で、定義をあえて置かないことになったことが、経過として残ればいいと思う。
○石原みさ子委員長 では、先に進む。第3条、市の責務の「2 市は、施策と市が別に定める障がい者の福祉に関する計画との整合性を図るものとする」を追加で入れてはどうかとの指摘があり、これを入れるかについて決めたいと思う。もともと削除した理由は、内容が当然だからであった。これをもう一度復活させるかについて意見を伺いたい。これは長友委員の指摘だったと思う。
○長友正徳委員 まとめて事務局に伺いたいが、他の施策と整合を図るのは当たり前と言えば当たり前であるが、現実に、市川市は、今ある障がい者福祉の中に聾者に関することが何かあるのか。
○議事担当主幹 今手元にはないが、ある。
○長友正徳委員 勉強不足で申し訳ない。あるのだったら、この条項があってもおかしくはないと思うが、あったとしても書かないのあれば、それは慣例に従って書かない。ほかの条例でもこのようなことをするのか。条例とは別に関連の計画があったとしても、当たり前だから条例には書かないと。
○議事担当主幹 執行機関であれば、自分でつくった計画と条例が整合するのは当然なので、執行機関がつくるとなおさら当然ということはある。議員発議で、執行機関で行う趣旨で入れること自体には問題はない。
○石原みさ子委員長 入れても入れなくても大丈夫な部分である。では、今回、議員発議でもあるので、これは復活させて、入れる方向でよいか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石原みさ子委員長 これは入れることとする。
次に、第7条である。「手話に接する機会の提供」となっているタイトルを「学校等における手話の普及等」と修正を行ってはいかがかとの指摘があった。第7条は、条例案の中でも特に特徴づけられた項目で、児童、生徒、または幼児に対しても、小さいときから手話に対する教育をしていく意味合いである。
○竹内清海委員 確認を含めて聞きたいのであるが、今現在、学校教育の中で手話は実際行われているのか。また、あえてこれを入れると、さらに教育現場で時間を取って行わなければいけなくなるのか、授業の時間に行っていただくために入れるのか。一応、今現在、市ではどの程度になっているのか確認を含めて、また、できれば教育委員会のより負担にならないのか、事務局に伺いたい。
○議事担当主幹 教育委員会の教育総務課が窓口になってやり取りをした。現状は、この条例に書いてあるような手話に関することは、現在、特に取り扱っていないそうである。今後、条例が制定されて、どのようなことができるできないとの話も少ししたが、行う内容によっては、市立学校、私立学校、県立学校、あるいは幼稚園とか保育所、いろいろ範囲は考えられる中で、どこに何ができるかはなかなか想定がしづらいところで、教育委員会としては何ができるかは、現状ではまだまだ全然手探りの状態である。条例ができて、具体的にこのようなことをしようとなったときに検討する話に今はなっているようである。
○竹内清海委員 やはり、今現在行われていないことと、また専門的に行っていくとなれば、手話ができる先生がいなければ取組もできない、あるいは一堂に会して講師みたいな形で行っていただくとか、いろいろ方法はあろうかと思うが、いずれにしても、必ず行いなさいと条例の中に入れたら、教育委員会としては重荷になるかと思う。他市の事例ももし分かれば、皆さん研究されて、他市の条例を参考にしていただければと思う。
○中村よしお委員 私も意見は竹内委員と同じである。修正案が「学校等における手話の普及等」となっているが、普及にすると、そのような問題が生じてくるので、学校を生かしたいのであれば、学校等における手話に接する機会の提供にとどめるのであれば、収まりがいいかと思う。ちなみに、松戸市の場合は、普及が目的に入っているから普及も入っているが、それとは立てつけがそもそも市川は違うので、なおのこと接する機会の提供までかと思う。
○やなぎ美智子委員 多分、私が学校と子どもたちの教育現場の中で、どのような障がい特性を持っていても、自然な形でそのことを理解できるものという認識で、いろいろな場面が想定されるのかと、子どものときからバリアをつくらないことがとても大事なところかと。では、具体的にどうなのかは、いろいろと教育現場とのすり合わせもあるが、とても大事なのだというところは表現しておきたいと思っているというのが、前回の私のコメントで、ぜひ入れてほしいと思った。
○長友正徳委員 中村委員が言われたことと同じあるが、条例そのものが大分議論されたが、理解を促進することにもかかわらず、第7条に普及が入ってくるのは違和感がある。普及をするのであれば、何人かの委員が言われたように、教育委員会の負担も増えるであろうし、これまでの流れで安易に普及との言葉は入れられない。やはり、触れる機会を提供することにとどめるのが適当だと思う。
○加藤武央委員 私もこれに対しては違和感があるが、前回私は言ったが、中学のときに聾学校のほうに千葉市から来た。そのときに試合を組んでくれたが、私どもは最初のうち黙っていた。しゃべってはいけないとか何かあって、やじも飛ばさない。そうしたら、向こうの先生から構わないと言われた。どんどんしゃべって試合をしようと。逆に言うと、中学のときはクラブを持っているし、大会がいっぱいある。そのような意味では、市川は特に交流を行うべきだと思っている一人である。どんどん交流をして、特に試合が終わった後はみんなで話せるから、そのときに勉強するとか、わざわざ授業で行う必要は全くないと思う。だから、別にこの機会を決めなくても、部活動によってできることはいっぱいあると思うので、そのようなことは頭の中に入れておいてほしい。これは別に決めなくてもいいが、それに関しては、できるだけそのような先生方を持ってほしいと思う。
○石原みさ子委員長 では、第7条のタイトルに関しては、提案があった「学校等における手話に接する機会の提供」としたいと思うが、よいか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石原みさ子委員長 それで決定する。
