葉山修平

葉山修平(1930~2016)

略歴

葉山修平(はやま しゅうへい)。小説家・詩人・国文学者。

葉山修平は1930(昭和5)年市原市に生まれ、本名は安藤幸輔(あんどう こうすけ)。千葉師範学校(現千葉大学教育学部)卒業、東京大学大学院修士課程修了(国文学専攻)。

県立市原中学(現・県立市原高校)4年の学徒動員中に終戦を迎えた。1955(昭和30)年、林富士馬、太田浩らと同人雑誌「玻璃」を創刊。林富士馬の紹介で同人雑誌「文芸日本」を知り、1957(昭和32)年4月、「文芸日本」4月号に短編小説「バスケットの仔猫」を発表。室生犀星より小説の評とアドバイスの書かれた手紙を受け取った葉山は、以降室生犀星の知遇を得る。1960(昭和35)年、短編小説「日本いそっぷ噺」(同人雑誌「花」4号 昭和35年5月所収)が同年上半期の第43回直木賞候補となった。選考委員だった吉川英治氏は「日本いそっぷ噺」について、「文章が上手である。構成もいい。(中略)私はこんどの全作品中の首位に推してもいいほどこれは高く評価していた。」と選評しているが、惜しくも授賞はならず、直木賞は池波正太郎の「錯乱」が選ばれた。同年12月には大和出版より『日本いそっぷ噺』として出版された。1963(昭和38)年、同年上半期の第16回文学界新人賞に「現在完了」(『文學界』昭和38年5月号所収)で佳作となる。(新人賞は受賞作なし)

開成高校教諭、千葉大学講師などを経て、駒沢短期大学名誉教授。

2011(平成23)年、功績をたたえて県立市原高校に文学碑が建立された。

室生犀星の研究においても造形が深く、1984(昭和59)年、室生犀星学会を設立、会長を務める。また、2008(平成20)年には『室生犀星事典』(鼎書房 2008)を監修した。

1994(平成6)年『小説の方法』(東銀座出版社 1994)で第1回室生犀星顕彰大野茂男賞(研究・評論部門)受賞。

2016(平成28)年8月28日逝去。

市川市との関係

ご寄贈いただいた著書『美の使徒』(龍書房)に書かれた句と署名

1974(昭和49)年7月より40年以上市川市東菅野に住む。

2000(平成12)年、第4回市川市民文化賞受賞。翌年2001(平成13)年からは、市川市民文化賞の審査員となった。

2003(平成15)年、宗左近の提唱により市川の文化と生活と歴史を語る「風の会」を設立。2006(平成18)年11月には「風の会」により季刊誌「千本銀杏」が刊行され、梶山俊夫らとともに創刊同人の一人となった。

市川を背景とした作品には『真間の手児奈:戯曲』(龍書房 2010)や長編詩「わが真間の里」(『市川の文学』(市川市教育委員会 1982)所収)等がある。

参考文献 

  • 『葉山修平にみる文学世界』新美守弘/著(龍書房 2014)
  • 『市川の文学』(市川市教育委員会 1982)
  • 『市川の文学:詩歌編、散文編』「市川の文学」調査研究会/編集(市川市文学プラザ 2011、2012)
  • 『美の使途』葉山修平/著(龍書房 2007)
  • 『葉山修平集』葉山修平/著(あさひふれんど千葉 1994)
  • 「いちかわ人インタビュー164 葉山修平さん・菊間将年さん」『月刊いちかわ 444』(エピック 2006)
  • 『千本銀杏 No.1~13』(風の会 2006-2009)

著作リスト

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