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荷風をめぐる人々 その2

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更新日: 2019年1月18日

市川ゆかりの人々が「荷風」を語る


幸田露伴(1867〜1947)、幸田文(1904〜1990)

幸田 露伴 こうだ・ろはん  小説家・学者  1867(慶応3)年〜1947(昭和22)年
幸田 文  こうだ・あや   随筆家  1904(明治37)年〜1990(平成2)年

 
 露伴は、江戸文学や漢籍への造詣が深く、『五重塔』『評釈芭蕉七部集』などがある。1937(昭和12)年第1回文化勲章受章。
 東京・小石川の蝸牛庵を東京大空襲によって失い、信州や伊東に疎開した後、門下生の土橋利彦(塩谷賛)の世話で、娘の文、孫の玉子とともに菅野(現在の菅野4丁目あたり)に移り住んだのは、荷風が市川に越してきた12日後の、1946(昭和21)年1月28日のことであった(文と玉子は昭和20年11月に市川入りをしていた)。
 荷風が、早くから露伴を敬愛していたことは知られており、戦後、同じ市川に住む作家同士ということで対談も企画されたが、実現しなかった。1947(昭和22)年8月の露伴の葬儀の折りに、荷風は門外にたたずみ、弔意を表したエピソードは有名。
 次女・文も、父露伴の追憶記を書いて随筆家として世間に注目された。『断腸亭日乗』には、昭和25年1月16、17日に来訪の記述が見られる。文による露伴と荷風の思い出をつづった「すがの」は、『荷風全集附録第15号』(昭和25)に発表された。ほかに、『雀の手帖』(昭和34)にも露伴と荷風の思い出が語られている。

吉井 勇(1886〜1960)

吉井 勇 よしい・いさむ  歌人  1886(明治19)年〜1960(昭和35)年
 
 叙情的恋愛歌を得意とする歌人。昭和10年から12年にかけて、真間の辺りに仮寓したことがある。
 
 荷風とは『三田文学』の頃から親交があり、1949(昭和24)年秋、荷風宛にかつての仮寓の思いを込めて「葛飾住み」と題する短歌7首を送っている。また、谷崎潤一郎とも旧知の仲で、谷崎を師とする正岡容『荷風前後』(昭和23)にも、次のような序歌を寄せている。
 
   汝が住める葛飾恋しなつかしき荷風先生住みたまふゆゑ
 正岡『荷風前後』には、1947(昭和22)年7月1日、正岡宅へ泊まった吉井が、正岡とともに、五叟宅に寄寓する荷風の元を訪れ、文学談義に花を咲かせた様子が語られる。荷風を介したさまざまな文人の交流が、市川を舞台に行われていたことが分かる。
 昭和34年6月の『三田文学』には、次のような挽歌を発表している(『近代作家追悼文集成36』所収)。
 
   ひたぶるに世に抗ひし心をば京にわび居るわれにつたへよ
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和田芳恵(1906〜1977)

和田 芳恵 わだ・よしえ   小説家   1906(明治39)年〜1977(昭和52)年
 
 新潮社に勤務する傍ら、正岡容らと同人誌「山」を創刊。昭和16年退社し、樋口一葉の研究や創作活動に専念する。昭和10年から八幡(現八幡4丁目)に住み、市川(現市川2丁目)など市内を二度転居し、昭和24年に市川から離れた。
 和田による荷風の思い出は、「永井荷風」(昭和46)に詳しい。それによれば、和田が荷風を初めて訪ねたのは、昭和21年の4、5月ころ。荷風から、新しい小説を書くために  “家の近くを通る女学生同士の会話を聞いてメモしている” と聞かされたことなどが語られる。和田の娘が国府台女子学院に通い、その関係で五叟宅に寄寓する「永井の小父さま」のところに遊びに行ったというエピソードも面白い。ほかに、猪場毅との関わりについても詳しく触れられる。また、林芙美子が荷風に会いたいという願いを伝えたのも、和田であると語られる。
  
 ほかに、「荷風先生の思い出」(『三田文学』昭和34年6月、『近代作家追悼文集成36』所収)にも、市川の荷風の様子が語られる。ともに、戦後の市川の文壇事情が垣間見えて興味深い。
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吉田機司(1902〜1964)

吉田 機司 よしだ・きじ   医師・川柳作家  1902(明治35)年〜1964(昭和39)年
  
 本名、吉田喜司。福島県出身で1937(昭和12)年から京成真間駅近くに病院を開業。1960(昭和35)年に葛飾区に転居するまで、真間で暮らす。川柳作家としても知られ、1946(昭和21)年、徳川夢声、古川緑波、正岡容とともに「川柳祭」を創刊。『白玉樓』(1965)には、荷風を題材にした川柳 “仲見世で会った荷風は下駄を履き” が載る。
 
