市川市に関連する著作家追悼録

最近の主な文学者・文化人、特にその著作や評伝の多い方の追悼録です。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。(リスト表示のため敬称略させていただきます)

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追悼録(2011~2020)

氏名(生没年) リンク 没年月日/経歴(受賞歴など)/著作/市川市との関係

葉山 修平
はやましゅうへい
(1930~2016)

著作を所蔵検索 2016年8月28日、86歳。小説家・詩人・国文学者。千葉県市原市出身。
1963年「現在完了」で文学界新人賞佳作。1994年『小説の方法』で室生犀星顕彰大野茂男賞(研究・評論部門)受賞。1974年から市川市東菅野に在住。2000年市川市民文化賞受賞。
高橋 國雄
たかはしくにお
(1920~2016)
著作を所蔵検索 2016年8月1日、95歳。1977(昭和52)年に市川市長選挙に出馬し初当選、以降5期20年にわたり、市政発展のため数々の施策を実現、1997(平成9)年に退任。1999(平成11)年に市川市名誉市民を贈られる。
著書として『つれづれなる人生』『人生はペーソス』等6冊がある。
式場 壮吉
しきばそうきち
(1939~2016)
著作を所蔵検索 2016年5月17日、77歳。日本の実業家・自動車評論家、元レーシングドライバー。
式場隆三郎の甥にあたる。 同じ市川市出身の浮谷東次郎や、そのほか日本のモータースポーツ草創期を支えた名ドライバー達と親交があった。

井上 洋介
いのうえようすけ
(1931~2016)

著作を所蔵検索 2016年2月3日、84歳。漫画家、イラストレーター、絵本作家。東京都港区出身。
『ぶんぶくちゃがま』ほかで小学館絵画賞、『月夜のじどうしゃ』で講談社出版文化賞絵本賞、『でんしゃえほん』で日本絵本賞大賞など数多くの賞を受賞。戦後10代の頃に市川市に住み、1961年から市川市の真間・須和田に在住。2002年に市川市民文化賞・奨励賞を受賞。

梶山 俊夫
かじやまとしお
(1935~2015)

著作を所蔵検索 2015年6月16日、79歳。画家・絵本作家。東京都亀戸出身。
『かぜのおまつり』『みんなであそぶわらべうた』でブラティスラヴァ世界絵本原画展金のりんご賞受賞。
1961年から市川市中山に在住し、若宮にアトリエを構えた。長年にわたる創作活動により、1998年市川市民文化賞・奨励賞受賞。
加藤 寛
かとうひろし
(1926~2013)
著作を所蔵検索 2013年1月30日、86歳。経済学者、千葉商科大名誉学長で慶応大名誉教授。平成7年4月から19年3月まで千葉商科大学長を務め、「カトカン」の愛称で親しまれる。
安岡 章太郎
やすおかしょうたろう
(1920~2013)
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2013年1月26日、92歳。作家。高知県出身。1953年「悪い仲間」「陰気な愉しみ」で芥川賞を受賞。89年『僕の昭和史』全3巻で野間文芸賞を受賞、91年「伯父の墓地」で川端康成文学賞を受賞。2001年には、長年の文学活動を認められ文化功労者となる。
市川市との関係は、幼少期に陸軍獣医だった父の勤務地の関係で、1920(大正9)年から1925(大正14・昭和元)年にかけて国府台と小岩を何度か行き来しており、昭和46年『文芸春秋』に連載された「自叙伝旅行」に、大正時代の市川の様子が回想されている。 「市川の文学」参照。

江尻 光一
えじりこういち
(1925~2011)
著作を所蔵検索 2011年5月6日、84歳。園芸家。市川の中山生まれ。市川小卒業。東京農業大学卒業後、市川市須和田にて洋ラン農園を経営し、その栽培や品種改良に従事。またNHKテレビ「趣味の園芸」の講師を長年務めた。第3回市川市民芸術文化賞を受賞。

追悼録(2006~2010)

氏名(生没年) リンク 没年月日/経歴(受賞歴など)/著作/市川市との関係
近藤 喜久夫
こんどうきくお
(1941~2010)
著作を所蔵検索 2010年7月31日、69歳。市川市相之川生まれ。1975(昭和50)年、市川市議会議員に当選。市議会議長、総務常任委員長、決算審査特別委員長などを就任。1995(平成7)年の県議選(市川市選挙区)に初当選し、県議4期を務めた。

井上 ひさし
いのうえひさし
(1934~2010)

