本山桂川

本山 桂川(1888~1974)

略歴

本山桂川(もとやま けいせん)。民俗学者。

本山桂川は1888(明治21)年長崎市に生まれ、本名は豊治(とよじ)、父の雅号桂舟に因み、桂川と号した。

桂川は、民俗学の草創期から確立期にかけて民俗資料の収集と整理に貢献した民俗研究家で、南方熊楠や柳田國男、折口信夫らとほぼ同時代に活躍したが、民俗学界全体の中では従来あまり評価を受けることがなかった。柳田や折口が多くの門下生を育て、学派を形成したのに対し、桂川はむしろ孤高の人というイメージで、一人コツコツと全国を歩きつつ文献を収集し、テーマごとにまとめて活字にして発表していった。

早稲田大学在学中から民俗に興味を持ち始め、郷里長崎で1920(大正9)年『土の鈴』を創刊。この『土の鈴』は、後年続出するに至った地方郷土研究誌の先駆をなしたもので、南方熊楠らも寄稿する全国規模の貴重な民俗雑誌となった。1923(大正12)年まで19冊が刊行された。

その後上京し、千葉県(東葛飾郡市川町)に居を移した桂川は、1926(大正15)年には閑話叢書の編集を始め、第一冊には南方熊楠の『南方閑話』を出版した。これは南方の最初の本となった。このとき桂川は南方から30円で原稿を買ったという。また、1928(昭和3)年、謄写刷の『民俗研究』を創刊し、方言や民俗の採集古書の複写本などを出した。『民俗研究』は1933(昭和8)年までに全50冊が刊行された。

しかし、1945(昭和20)年の空襲で、蓄積した資料など全てを失った桂川は、晩年は民俗研究を離れ、石碑文の研究に没頭した。

市川市との関係

冊子 民俗研究

1924(大正13)年、36歳で東葛飾郡市川町に転居し、私立市川学館(商業学校)教頭に就任(翌年退職)した。また、1929(昭和4)年には、市川町町議会議員選挙に立候補し当選している。

昭和12(1937)年に東京へ転居するまでのおよそ14年間を市川町で過ごした。この市川町に暮らした頃は、民俗学の著作を多く遺し、最も民俗学に情熱を燃やしていた時代ともいえる。

また、市川時代に創刊した『民俗研究』の第22輯(1930(昭和5)年)は、「下総・八幡市」が書名となっており、昭和初期の八幡のボロ市(農具市)の様子が詳細に記録されている。桂川は、千軒とも二千軒とも言われるおびただしい露店の正確な内容が知りたい、とシラミツブシに商品の種類まで調べ、手書きの図面で記録した。店舗の総数は923店であった。

参考文献

  • 「本山桂川-その生涯と書誌-」小泉みち子/著(『市立市川歴史博物館年報 第15号(平成8年度)』(市立市川歴史博物館 1998)所収)
  • 『日本民俗大辞典 下 た~わ・索引』福田アジオ/[ほか]編(吉川弘文館 2000)
  • 『日本民俗学史話』大藤時彦/著(三一書房 1990)
  • 『南方熊楠全集 2 南方閑話・南方随筆・続南方随筆』南方熊楠/著(平凡社 1979)
  • 『本山桂川民俗誌全集 1 農民と信仰』本山桂川/著(ピタカ 1978)
  • 『下総・八幡市』(民俗研究 第22輯)本山桂川/著(日本民俗研究会 1930)

著作リスト

市川歴史博物館学芸員(当時)の小泉みち子/著「本山桂川-その生涯と書誌-」(『市立市川歴史博物館年報 第15号(平成8年度)』(市立市川歴史博物館 1998)所収)に詳しく掲載されています。

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