次に、第7条の線が引いてある文章のところについて審査したいと思う。第7条の文章の中で、「市は、学校等において、児童、生徒又は幼児」とあるが、幼児の後に「等」を入れることで教職員を対象者に含めることができるが、教職員を対象に入れるかどうか。前期の委員会案では、「生徒等」の「等」で教職員を含んでいる。順番が少し変わっているが、「児童、生徒又は幼児等」にしたほうがよいかどうか伺いたい。
○議事担当主幹 補足させていただく。前期案が「幼児、児童、生徒等」の「等」に、教職員その他、いろいろ今後想定されるものを含めるとの趣旨で「等」が入っていた。1回、「等」を外して、今は第7条の下線を引いてある議長案では、児童、生徒、幼児の並びになっている。これは本市のほかの条例で、児童、生徒、幼児の単語が入っているものの並び方を参考にしたものであるが、もし、ここに「等」を入れて教職員を含めるとなると、今、委員長が言ったように、幼児の後、つまり幾つか並んだ一番最後に「等」を入れる。これは語感の問題であるが、幼児の後の「等」に教職員を含めるよりも、幼児、児童、生徒で生徒に「等」を入れたほうが、生徒と教職員のつながりがイメージしやすいことがあったら、「等」を復活させた上で、前期案のように「幼児、児童、生徒等」にして、生徒と等をくっつけるやり方も語感としてはあるかと思う。併せて協議いただければと思う。
○中村よしお委員 聞いていてすごく違和感があるが、今の説明だと「等」に先生が入るということであるが、例えば児童生徒だと確かに教師であるが、幼児だと、保育園の先生や幼稚園の先生は教師とは呼ばないわけである。まずそこから。
○議事担当主幹 「等」の1文字だけ入れて、特に教職員と書くわけではないので、現場で携わる方、例えば幼稚園でそのようなことをする、幼稚園の先生にそのようなことをできる方がいるのであれば、幼稚園の先生も含めて考えることができると思う。
○中村よしお委員 そうなると、別に教員の後ろに入れる必要もないので、一番最後に「等」と入れてもいいのだと今確認できた。
あと、これは言おうと思っていたが、私はこの理解だと、当然児童、生徒、幼児と一緒に接する場合に、先生はそこにいないことはないと思っているので、結果的に一緒に接する。逆に、ここに教師を入れてしまうと、別枠で先生の中で接する場をつくらなければいけないと取れないこともないから、あえて外していたのかと解釈していたが、多分そのようなことではないようなので、児童、生徒、幼児について、それぞれ教師が収まらないのであれば、「等」の言葉を一番後ろとかに入れるのはありなのかと思った。
○議事担当主幹 教育委員会と話している中で、現実的にできるかできないかは別にして、教職員の方々の研修のようなものもあり得る。そこに先生だけが集まって、手話に接する機会を設けることもあり得るとの話があった。
○稲葉健二委員 私が見学した小学校の中では、子どもの手話の発表の機会をフェスティバルみたいな中で行っていた。もちろん自分たちで教材を作って発表するなど、そのような1つのポジションがあったときに、そこには当然教職員が手伝う、もちろん技術的なものとは別の話で、応援していくことは当然附帯していくことを「等」の形でやりやすくしておいたほうが、応用編につながっていいのかと思うので、「等」を入れたことによって、例えば先生だけではなくて、違う職員の人も応援できるよう、いろいろな形で広げる1つの言葉として、置いてあげてもいい気がする。
○石原みさ子委員長 では、前期案と同じように「等」を入れる。文章は、「市は、学校等において、児童、生徒、幼児等に対し手話に接する機会を提供するよう努めるものとする」としたいと思うがいかがか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石原みさ子委員長 幼児の次に「等」を入れることで決定した。
それでは、条例の中身に関してはいろいろと審査いただいたので、文言その他、誤字の訂正などに関しては、正副委員長に一任願いたいと思う。これに御異議ないか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石原みさ子委員長 次に、条例案の名称についてである。
本件については、前期健康福祉委員会から7つの案が申し送られており、委員長としては、「市川市手話言語条例」としたいと考えている。このことについて意見を伺う。
〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○石原みさ子委員長 それでは、条例案の名称は「市川市手話言語条例」とすることに御異議ないか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石原みさ子委員長 御異議なしと認める。よって条例案の名称は「市川市手話言語条例」とすることに決した。
次に、条例案の提出方法についてである。
委員長としては、本条例案は委員会発議としたいと考えている。このことについて意見を伺う。
○中村よしお委員 それはここで決められる話なのか。議長から委託されているわけである。
○加藤武央委員 議長に却下されると終わってしまうから、委員長から決めてもらえれば、あとは議長に申し送りする。それがないとこの間みたいに。要は代表者会議にかけてほしいと、それから始まらないと。順番が逆になって、この間は没になった。
○石原みさ子委員長 議長に委員会発議にしたいことを踏まえて、今日つくった原案をつけて報告する。そして、議長から代表者会議にかけられる手順で進むと思う。
それでは、本条例案は委員会発議とすることに御異議ないか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○石原みさ子委員長 御異議なしと認める。よってそのとおり決した。
なお、発議案の準備ができたら、委員の皆様に確認いただきたいと思うので、御承知おき願う。
○石原みさ子委員長 以上で健康福祉委員会を散会する。
午後3時49分散会
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