著作を所蔵検索 2010年4月9日、75歳。作家・劇作家。山形県小松町(現・川西町)生まれ。1967(昭和42)年10月、市川市国分町に転入、1950年には北国分町に新居を構え、1987(昭和62)年に世田谷区に転出するまでの約20年間を市川で過ごした。2004(平成16)年7月からは、市川市文化振興財団理事長を務めた。
林翔
はやししょう
(1914~2009)
著作を所蔵検索 2009年11月9日、95歳。俳人。長野県生まれ。1945年、市川市八幡に移住、79年に市川市大野町に転居。71年、第一句集「和紙」が第10回俳人協会賞を受賞。俳人協会顧問、俳句誌「沖」最高顧問、同「馬酔木」顧問などを務めた。

大須賀 力

おおすかつとむ
(1906~2009)
著作を所蔵検索 2009年7月24日、103歳。彫刻家。1927年に市川市中山に転居。31年、東京美術学校卒業。32年、第13回帝展に「首飾りの女」出品、特選を皮切りに、昭和初期から多くの作品を発表する一方で、日展参与などを歴任。78年、勲四等瑞宝章受章。1991年に市川市の教育功労賞を受賞、94年、市川市名誉市民として顕彰される。2005年、第7回市川の文化人展「白寿記念展」開催。
熊田 禎宣
くまたよしのぶ
(1939~2009)
著作を所蔵検索 2009年5月13日、69歳。東京工大名誉教授、千葉商科大教授、環境共生学専攻。『環境市民による地域環境資源の保全』『計画のための最適化数学』等の著作がある。市川市真間5丁目に在住した。
山田 徳兵衛
やまだとくべえ
(1939~2009)
著作を所蔵検索 2009年4月27日、69歳。吉徳会長、前日本人形協会会長。吉徳11世・山田徳兵衛襲名(1984~2009)。『語りかける人形たち』『図説日本の人形史』『吉徳これくしょん 日本の人形』の著作がある。市川市に在住した。
渡邊 二郎
わたなべじろう
(1931~2008)
著作を所蔵検索 2008年2月12日、76歳。哲学者、ドイツ哲学の研究者。東京都生まれ。東京大学名誉教授。放送大学名誉教授。ドイツ観念論、実存主義、現象学についての研究書、ハイデッガーやフッサールの翻訳がある。
市川市宮久保に在住した。
百瀬 博教
ももせ ひろみち
(1940~2008)
著作を所蔵検索 2008年1月27日、67歳。作家、詩人、格闘技プロデューサー。東京都台東区生まれ。幼少より市川市須和田に住む。学生時代は相撲取りを目指し、市川高等学校では相撲部を創設。『不良日記』『不良ノート』『詩集:絹半纒』等の著作がある。
高橋 蒼峰
たかはしそうほう
(1917~2007)
著作を所蔵検索 2007年10月6日、90歳。書家。千葉県船橋市生まれ。吉岡蒼陰、吉田苞竹に師事。南画を磯部雨舟に学ぶ。日展、謙慎書道会展、毎日書道展などで活躍。市川市南2丁目に在住した。
高橋 謙次郎
たかはしけんじろう
(1925~2007)
著作を所蔵検索 2007年3月1日、81歳。 俳人。千葉県市川市生まれ。1962年頃より俳句を作り始め、富安風生の「若葉」に入会。 1963年、加倉井秋を氏の指導を受けて「冬草」に入会。90年より「冬草」を主宰。
句集『あとの月日』や『加倉井秋をの世界(昭和俳句文学アルバム10)』の著作がある。
斎藤 茂太 
さいとうしげた
(1916~2006)
著作を所蔵検索 2006年11月18日、90歳。 精神科医で医学博士、作家。モタさんは愛称。東京生まれ。歌人で精神科医の斎藤茂吉の長男であり、作家の北杜夫は弟。作品は『茂吉の体臭』『快妻物語』『長男の本』『精神科の待合室』 『脳を鍛える50の秘訣』『躁と鬱―波動に生きる』『モタさんの快老物語』等、多数あり。
市川市との関係は、終戦前後、国立国府台病院の前身である陸軍野戦病院里見分院で軍医将校として勤務していたことがある。
松本 哉
まつもとはじめ
(1943~2006)
著作を所蔵検索 2006年10月15日、63歳。作家。神戸大学理学部物理学科卒業後、河出書房新社などで理科系の専門書および啓蒙書の編集に従事、その後、下町や作家研究などを題材とした文筆業に携わる。特に荷風研究家として知られており、その関係の著作としては、『女たちの荷風』荷風極楽』『永井荷風ひとり暮らし』『永井荷風の東京空間』がある。
他に『幸田露伴と明治の東京』『寺田寅彦は忘れた頃にやってくる』『すみだ川気まま絵図』等の著作があり。

