更新日: 2024年2月2日
中山・若宮・柏井界隈
歴史と芸術の散歩道
※平成27年(2015)5月14日より清華園の開館日時が変更になります。
【開館時間】9時30分~16時30分(入館は16時まで) 【開館日】毎週金曜・土曜・日曜日
PDFには反映されておりませんので、ご了承ください。
中山・若宮周辺は、芸術家の住むまち
日本画家 東山魁夷氏
彫刻家 大須賀 力氏
ガラス工芸家 藤田 喬平氏
絵本作家 梶山 俊夫氏
絵本作家 梶山俊夫さんの本
中山に住み、若宮にアトリエをもつ梶山さんの作品『ききみみをたてて出かけよう』”婆ちゃん””山門通り”というところに、若宮や中山のことが登場する。この本の内容を思い浮かべながらまちを歩くと散歩がいっそう楽しくなる。
五木寛之さんの著書
中山を訪れた文学者
- 宗長:室町時代の連歌師 紀行文『東路の津登』を残す
- 正岡子規:『中山寺』『中山の蕎麦屋にて』『中山寺にて』の句作あり
- 高浜虚子:『中山寺』に中山の田園風景、五重塔山門などの様子を記す
- 田山花袋:『東京近郊一日の行楽』の中でこの周辺を紹介している
主な年中行事
中山周辺の主な年中行事
- 1月1~3日 初もうで
- 2月3日 節分会
- 2月10日 大荒行満行会
- 4月8日 花まつり
- 4月15~20日 千部会
- 1・5・9月の8・18・28日 子育大祭
- 10月 安房神社例祭(5年おきに大祭)
- 11月1日 大荒行入行会
- 11月3日(文化の日)聖教殿御開扉
- 11月(酉の日)とりの市
- 11月15日 安房神社七五三祭
- 12月28日 おたきあげ
- 12月31日 除夜の鐘
若宮周辺の主な行事
- 4月8日 釈尊降誕花祭り(奥之院)
- 8月下旬 秋祭り:4年に1度(第六天社・若宮八幡神社)
発見!中山・若宮
総武線の車窓や駅のホームから法華経寺方向の眺望が良い。山門の屋根や祐師山の黒松が美しい。
下総中山~西船橋駅間の電車から五重塔の眺めがよい。
発見2
駅前から北へのびる道には、参道らしいデザインの建物や味のある商店が並んでいる。
発見3
中山名物”こんにゃく”(昔行徳でつくられていた)、”せんべい”、”切干し”、”きぬかつぎ”、”中山だんご”
竜渕橋の欄干に「ざくろ」が取り付けてある。これは鬼子母神の象徴
発見5
中山の節分は豆まきは「福は内」ばかり「鬼は外」とは言わない。法華経の守り本尊が鬼子母神だから・・・。
インド様式の宝物殿東京帝大伊東忠太博士の設計。
大仏さまも一見の価値あり。
発見7
若宮や中山の周辺には、昔ながらの門構えや板塀の家が残っている。
発見8
妙正寺道:奥之院と北方にある妙正寺を結ぶ道姥神の伝説が残る。
発見9
典型的な鎮守の森。市川で一番大きなタブノキがある。
中山法華経寺
地域のあらまし
富木常忍は、日蓮聖人の入滅後出家して日常(にちじょう)と号しました。法華経寺はこの日常上人を開山にしております。日常上人以降歴代の住職は、日蓮聖人の遺文、遺品を大切に保存し伝えてきました。それらは今日、国宝、重要文化財に指定されて聖教殿(しょうぎょうでん)に保管されています。法華経寺は日蓮聖人に関係した遺品の最も多く保存されている寺院です。
また、この他にも建造物、絵画等重要文化財に指定されているものも多く、市内での指定文化財のおおよそ4分の1が法華経寺にあります。
境内やその周辺には塔頭寺院が多く、江戸時代頃からは千葉街道(国道14号線)から法華経寺に入る参道が門前町として発達し、各地から参詣に来る信者によって賑わいました。この中山の周辺には日蓮宗に関係した信仰上の伝説が多く残されています。明治の末から大正にかけて、木下(きおろし)街道には人車鉄道が敷設され、鎌ヶ谷方面からの農作物などが、中山、行徳方面へと輸送されました。産業面では、これというものがなく、わずかに味噌、醤油などの醸造業が行われていたに過ぎません。
(『市川散歩NO,3 中山・柏井』市川市教育委員会より)
4:朝光山 泰福寺(たいふくじ)