 吉井道郎「永井荷風」(『東京新聞』平成6年5月21日号)によれば、1947(昭和22)年1月、腹痛に悩む荷風を見かねた正岡が、吉田を紹介。以降、荷風のかかり付けの医者となる。そして検察医として荷風の検死にも立ち会うこになったとある。
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水木洋子(1910〜2003)

水木洋子 みずき・ようこ   脚本家  1910(明治43)年〜2003(平成15)年
 
 1947(昭和22)年から八幡に移り住み、「裸の大将」「純愛物語」など、多くのシナリオを手がけた。
 荷風と面識があったかは定かでないが、水木の蔵書には、荷風『来訪者』初版本、『荷風全集』などがある。
 興味深いのは、中村光夫が自身が訳した書で、荷風に贈呈した献辞のある『男ごころ モーパッサン長篇全集第5巻』(白水社 1951)を所蔵していることで、おそらく荷風の家から古書店に流れたものを、水木が買い求めたものであろう。
 小門勝二『浅草の荷風散人』(東都書房 1957)には、戦後、東宝で「墨東綺譚」の映画化の話が出て、成瀬巳喜男の監督、水木洋子の脚本でされることになったという。それを聞いて荷風は、“脚色する人は女の人だそうですよ。女の人が玉の井を知っているんですかね。脚本が出来たら検査してくれといっていましたが、わたくしは見ませんよ。” と答えたとある。もし、水木脚本の「墨東綺譚」映画化が実現していたら、二人はどんな付き合いをしただろうか。
 また、八幡5丁目の水木邸は、荷風が市川で二番目に身を寄せた小西茂也家が地主であった。荷風と水木をつなぐ、面白いつながりである。
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長谷章久(1918〜1985)

長谷 章久 はせ・あきひさ  文学研究者   1918(大正7)年〜1985(昭和60)年
 
 東京都出身。1947(昭和22)年東京大学大学院修了後、埼玉大学、放送大学などを歴任。日本風土文学会会長を務めた。
 「永井荷風著 墨東綺譚」(昭和49年『国文学』掲載、『永井荷風『墨東綺譚』作品論集成2)』所収)によれば、荷風と同じ東京山の手で育ち、高校時代『墨東綺譚』に出会い、国文学を志す。戦時中は、国府台野戦重砲兵連隊に入隊し2年半を過ごした。昭和25年頃、荷風の寓居から指呼の間にある昭和学院短大に非常勤で勤めていたため、彼の人間嫌いを承知の上で、荷風の門を叩き、“吉原の話を伺いたくて” と告げると、家に招き入れてくれたと語られる。このとき聞けた内容は、『東京歴史物語』(角川書店 1985)にも紹介されている。
  『断腸亭日乗』には、昭和27年3月18日に来訪した記述が見られる。 
※墨東綺譚の“墨”は、さんずいに墨の字です。
正確に表示されないことがあるため、墨を使用しています
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安岡章太郎(1920〜)

安岡 章太郎 やすおか・しょうたろう  小説家  1920(大正9)年〜
 
 高知市に生まれたが、生後間もなく、獣医師であった父の勤務地の関係で国府台に住み、大正9年から14年まで、江戸川をはさんで、市川と小岩の間を何度か行き来して住んだ。浪人中、荷風や谷崎潤一郎を愛読、慶応義塾大学を卒業し、1953(昭和28)年に芥川賞受賞。
 1971(昭和46)年に『文芸春秋』に連載された「自叙伝旅行」に、大正時代の市川の様子が回想される。そして、荷風の『葛飾土産』を引用し、「市川固有の風土性」について語っている。
 安岡にはまた、『わたしの墨東綺譚』(新潮社 1999)、『晴れた空曇った顔』(幻戯書房 2003)など、荷風に言及した著作もある
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五木寛之(1932〜)

五木 寛之 いつき・ひろゆき   小説家   1932(昭和7)年〜
 
 福岡県出身。早稲田大学在学中の昭和30年ころから2年間ほど、北方町に住んでいた。1967(昭和42)年に『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞受賞。
 『風に吹かれて』(昭和42年「週間読売」連載)に、 “一度、そんな季節に京成電車の市川真間駅で永井荷風に出会ったことがあった。寒い日で、その作家は集金バックみたいな袋を膝の上に握りしめて私の向い側に坐っていた。あの老作家も、たぶん浅草に出かけるところだったにちがいない。自分の学生時代を振り返って、ふと思い出すのは、そんな事である。” と語られる。
 同じエピソードは、『ある日日本の片隅で』(昭和45年「小説セブン」連載)にも、やや詳しく語られる。
 苦学生であった市川時代の五木にとって、荷風との行きずりの出会いが、忘れられない存在として残っているのであった。
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