5 むかしのようす(土地利用の変遷)

5 むかしのようす(土地利用の変遷)

むかし、長田谷津(ながたやつ)のたにのしたのところは、「たんぼ」でした。たんぼは、「おこめ」ができるくさを、そだてるところです。おこめができるくさを、「いね」といいます。たんぼでは、みずをためて、いねをそだてます。ゆうすいがあるので、そのみずをつかいました。ながたやつには、むかしは、たんぼがたくさんありました。
のうかのひとが、たんぼをやめたときに、ながたやつは、こうえんになりました。たにのしたのところは、のうかのひとが、くさとりをしなくなったので、いろいろなくさがはえました。さいしょは、ちいさなくさが、たくさんはえました。そのあと、おおきなくさが、おおくなりました。さかのところも、さいしょは、ちいさなきがおおくて、そのあと、きが、おおきくなりました。

長田谷津とその周辺は、畑作・稲作などの農業と、薪・炭などの林業の場として利用されてきました。土地の性質に合わせ、台地上は畑と林、谷底は水田に利用されました。見かけこそ変化しましたが、そういった土地利用の土台となる環境は、そのまま現在の長田谷津に受け継がれています。
台地上では林が減り、畑は梨畑になり、住宅も増えましたが、雨水が浸み込む土の地面は変わらずに残っています。谷底では稲作がおこなわれなくなりましたが、いまでも湿地に手を入れれば水田を復元し、稲を育てることができます。市川市域で市街化が進んだ中、大規模な地形の改変やコンクリート化がおこなわれずに現在に至りました。長田谷津とその一帯は、市街地の中にぽつんと取り残された場所になりました。
都市化が進んだ地域に残された自然環境は、よく島に例えられます。島の中で一生を完結できる生き物が生き残り、飛ぶことのできる生き物が利用し、水のルートを使って生き物が侵入します。長田谷津のなかで完結する命、はるか遠方からやってくる命、江戸川や東京湾とつながる命。長田谷津の生き物を、そういう視点で区分することができます。

昭和22年土地利用図
まちが、ちいさかったころの、ちず(昭和22年土地利用図)
平成11年土地利用図
まちが、おおきくなったころの、ちず(平成11年土地利用図)
長田谷津が田んぼだった頃の航空写真
むかしの、しゃしん(昭和42年航空写真)

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