弘安2年(1279)浅草寺の学頭(がくとう)であった寂海(じゃくかい)法印が、富木常忍(ときじょうにん)によって日蓮の教えに改宗し、日寂(にちじゃく)と改めこの地において懺悔(ざんげ)のため法華経を読誦(どくよう)したといいます。文禄元年(1592)朝比奈泰勝(あさひなやすかつ)によって寺院の形態を整えたため、彼の名をとって朝光山泰福寺と名付けました。朝比奈氏は旗本として鬼越、北方の地域を知行(ちぎょう)しました。この泰福寺には法華経寺3世日祐(にちゆう)が、日寂の供養のために建てた板碑(いたび)(市指定文化財)が残されています。
前方後円墳のような形をした台地の後円部に、大田乗明(おおたじょうみょう)とその子日高上人の墓があり、前方部に向かうくびれた部分が日祐上人の廟所(びょうしょ)になっています。祐師山の名前は日祐の廟所が置かれたところから付けられたものです。
寛永5年(1628)の創建で、法華経寺の3世日祐(にちゆう)上人の教えを受けた日祥(にっしょう)上人の開基になる寺です。後に日久(にっきゅう)上人が一千日の行法を成就されてから、日久上人を中興の師と仰ぎ、日久の院号である「遠寿院」をとって寺号としました。以来この寺は日蓮宗の根本道場として信仰を集め、中山の荒行堂(あらぎょうどう)として全国に知られています。
むかし日蓮聖人が日照りで苦しんでる農民のため、八大竜王を祭って祈祷したところ、霊験が現れて雨を降らせたといいます。現在では池が改修され、むかしの姿を忍ぶことはできません。
上写真は、 2006年街回遊展での雅楽演奏会の様子 (大本山法華経寺祖師堂) |
左写真は、中山法華経寺の祖師堂前 |
14:大仏
御丈1丈6尺(4.8メートル)、台座2間半(4.5メートル)の大きさをもったこの大仏は、享保4年(1719)9月、法華経寺第59世日祥(にっしょう)上人のとき、江戸神田鍋町(なべちょう)の鋳物師太田駿河守藤原正義によって鋳造されたものです。露坐の大仏としては鎌ヶ谷大仏より52年も前に造られている優れた作品です。
15:五重塔(右写真)
16:泣きイチョウ法華経寺の開山日常上人の義子で、日蓮の六老僧の一人日頂(にっちょう)上人が、日蓮聖人三回忌の法要のとき、鎌倉で他宗の僧を相手に法論していたため、法要に間に合わなかったことから厳格なる日常は大変怒って勘当してしまいました。
正安元年(1299)日常の危篤の報を受けた日頂は真間山弘法事寺から日参して、この銀杏の樹の下で義父日常の快復を祈願し、日常に会えることを願い出たのですが、ついに日常上人は許さず、小袖一領を形見として日頂に与えたといいます。日常の遷化(せんげ)を聞いた日頂は、小袖を首に巻いて樹下に臥し転び、声を放って悲嘆にくれたところから「泣き銀杏」の名が起こったといいます。
18:法宣院
右写真は、2006年街回遊展での法華経寺の布教師による説明会の様子市川の散歩道 日蓮伝説の跡を訪ねて
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印刷用にはパンフレット(PDF)をご利用ください。
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文化の街かど・回遊マップ (中山編 春~夏)
※配布は終了しました
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中山の文化財、法華経寺の行事
中山回遊・百樹万華鏡(そめいよしの・ケヤキ・ざくろ・さるすべり)
地図
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表面
裏面(地図)
※平成27年(2015)5月14日より清華園の開館日時が変更になります。
【開館時間】9時30分~16時30分(建物入館は16時まで) 【開館日】毎週金曜・土曜・日曜日
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文化の街かど・回遊マップ (中山編 秋~冬)
市川の散策道(中山・柏井)
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