宗 左近

そうさこん
(1919~2006)
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2006年6月19日。87歳。詩人。北九州市生まれ。東大哲学科卒業後、詩作を始める。68年、第6回歴程賞を受賞。94年、詩集『藤の花』で第10回詩歌文学館賞受賞。95年、『宮沢賢治の謎』で岩手日報賢治賞を受賞。2004年、日本の詩歌人を対象にスウェーデンが制定した第1回チカダ賞を受賞。
東洋美術、特に縄文文化にも造詣が深い。また本名の古賀照一名義でフランス文学の翻訳も手がけている。
1978年頃から、市川南に在住した。1999年7月には、第1回市川の文化人展「宗左近宇宙 生きている」として取り上げられている。
多田 実
ただみのる
(1923~2006)
著作を所蔵検索 2006年6月3日、82歳。政治評論家。二松学舎大客員教授、元読売新聞政治部長。太平洋戦争中に学徒出陣で硫黄島に着任、その体験を『海軍学徒兵、硫黄島に死す』『何も語らなかった青春』で著す。他に『「安保条約」を読む』『日米安保条約』の著書がある。 市川4丁目に在住した。
日下 圭介
くさかけいすけ
(1940~2006)
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2006年2月12日、66歳。推理小説作家。1940年、和歌山生まれ。新聞記者として勤めながら、75年『蝶たちは今…』で作家デビュー、第21回江戸川乱歩賞を受賞。82年に『木に登る犬』と『鶯を呼ぶ少年』が第35回日本推理作家協会賞短篇賞を受賞。
市川市との関係は、1970年3月に京葉支局に赴任し、近くの市川市高石神に1年間住む。その後千葉市に転居、永住。千葉県を作品の舞台とした作品がいくつかあり、『野菊の墓殺人事件』では矢切や江戸川付近、また短編「未明の声」では里見公園が舞台として登場する。 「市川の文学」参照。

掃苔録(2001~2005)

掃苔とは、墓石についた苔を掃い清めること。転じて、著名人や尊敬する人の墓参りをすること。

氏名(生没年) リンク 没年月日/経歴(受賞歴など)/著作/市川市との関係
吉野 俊彦
よしのとしひこ
(1915~2005)
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2005年8月12日、90歳。経済評論家で元日銀理事。森鴎外や永井荷風の研究家としても知られており、荷風関連として「「断腸亭」の経済学」「永井荷風と河上肇」「鴎外・啄木・荷風隠された闘い」の著 書がある。
市川市東菅野1丁目に居住。
山口 重直
やまぐちしげなお
(1920~2005)
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2005年9月21日、84歳。元市川市教育長、教育長を12年勤める。「修羅とロマンの教育長ものがたり―創意先見・風涛十二年  」「翔べ未来へ!!読書の街市川の創造―三十年の軌跡と未来像」「花・音楽・読書で生きる力を―少数派に愛を!市川発、不変の教育物語」などの著書がある。
祖田 浩一
そだこういち
(1935~2005)
著作を所蔵検索 2005年2月7日、69歳。作家。島根県出身。日本文芸家協会会員、近代人物研究会主宰。代表作に「匠の肖像」「楠木正成」「不機嫌な作家たち」「古代出雲 巨塔の謎」「行徳の歴史散歩」など主に歴史物を手掛ける。また「日本女性人名辞典」「好色家艶聞事典」「異能異才人物事典」等、人物伝の編集・監修にも務める。
1976(昭和51)年に市川市富浜に転居。市内でも読書会活動に参加し講演を開く。朝日新聞千葉版への短歌・俳句の投稿でも有名となる。2003年には、短歌・俳句・随筆と併せた自分史的作品集「鬼瓦」を刊行。
藤田 喬平
ふじたきょうへい
(1921~2004)
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2004年9月18日、83歳。ガラス工芸の第一人者で文化勲章受章者。日本の伝統美を現代的視点でとらえた作品は、国際的にも評価が高く、"現代の琳派"と評される。特に色ガラスに金箔を混ぜた「飾筥(かざりばこ)」は、"藤田のドリームボックス"の名で海外でも有名となる。
1955(昭和30)年に市川市北方に転居。99年に市川市名誉市民となり、2000年には「市川の文化人展―藤田喬平の世界展」を開催。

水上 勉
みずかみつとむ
(1919~2004)
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2004年9月8日、85歳。作家。福井県出身。61年「雁の寺」で直木賞を受賞。63年「飢餓海峡」は、映画化され社会派推理小説ブームをつくる。その後、73年「北国の女の物語」で吉川英治文学賞を受賞。75年「一休」で谷崎賞、77年「寺泊」で川端康成文学賞、84年「良寛」で毎日芸術賞を受賞。
市川市との関係は、昭和32年9月から34年10月までの二年余り、松戸市矢切に住み、その関係で隣接する国府台附近を舞台とする作品として「巣の絵」「好色」「冬日の道」などがある。 「市川の文学」参照。

鈴木忠兵衛
すずきちゅうべえ
(1921~2004)
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2004年7月29日、83歳。市議会議員、県議会議員をそれぞれニ期歴任、その後1974(昭和49)年1月30日から1977(昭和52)年12月11日まで市川市長を務めた。政界を引退した後も商工会議所の会頭などの要職を歴任。
中野 孝次
なかのこうじ
(1925~2004)
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2004年7月16日、79歳。ドイツ文学者、作家、評論家。1925(大正14)年に市川市国府台下の根本(現市川四丁目)に生まれ、1936(昭和11)年には須和田の六所神社そばに大工の父が建てた家に転居し、1945(昭和20)年の21歳までをそこですごす。 「市川の文学」参照。
1988年、愛犬ハラスと過ごした13年間をつづった「ハラスのいた日々」で新田次郎文学賞を受賞。1992年に刊行された「清貧の思想」はベストセラーとなった。

伴野 朗
とものろう
(1936~2004)
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2004年2月27日、67歳。朝日新聞上海支局長を経て作家に。1976年「五十万年の死角」で江戸川乱歩賞を受賞、84年「傷ついた野獣」で日本推理作家協会賞を受賞。記者時代の経験をいかして中国を舞台にした冒険、歴史小説が多い。
市川市福栄1丁目に居住。

水木 洋子
みずきようこ
(1910~2003)
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2003年4月8日、92歳。女性脚本家の草分け的存在。1947年に市川市八幡5丁目の閑静な住宅街に移り住み、1949年、映画「女の一生」でデビュー。その後「ひめゆりの塔」(53年)「浮雲」(55年)「裸の大将」(58年)「キクとイサム」(59年)「おとうと」(60年)など、成瀬巳喜男、今井正監督らと組み、文芸作品を中心に多くの映画作品を執筆。テレビでもNHK大河「竜馬がゆく」(68年)を手掛けた。53年に第1回菊池寛賞受賞。81年に紫綬褒章受章。
小島 貞二
こじまていじ
(1919~2003)
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2003年6月24日、84歳。元力士で相撲、演芸評論家。旧制中学卒業後、漫画家を志して上京。1938年に出羽海部屋力士となり、4年後に引退。芸能紙記者を経て、放送演芸作家となり、演芸評論、相撲評論を幅広く手がけた。代表作に『大相撲名力士100選』『落語三百年』、江戸時代の力士の評伝『雷電為右衛門』『雷電日記』などがある。朝日新聞・千葉版の投稿コーナー「千葉笑い」の選者を、コーナー開始から亡くなられる直前まで約18年間にわたって務めた。
市川市中山3丁目に居住。
山本 夏彦
やまもとなつひこ
(1915~2002)
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2002年10月23日、87歳。辛口評論で知られたコラムニスト、作家。インテリア雑誌「室内」編集兼発行人としても知られている。1967年「茶の間の正義」で高い声価を得、84年に菊池寛賞、90年に『無想庵物語』で読売文学賞を受賞。代表作として『茶の間の正義』 『無想庵物語』 『私の岩波物語』等がある。
第2回市川市民文化賞(平成10年)受賞。
小倉 寛太郎
おぐらひろたろう
(1930~2002)
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2002年10月9日、71歳。元日航労組委員長で、山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』の主人公、恩地元のモデルと知られる。90年の定年退職後は、アフリカの撮影・執筆活動を本格化し、現地で過ごしていた。代表作として『アフリカの風』『フィールドガイド・アフリカ野生動物』『サバンナの光』など。
市川市高谷2丁目に居住
伊東 一雄
いとうかずお
(1934~2002)
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2002年7月4日、68歳。“パンチョ”の愛称で親しまれ、ドラフト会議の進行役や大リーグ通として知られた元パ・リーグ広報部長。戦後FENの野球中継を聞きながら独学で英語を覚えて大リーグを研究。68年の渡米から人脈を広げ、日米野球界の橋渡し役として活躍した。
市川市新田1丁目に居住。
石川 利光
いしかわとしみつ
(1914~2001)
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2001年7月7日、88歳。大分県出身。51年「春の草」ほかで第25回芥川賞を受賞。ほか代表作として『火蛾』『女だけの旅』『半未亡人』『忘れ扇』『爪あと』『女人彩色』『女触』など。
市川市香取2丁目に居住。

能村 登四郎
のむらとしろう
(1911~2001)
著作を所蔵検索 2001年5月24日、90歳。市川高校に40年勤務し、俳人として活躍。戦前から水原秋桜子の「馬酔木」に投句し、49年に同人となる。70年には俳誌「沖」を創刊し、2001年春まで主宰。56年に句集『咀嚼音』で現代俳句協会賞、85年に句集『天上華』で蛇笏賞、93年に『長嚼』で詩歌文学館賞を受賞、その生涯に渡り俳壇の賞をほぼ総なめにした。第1回市川市民文化賞(平成9年)受賞。
市川市八幡6丁目に居住。

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